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道_vol.33
01 May 2026
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presented by EVERHALL

Where there’s a will,there’s a way
葬祭業界と地域社会の活性化に邁進し、儀礼文化の形骸化に警鐘を鳴らす井上万都里が連載する対談企画。それぞれの道を強い意志で歩み続けるゲストの言葉から、あなたの人生を切り拓く明日のヒントが見える。

“THE RITUAL CULTURE IN THIS COUNTRY IS ALWAYS VERY INTERESTING.”
「この国の儀礼文化への興味は尽きない」 ーMATSURI INOUE





伝統の意味を語り、時代に応答しながら継いでいく仕組みが必要だ。

ー井上万都里 株式会社イノウエホールディングス 専務取締役

日本人の奥底に残る祈りの心を、静かに立ち上がらせる場所が神社。

ー高原 宏始 春日神社 宮司

きっかけは何でもいい。まず触れることから文化は動き出す。

ー小笹 和也 春日神社 禰宜

ーー 武神を祀る社の原点

 井上)春日神社は、創建から千年以上の歴史を持つ古社ですね。奈良・春日大社から御神霊を勧請したと伝わり、藤戸の合戦とも関わりがあると伺いました。まずはその由来からお聞かせください。

高原)創建は平安時代、西暦987年に遡ると伝わっています。奈良の春日大明神の御神霊をこの地に勧請したのが始まりです。伝説では、奈良の春日大社に掲げられていた額を神鹿が銜えて西へ走り、当社前の川瀬で力尽きた。その神額を祀り、春日大明神を勧請したと言われています。社前の川を「額ヶ瀬」と呼ぶのも、その由来です。平安末期の藤戸の戦いでは、一番乗りの功名をたてた佐々木盛綱が戦功を祈って白羽の矢を奉じたという社伝が残っています。江戸期には池田家から社領の寄進を受け、明治維新までは「春日大明神」と称されておりました。御祭神は武甕槌神(タケミカヅチのミコト)、経津主神(フツヌシのミコト)、天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、比売神(ヒメガミ)の四柱。なかでも武甕槌神と経津主神は武運長久・必勝の神として信仰を集めてきました。当社が「勝負の神様」と呼ばれるのは、その由縁によるものです。


ーー 戦からスポーツへ 勝負の祈りはかたちを変え続く

井上)貴社には、高校球児や武道家、地域のスポーツチームなど、多くの方が必勝祈願に訪れるそうですね。

高原)もともとこちらは、戦に勝つために祈りを捧げる場所でもあったようです。かつては武将たちが戦の前に神前に立ち、戦勝を祈って出陣したという伝承も残っています。当時の戦は、まさに命のやり取りです。負ければ命を落とし、家も絶える。そうした極限の状況の中で、戦の前、神前に立ちました。人は「いわれのある場所」「これまでおかげをいただいてきた場所」にこそ足を運びます。勝敗を決めてもらうためというより、自らの覚悟を定めるために神前に立ったのだと思います。今は戦ではなく、「勝負事」がスポーツや受験、仕事の節目へと姿を変えました。しかし、その人にとっては重要な一戦であることに違いはありません。形は変わっても、節目に神様の前で気持ちを整えたいという心は、ずっと人間の側にある。本質は変わっていないのではないでしょうか。

井上)私はアームレスリングをしていまして、ちょうど試合が近いんです。ですから今日は、取材後にしっかり参拝させていただきます(笑)。勝負事というのは、練習を重ねても最後はほんの一瞬で決まることがあります。そういう場面に立つと、自分の気持ちを整えておきたいと思うんですよね。神前に立つというのは、そのための時間なのだと思います。

小笹)勝利祈願に来られたチームに対しては、やはり個人的にも思い入れが強くなります。結果も気になるし、怪我なく無事に、できれば一つでも多く勝ってほしいという思いで見ています。祈願は、「勝たせてください」というだけではなく、「自分の力を出し切れますように」という願いでもあるのだと思います。



――奉納相撲という“地域の記憶”

井上)貴社では、秋の例大祭で奉納子ども相撲が行われていますね。かつて盛んだったものの一度途絶え、再び復活させたと伺いました。その経緯を教えていただけますか。

高原)戦前の記録にも、秋祭りに合わせて相撲を開催していたという記述が残っています。当時はきちんと届け出をし、地域の行事として行われていたようです。ただ、昭和の中頃には無くなってしまった。理由ははっきりしませんが、担い手の減少や時代の流れもあったのでしょう。それを、神社の節目の年を機に、もう一度やろうという話になり、復活させたのが29年前。氏子地域の小学校に案内を配布してもらい参加者を募りました。少しずつ形を整えながら、今は小学校1年生から6年生まで、男女多くのお子さんが参加してくれています。奉納相撲ですから、土俵に立つ子どもたちはもちろん「勝ち」に拘りますが、勝敗以上に、神様に元気な姿を見ていただくという意味合いが大きいのです。あくまで神様への「奉納」ですから。懸賞として破魔矢やお米を授与していますが、それも勝者を称えるというより、参加した証をお渡しするという感覚です。

