THE OWN WAY
甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)

甲本ヒロトの人生観_発狂するくらい感動したことを、ただ楽しんでやるだけ。

日本を代表するロックンローラー、文壇でひときわ異彩を放つ作家、コンセプチュアルアートに秀でたギャラリスト、東証一部上場からアジアでトップを目指す起業家。それぞれのステージで成功を掴み取り、さらなる高みを目指す4人のバックグラウンドは吉備の国・岡山県。彼らの過去、現在、未来に影響を与えた「OKAYAMA」での出会い、経験、培われた人生観。そこには、地方都市と東京のヒエラルキーは存在しない。行動する人間のみが、生まれ育った場所でしか見いだせないブレイク・スルーのポイントがある。

甲本ヒロト、55歳。メジャーデビュー曲であるザ・ブルーハーツ「リンダリンダ」を改めて聴くと、それが30年以上前のものだとはちょっと思えない。ボーカルを担う彼の、ミュージシャンとしてのスタイルがあまりにも変わらないからだ。シンプルで瑞々しいメッセージを、まっすぐに届ける力強い声。ロックに初めて出会った時の衝動が、今もまだ抑えられることなくその体を震わせ続けているかのようだ。ザ・ブルーハーツの解散後、ザ・ハイロウズを経て、34年来の仲である真島昌利と共にザ・クロマニヨンズを結成してから12年。ほぼ毎年1枚ずつのアルバムをリリースし、ツアーも精力的に行っている。彼は日本を代表する唯一無二のロックンロールミュージシャンとして、世代を超えたファンを魅了してやまない。 18歳までを過ごした岡山市で、バンドを始める前の甲本ヒロトは、いったい何を感じていたのだろうか。「音楽に出会う前は、目指していたものはないよ。子供の頃の夢なんてないし。家の近くにある操山の、百間川の方からの登山口に、ハンミョウって虫がいて、それをね、ずっと追っかけて……ああ、もう夕暮れになる、帰んなきゃ。そんな感じ。」 岡山市で過ごした少年時代のことをふり返ってそう言った。自分が音楽に感動することがあるなんて、想像すらしなかったという。「ガキの頃から歌と踊りが大嫌いなんですよ、2、3歳の頃から。ダセーッ! こんなものは男がやることじゃねえ! って思ってた。」 けれどある日、彼の世界は一変した。中学1年生、ロックンロールを初めて耳にした時のことだ。その時のことは、生涯忘れることのできない究極の初体験だった。「最初はね、理解できなかった。体が先に反応したの。涙が出てきた。涙だけじゃない、声も出たよ。うわーん!って声を出して泣いて、畳をかきむしるような興奮、震えるような熱狂がブワーッと押し寄せてきて、僕は気が狂ったのかな、と思った。おかしくなっちゃった! 病気かもしれない!って。後で少し冷静になってわかった、感動してたんだ。何に?今聞いてた音楽にだ!じゃあ、もっともっと、ああなりたい。そう思って、レコードを聞くようになった。」 ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・キンクス、ラモーンズ……畳の部屋に流れる、イギリスやアメリカのバンドの音楽に、岡山に住む10代の少年は常軌を逸するほど夢中になった。

