THE OWN WAY
高橋克明(週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」CEO 兼 発行人)

英語力ゼロ。経験・人脈・資金もなく、まさに裸一貫でNYに
その青年は、今や世界のトップランナーたちを取材する新聞社のCEOになった。
岡山から都会へ、そして憧れのNYへ。無鉄砲とも言えるその原動力は
幼い頃からの夢を追い求めた、死に物狂いの行動力だ。

英語力ゼロ、人脈なしで単身NYへ

 マンハッタン在住。27歳で単身ニューヨークに渡り、全くの白紙の状態から29歳で現在の週刊邦人紙「NEW YORK ビズ」を立ち上げた、発行人でありインタビュアーの高橋克明。人気コーナー「ガチ!」では、これまでトム・クルーズ、レオナルド・ディカプリオ、北野武、イチロー、大坂なおみなど日米1000人以上のトップランナーにインタビューする辣腕ぶりで今やニューヨークで最も注目を集める日本人だ。現在は、海外進出を希望する企業や世界へ飛び立ちたい青少年などを対象にした講演会やラジオへの出演も多数。2019年には『武器は走りながら拾え』を出版するなど多方面に活躍している。スマートフォンの普及でニュースコンテンツが簡単にインターネットで手に入れられる時代にあって、「もはや時代遅れ」などと揶揄されることもある紙媒体・新聞を、幾多のメディアがひしめき合うニューヨークで新たに発行するのはメディア業界に長く属する人々からすれば目から鱗の発想に違いない。ところがニューヨーク在住の邦人社会という見過ごされてきたマーケットの存在に目をつけ、彼らが必要とする情報をフットワーク軽く伝える「NEW YORK ビズ」はがっちり読者の心を掴んだ。英語も話せず、経験もなく、ニューヨークに何の人脈もない27歳の青年がどうやって幼いころからの夢を成し得たのか。その逞しい野心の原点は、「都会に出たくて出たくて、それしか考えていなかった」という岡山県玉野市での少年時代にある。

「行動力」だけを武器に走る

 岡山県玉野市の商店街で洋品店を営む父母のもとに生まれた。三井造船の城下町として栄えた海辺の街には血気盛んな若者も多く、自身も中学時代はなかなかのやんちゃだったとか。「あの時代の備南地区って今考えたらNYのハーレムより怖かったんじゃないかな。今、イタリアンマフィアの潜入取材でもユダヤ人弁護士とのミーティングでも全然怖くないのは、あの頃周りにいた人たちのほうがよっぽどヤバかったから」と笑う。朝から晩まで自宅兼店で仕事をするテーラーの父を見ていて、一日でも早く都会に出たいと大学を受験。「当時は玉野とか岡山とか大っ嫌いで。なんだよ、こんな田舎!と思って、二度と帰らないつもりで飛び出したんです」。立命館大学に合格するも4カ月で中退し、ポケットの8000円だけを頼りに大阪へ。その後専門学校で約7年間講師をしていたが、子どもの頃から憧れていたニューヨークにミレニアムになる前に行こうと決意。2000年11月に渡米する。「よく『なんでニューヨークに行ったんですか?』って聞かれるんですけど、『行きたかったから』ってただそれだけ。当時、僕は英語が話せないどころかアルファベットもろくに書けず、アイハブアペン以外は全くわかりませんでした(笑)。ビザとパスポートの違いも知らない僕が急にニューヨークに行くといっても、周りは誰も理解してくれませんでしたね」。目的も定まらぬまま、無謀にも幼い頃からの「メディアの仕事をしたい」という漠然とした夢だけを追い求めてダウンタウンにある語学学校に通い、仲間たちと同居に近い生活をしながら遊び呆けていた。