井上)参加する導線と、参加できる仕組みが必要なんですね。私が小学生の頃、地元の神社でも子ども相撲が開催されていました。参加していた子どもたちは、ただ勝ちたいとか、負けたら悔しいといった感情だったと思いますが、今思うと、あれは「神前で身体を使う儀礼」だったということ。子どものときに“場の空気”を身体で覚える経験は、後から効いてくる。神社の行事に参加することは、単なるイベントではなく、地域の一員としての感覚を育てることにもつながると思うんです。 高原)そうですね。子どもの頃に関わった記憶は、必ずどこかに残ります。その記憶が、将来また神社へ足を運ぶきっかけになるかもしれない。奉納相撲は、その小さな種のようなものだと思っています。



ーー伝わる時代から伝える時代へ若い世代との接点

井上)今は「無宗教の時代」と言われますが、私はそうは思いません。信仰がなくなったのではなく、“伝わらなくなった”のだと感じています。団塊の世代は、何もないところから地域を築き、濃密な人間関係の中で文化や行事を自然に継いできました。説明しなくても、空気の中で共有されていた。しかし今は、町内のつながりも薄れ、伝統が自動的に受け継がれる環境ではなくなっている。だからこそ私は、「伝わる時代から、伝える時代へ変わった」と言い続けてきました。この連載も、そのための企画です。文化は、専門家が語らなければ残らない。神社も寺も、敷居が高いと感じられている以上、待っているだけでは人は来ない。発信し、人の流れをつくることが、今は必要だと思うのです。

小笹)僕は今年40になりますが、同級生に「神社に奉職している」と言うと、「大晦日は除夜の鐘を鳴らすの?」と聞かれることがあります。除夜の鐘はお寺です。神社とお寺の違いすら曖昧になっている。それは信仰心がなくなったというより、触れる機会が減った結果だと思います。だからこそ、まずは神社に触れてもらうことが必要です。若い世代の入口は、いまやSNSです。正月に巫女として奉仕に来てくれた高校生や大学生が、神社の投稿をきっかけに行事や日常を知る。そこから興味が広がる。小さな接点ですが、その積み重ねが、次の理解につながっていくのだと思っています。

井上)伝統は守るだけでは残らない。意味を語り、更新しながら継ぐ。いまはそういう姿勢が問われているのだと感じます。



ーー参拝しやすい環境づくり

井上)伝える努力と同時に、実際に足を運びやすくする環境づくりも必要になってきます。こちらではお賽銭にPayPayを導入されていますね。

小笹)最近、キャッシュレス決済を導入しました。ジョギングの途中に立ち寄られる方も多いのですが、走るときは財布を持っていないそうで、「キャッシュレスなら助かる」と好反応をいただきました。伝統そのものを変えるわけではありません。ただ、参拝の環境は時代に合わせて整えることができる。便利にすることは、決して軽くすることではないと思っています。むしろ、少しでも足を運びやすくなることで、神社との接点が増えるのであれば、それは必要なアップデートではないかと考えています。

高原)変えてはいけないものと、変えてよいものがある。神事の本質は変わりませんが、参拝しやすい環境を整えることは、神社の務めの一つだと思います。多くの方にお参りいただけること自体が、ありがたいことですから。

井上)敷居を下げるというのは、伝統を弱めることではなく、伝統に触れる機会を広げること。いまの神社には、変えるべきものと守るべきものを見極める、そのバランス感覚が求められているのだと感じます。



ーー信仰を守るための“運営”

井上)神社は信仰の場ですが、日々維持しなければ続いていかない存在でもあります。境内の整備や建物の修繕、祭礼の準備、担い手の問題。信仰を守るためには、現実的な運営とも向き合わなければならない。制度も時代も変わるなかで、神社を“残していく”とはどういうことなのか。お考えをお聞かせください。