中学1年の衝撃以来、自分をもっと感動させる音楽を求めて、ヒロト少年は岡山市街をよく歩くようになった。それは1970年代の終わりのころ。「ガキだからお金持ってないよね。高校生になるといろいろやりくりして、喫茶店に行くようになった。よく行ってたのは、中山下の地下にあるビートル、表町のコマンド、当時、ちょっとでも聞きたいレコードがある時は、喫茶店に行ってリクエストするんです。アルバムみたいなリクエスト帳が置いてあって、それをピラピラってめくって、このレコードかけて!って、飲み物を注文するみたいにね。ビートルは、カウンターにいつも綺麗な女性店員がいて、それもドキドキしたな。コマンドにはマスターのナオさんがいて、爆音でブルースのレコードをかけてくれた。びっくりしたなあ、カッコよくて。それから、岡山市民会館でザ・クラッシュのフィルムコンサートを見てボロ泣きしたりもした。確か『ロンドン・コーリング』の頃。それにはザ・スリッツも出演していて、衝撃的にカッコよくて、まだ国内盤が出ていなかったから、すぐに輸入盤を探して買ったりした。岡山駅の近くのLPコーナーっていう洋盤のお店だよ。」 レコードショップ、LPコーナーは2003年に閉店したが、現在、パワープラントレコードと名前を変え、当時の店長が同じ場所で再開している。ビートルもコマンドも健在だ。約40年前、音楽を聴き漁っていた甲本ヒロトの渇望を満たした場所の多くは、今も岡山市内で営業を続けている。音楽を貪るように求める彼には、自然ともっと大きな渇望が生まれることになる。「ロックバンドが、ロックンロールが、ただやりたかった。やるのが目的で、それで何かを得ようとは思わなかったよ。モテたいとかさ。金が欲しいとか、有名になりたいとか」ひと呼吸おいて、もう一度言った。「ただ、やりたかった。」 すぐに上京してバンド活動を始めようと決意するが、親の猛反対により断念する。「ベーシストでもよかったし、ドラマーでもよかったし、ギタリストでもよかった。とにかくロックンロールバンドの一員になりたかった。手っ取り早いのはボーカルだった。だって、親の目を盗んで楽器の練習なんかできるわけないじゃない? ハーモニカだけはいつもポケットに入れてたけど、こっそりね。」 結局、岡山でのバンド活動は諦め、《大学に行けば東京に出してくれるかなあ、と思って》我慢の高校時代を過ごした。「わりと進学校だったから、高校3年の夏になると、バンドやってた連中も、受験勉強に専念します、みたいなことを言って、メンバーが欠けていく。そんな中で、受験に興味なくてぶらぶらしてたら、友達から、手伝ってくれん? と声をかけられて、ラウンドアバウトってバンドの助っ人としてちょっと入ったりしてた。同級生に300円のチケットを売ったりして、そんなことを2回くらい。」 初めてステージに立ったときの感想を聞いてみた。「はっきりとは覚えていないけど、夢中だったと思う。」 ペパーランド、クレイジーママキングダムなど、現在、岡山市街ではライブハウスが増え、音楽シーンも活発だが、ヒロトが高校生だった1980年代当時、アマチュアバンドの活動場所は楽器店の貸しスペースくらいしかなかった。「表町の長谷川楽器、あと太田洋行(楽器店)にもいたし……あ、思い出した!俺、そのバンド、ラウンドアバウトで、コンテストに出てるんですよ。ロック・イン・岡山ってやつ。」 ロック・イン・岡山は、山陽放送(RSK)が主催するアマチュアバンドコンテストで、決勝会場は倉敷市民会館だった。「ど素人もど素人だったよ。友達のバンドに飛び入りして、オリジナルの曲を演奏して。ビギナーズラックかもしれないけど、なんかの賞をもらって、ラジオで流れたんだ。親にばれちゃうからさ、本名じゃなく嘘の名前言って。賞金もらってさ、それでコンバース買った。その頃から好きだったんだね。」

記憶の奥から掘り起こした高校3年での《デビュー》を振り返って、こう語った。「後になって、しみじみ面白いことだなあとも思うけど。そうやってね、本人からたいして仕掛けたりなんかしなくても、動くときは、まわりになにか現象が起きるんですよ。それをね、その瞬間、瞬間に、全部受け入れればいいと思います。作戦立てて、こうすれば売れるとか、こんな風にしたらお客さんが喜ぶとか、そんなこと考えないで、自分が一番楽しいことをやって欲しい。」 それは、数十年間バンドを続けてきたヒロト自身の確信であり、今、音楽を志す若者たちへのメッセージでもある。「本人が楽しんでなきゃダメだな。僕の先輩にあたる年齢のミュージシャンなんかを見てても、みんな自分が楽しんでます。じゃないと普通、こんなに長くやんないよ。《売れるためにはやりたくないこともやる》とかさ、そんなことしたら元も子もない。それは、健康のためなら死んでもいいって言ってるようなもんだから。笑われちゃうよ。」 彼はさらに続けた。「何かが欲しいなら、手に入れようとしている最後の目的は、はっきりしといたほうがいい。目的が金だったら、バンドやめて金儲けすればいい。もっと儲かる方法がある。モテたいんだったら、バンドなんかよりもっとモテる方法がある。でも、最終目的がバンドだったら、それは絶対間違いない。成功する。何かのための手段ではなく、バンドが目的だって確信できたバンドは、成功して金も入る。それはパラドックスみたいだけど、ほんとのことです。だって俺、そんなバンドが見てえもん。売れたがってるバンドよりも、好きなことやってるバンドが見てえし、お客さんを楽しませよう、ってアーティストよりも、俺が楽しんでやるぜ、っていう人間が見たいんです。」 《自分がいちばん感動していればいい。それが目的で、それ以外は何もいらない。》というスタンスは、他の誰よりも、ヒロト自身が貫いてきたことでもある。「自分がステージで好き勝手やってることの言い訳かもしれないけど、この歳までなんとかやってるっていう、ひとつの証明でもあるんですよ。間違いねえから。もし、僕のことを見て、ああ、あんなのもいいな、って思うんだったら、信じたほうがいい。」 さらに言葉を続けた。「お金に感動したいんなら、一生をかけてお金持ちになればいい。お金が目的だなんてつまんない? そんなことは言わないよ。そのかわり、わーって泣くくらい感動したらという話だよ。それを屈折してるとは思わないよ。株式投資カッコいい!と思うなら、株やりまくってさ、成功すればいい。失敗してもいい。だって、それが目的なんだろう?成功しようが失敗しようが、自分が一番楽しいと思うことができればいいだろう? それでいいじゃん。」 大学進学を機にというより口実にして岡山を離れ、上京した甲本ヒロトは、盟友、真島昌利と出会う。1985年、ザ・ブルーハーツを共に結成したのち、数々の名曲を《常に自分たちが一番楽しんで》生み出してきた。以来、ふたりは数年ごとにバンド名やメンバーをチェンジしている。「こうしようって、すべてを自分たちでコントロールして変えている訳ではないし、自分がやってること自体はそんなに変わらないんです。ただ、なんとなく気分が変わったり、新鮮さを感じたりするのは素晴らしいことだと思うし。それから、感覚的なことで言うとね、小学校に入り直す感じ。例えば、小学校6年間やってきて、思い返せば俺、今のスキルで1年生だったらもっとカッコよかったのに、とかさ、思うじゃない?それをまさにやってる感じ(笑)。だからどんどん無駄がなくなっていくんだと思うよ。あれはやんなくて良かったなあ、ということをやらなくなって、もっとやっておきゃよかった、というところに力を入れたりとか、そうすると、時間の使い方も上手になってくるし。」 それでは、今のバンドの状態は? と聞くと、《最高!》と即答した。「もう12年目なんだよ、と言われて驚くよ。すごくいい感じなんだと思う。ザ・クロマニヨンズは、というより、今まで僕がやってきたバンド、全部そうなんですけど、ロックンロールの理想形です。ロックンロールってのはひとつじゃないんです。いっぱいあるんです。例えばラモーンズだって、ロックの理想形のひとつだと思うし、クラッシュもそう、ビートルズもそう。ローリングストーンズ、ザ・フー、キンクス、アニマルズもゼムも全部。僕にとっては、それぞれのバンドがロックンロールの理想形なんです。で、今、僕ができるロックンロールバンドの理想形がクロマニヨンズっていうこと。いつもそうなんだ。」 ザ・クロマニヨンズは例年、全国ツアーも行っている。11月から始まる『レインボーサンダー2018-2019』は、全国54公演。岡山会場である岡山市民会館は移転が予定されており、来年3月の公演が、彼らが今の場所で行う最後のライブになるかもしれない。「地元の岡山の公演だからといって特別な気持ちをステージに持ち込むことはないね。これは全国どこに行っても同じで、何かを特別にすることはないよ。でも、やっぱり思い出深い場所なんですよ。さっき言ったフィルムコンサートとか。中に入ろうが入るまいが、10代の僕は市民会館のまわりによくいたんです。あのあたりから見るお城だとか好きだったし。お堀の風景とか、水が流れているところとか……桜も綺麗だし。」 街の風景をたどるように、子供の頃を過ごした思い出の場所も振り返った。「お堀から自転車でちょっと行ったところにある旭川と操山。今でも帰省すると、ちょっとだけ登って帰ってくる。大好きなんだ、操山が。」 