崖っぷちから新聞社CEOに

 転機となったのは、9・11の同時多発テロの日。「住んでいた寮のツーブロック向こうのビルに飛行機が突っ込んだ瞬間でした。『明日があるさ』って歌があるでしょ。いや、明日なんて勝手に来ないよ。今日何とかしようぜって、自分の大事な目的を思い出して目が覚めたんです」。すぐにニューヨークにある出版社を調べて方々に履歴書を送るが、学生ビザしかないので雇う会社はない。ある出版社がインターンとしてならOKだと言われたのが28歳のとき。それから2年間は「朝から晩まで死に物狂いで働いた」そうだ。社員より数字を上げる営業手腕が認められ、最終的に副社長にまで昇進するが、社長と経営方針のずれが生じて会社を辞めることになった。ちょうどその頃プライベートでは、最初の妻と離婚が成立し、さらに悲しいことに実家の母が急死…。「夢が終わる時ってこんなふうに来るのかなと思った」。まさに崖っぷちだった。「玉野に帰って母が最期を過ごした病室を訪れた時に、婦長さんが、『いつもお母さん写真見せてくれたよ。ニューヨークにいるんだって?自慢の息子さんだったのね』と話してくれたんです。最初の渡米時に逃げてるだけだと笑ったおやじも、『今度は中途半端に帰ってくるな』って言ってくれて」。さまざまに去来する思いを胸に、次に高橋が渡米したのが2002年9月1日。「その時が本当の意味での渡米だったと今では思います」。

夢ある人たちを応援したい。
あの頃の自分のように。

 渡米すると自分が辞した新聞社から、「高橋さんについていきます」と4人の社員がついて来てくれたそう。彼らを養うため、関わりのあった出版社の社長に頼み込んで出資してもらい、自らが登記して29歳で新聞社を設立する。「社長になりたいわけではなかった。それ以外仲間を救う方法がなかったから経営者になったんです」。その新聞社で7年働いた後、ついに自分がオーナーとなる紙媒体「NEW YORK ビズ」を立ち上げる。ニューヨークの在米邦人向けの地方紙は他にもあったものの、数は多くなかったという。「チャンスだと感じたのは、ニューヨークの日系人コミュニティって思ったより狭いこと。アナログな努力で塗りつぶせるぐらいの人の数とマーケットなんです。それにアメリカの日本語情報ってネットにないんですよ。ここでは紙媒体が強いと感じました」。当初は日刊紙として発刊したため、1人で何役もこなし、3時間以上寝たことがなかったという。「オフィスの時計が7時12分を指してるんだけど、AMなのかPMなのかもわからないって感じでした」と笑う。日米の著名人に一問一答式でインタビューするコーナー「ガチ!」がスタートしたのもその頃。現在ではハリウッドスターやアスリート、俳優、アイドル、政治家、事業家など日米1000人を超えるトップランナーにインタビューをしてきた。また最近では、海外進出を希望する企業や世界で夢をかなえたい人を対象にした講演会やセミナーを行うほか、初の著書『武器は走りながら拾え』を出版するなど活躍の幅が広がっている。
 「今は玉野が世界中で一番好きですよ。都会に出たからこそ、そう思えるのかもしれない。東京出張などがあると玉野に帰って、昔の友人に会うのが楽しみですもん。」と故郷を回想した。「あの小さな海辺の町から飛び出した時のオレに、もし『NEW YORK ビズ』があったら違っただろうなと思いますね。あの時の俺に届ければ役立ったような紙面を作りたい」。NYに暮らす日本人を情報で支えたいというコンセプトで情報を届け続けている『NEW YORK ビズ』。「ニューヨークで夢をかなえたいという人たちのサポートもしたい」という使命も新たに加わった。「ニューヨークに来るなら、ぜひオフィスに遊びに来てください」NYに志をもってくる人たちはウェルカムだそうだ。

高橋克明/週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人・インタビュアー

1973年岡山県玉野市生まれ。専門学校講師の職を捨て、27歳で単身ニューヨークへ。現在はニューヨークを拠点に発行する週刊邦字紙「ニューヨークBIZ」CEO兼インタビュアーとして活躍。近年は海外進出を希望する企業や世界へ飛び立ちたい青少年などを対象に講演活動するほか2019年11月著書『武器は走りながら拾え』を出版。活躍の幅が広がっている。

編集者PLUG

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