高原)我々の仕事はすべてご寄附で成り立っています。営利法人ではないので、「いくらお願いします」と金額を決めることはできない。あくまでお気持ちで支えていただいている。しかし世代が変わるごとに、町内会長や自治会長も交代していきます。そのときに「前の方は理解してくれていたけど、次の方は知らない」という状態になると困る。ですから、いい形で申し伝えが続くよう、こちらもきちんと説明し、関わりながらお願いをしていく必要があります。戦前は県社という立場で、宮司は“官”の扱いでした。県から給与が支払われる時代もあったそうです。それが戦後、大きく制度が変わり、完全に“民”の側へと移った。いわば180度の転換です。それでも今日まで残っているのは、市井の人々にとって必要とされてきたからだと思います。だからこそ私は、経営者としての感覚も必要だと思っています。ただ「ご寄付をお願いします」では続かない。神社を綺麗に整え、歴史を守り、参拝してよかったと感じてもらうこと。そうした積み重ねがあってこそ、自然と支えていただける。信仰を守るための“運営”という意識は、これからの神社には欠かせないものだと考えています。





――今後の神社の役割

井上)今後、神社の役割は、どのように発揮されるべきだと思いますか。

高原)神社というものは本来、罪や穢れを祓う場所です。ここでいう罪や穢れは、道徳的な善悪ではありません。神道では「穢れ」は「気枯れ」、気が枯れ、内向きになり、活力が落ちていく状態を指します。日々の暮らしの中で知らず知らずのうちに削がれていく気を整える。それが神社の役目です。神前に立ち、鈴を鳴らして手を合わせる。そのひとときが、もやっとしたものを落とし、気持ちを立て直す時間になる。少し軽くなって日常へ戻る、そのための場所だと思っています。そしてもう一つ。私は、日本人の心の奥には、最後には魂が残るという感覚があるのではないかと思っています。普段は無宗教だと言っていても、大切な人のこととなれば自然と手を合わせる。いざというときは神や仏にすがる。その心は消えたのではなく、奥に残っている。教義や理屈よりも先にある、日本人としての本来的な心の在り方だと思うのです。神社は、その心がふと表に出る場所なのではないでしょうか。

井上)私は、神社に一歩足を踏み入れるという行動そのものが前向きだと思っています。気持ちが落ち込んでいる人でも、何かを良い方向に変えたいと思うから来る。神様のご加護は目に見えませんが、自分が信じて前を向こうとした瞬間に、それは力になる。神社は、そのきっかけを与えてくれる場所なのだと感じます。

小笹)きっかけは何でもいいと思うんです。デートでも、友達に誘われてでもいい。まず神社に触れてもらうことが大事です。そこから「この神様はどんな存在なんだろう」と調べたり、古事記や日本書紀を知る。地名の由来が神話に結びついていることを知る。そうやって日本の神話や歴史に触れていくと、日本という国をもっと知りたくなるし、好きになる。神社は、日本の象徴の一つだと思っています。入口は何でもいい。興味を持ち、深く知ろうとしてくれたら嬉しいですね。






井上 万都里
株式会社イノウエホールディングス 専務取締役

葬祭事業を中心に地域文化の継承と活性化に尽力。儀礼文化研究所の創設や地域イベント「エヴァホールマルシェ」を企画し、関連会社ではフィットネスジム「レシオボディデザイン」を運営。オカヤマアワード副会長を務めるなど、幅広く活動している。



高原 宏始

春日神社 宮司

1960年岡山市生まれ。神職の家系に育ち、平成17年、第17代宮司に就任。以来、地域の信仰と伝統文化の継承に尽力し、子ども奉納相撲の復活など地域に根ざした活動を行う。




小笹 和也

春日神社 禰宜

1985年倉敷市生まれ。日本の伝統文化や歴史に関心を深め、大阪國學院にて神職資格を取得。2014年に春日神社に奉職し、SNS発信や若年層との接点づくりに力を注ぐ。





LOCATION
岡山春日神社

岡山市北区七日市の旭川沿いに鎮座する古社。平安時代に奈良・春日大社の御神霊を勧請して創建され、戦国期には岡山城の南方鎮守とされた歴史を持つ。武甕槌命・経津主命ら武の神を祀り、必勝祈願や節目の祈りの場として多くの参拝を集めるほか、地域行事や奉納相撲など生活に根ざした活動を続ける“日常の祈りの拠り所”である。

住所:岡山市北区七日市西町4-13
電話:086-231-4568

株式会社イノウエホールディングス

大正2年に井上葬具店から始まった株式会社いのうえは平成25年に創業100年を迎えた。都市化を見据えた新たな葬儀スタイルの提案など伝統と革新を見極めながら成長する全国屈指の葬儀社。

住所:倉敷市二日市511-1
電話:086-429-1000
everhall.co.jp/

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