そんな彼に、岡山の魅力について、ストレートに聞いてみた。「あのね、もったいないから言いたくない。岡山の人ってそうじゃん? いいもの、美味しいものがあるんだけど、あんまりアピールすると、誰かが取っていっちゃいそうでさ。自分たちばっかり得していたいからさ(笑)。岡山ってこんないいとこだよ、ってあんまり言わないんだよね。よその人がなんにも知らないで住んでみたら、こいつら、こんな美味いもん食ってたのか! って言うかもしれないね。ふふふ、秘密の場所。」と笑った。 ヒロトが作詞・作曲した最新シングル『生きる』の中に、I探しものがあるのではなくIから始まるフレーズがある。岡山で12歳のとき、ロックンロールにノックアウトされたその日からずっと、甲本ヒロトは、実はそう思い続けているのではないだろうか。「たぶん、僕はいまだにずっと、中学1年の、ロックを聴き始めたときの、リスナーなんです。いまだに僕、ファンなんです。暇さえあればレコード屋さんに行って、今でもレコードをどんどんどんどん買い続けているし、買うだけじゃなくとにかく聴きたいと思ってる。いろんな娯楽があるんです。なんでも楽しい、映画も好きだし、本も読む。だけど、レコードを聴いてるときの感動にはかなわない。いちばん楽しいんです。それで僕は今も、バンドやってる子供たちと同じ立場なんです。しかもそれを毎日できてるんです。普通、サラリーマンの人だったらさ、普段働いて、週末だけ集まって楽器持ってさ、バンド演奏を楽しむわけじゃない? それを毎日やってるんだよ。定年したらやろう、ってみんなが夢に描いてる生活パターンですよ。僕にとっては休日が続いているだけなんだもの。」 最後に、いま苦境に立っているひと、何かを乗り越えようとしているひとにメッセージをもらった。 「苦しいとき、辛いときこそ注目されていると思って、しんどくてもカッコつけてください。そんな時こそ周りはいつも以上に見てるもんなんですよ。頑張ることより楽しむことって言ってるけど、それができない時はとにかくカッコつけて生きましょうよ。」

甲本ヒロト/ミュージシャン

1963年3月17日岡山県岡山市生まれ。真島昌利らと共に1985-1995年、ザ・ブルーハーツ、1995-2005年、ザ・ハイロウズで活動。2006年ザ・クロマニヨンズを結成。10月10日12枚目のオリジナルアルバムアルバム『レインボーサンダー』(アリオラジャパン)を発売。

編集者PLUG

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