LOCAL PRIDE-Tokyo/Kinshicho-
秋元 梢

“父が力士であることも、人と違うことも、全部含めて普通って思えた。錦糸町のあの何とも言えない大らかさが、心地よかった”

千代の富士の娘、と今まで何度呼ばれてきたことだろう。確かに、父が活躍した角界と秋元梢さんが軸足を置くファッション業界は、畑は違えど広い意味ではどちらも「芸能界」。同世代の”2世タレント“が続々テレビに登場していた時期とデビューのタイミングが重なったため、マスコミの注目を集めたのはある意味仕方のないことだったのかもしれない。けれど、当の本人にとってそれは決して心地のいいものではなかった。父の偉業は娘として当然誇らしかったが、父は父、自分は自分。ファッションモデルとして自力で切り拓いたはずのランウェイのスポットライトも、どこか父からこぼれてきた残光と言われているような気がして、どこか悔しかったし、もどかしかった。「どんなに自分が沢山仕事をしても”親のお陰でしょっ“ていうのは言われたりします。何をやっても、そういうことを言う人はいるし、諦めてもいます(笑)」。

「特別」なことが「特別じゃない」場所

そんな時代の秋元さんを、どこより大らかに受け入れてくれたのは、けれどやはり、父と暮らした町だった。言わずと知れた力士の町・錦糸町だ。「相撲っていうと両国のイメージが強いかもしれないんですけど、錦糸町にも相撲部屋がたくさんあって。父の九重部屋も、そのひとつでした。あの辺では、百何十キロもある巨体のお兄さんたちとすれ違うことも、真冬のコンビニで浴衣姿の立ち読み客を見かけることも、なんてことない日常の風景。父の存在はそこでも多少は際立っていたかもしれないけど、お父さんがお相撲さんっていう同級生はほかにもいたし、父のことを知っていてもみんな『梢ちゃんは梢ちゃん』って感じで接してくれた。もしかすると他の街ではもっと特別に見られるようなことも、なぜか錦糸町ではごく普通で。私も父が力士であることを自然と受け入れて過ごせてましたね」。千代の富士の娘であることが、ほかの人とは少し違う、異質なことは分かっている。分かっているからこそ、それを普通に受け入れてくれるその町の大らかさが、当時の秋元さんにはたまらなく心地よかったのだ。

異質さは強力なプロモーターになる

けれど、その異質感が、立ち位置ひとつで強力なアドバンテージに変えられるものだと知ったのは、モデルとして世界に道を切り拓こうと、パリに足しげく通うようになってからのことだ。某有名ブランドの関係者に会ったときにかけられた一言が、今でも強く印象に残っている。「そのとき私、日本のブランドのアクセサリーを着けてたんです。海外の人にも知ってもらいたいから貸してって言って。そうしたら、『それは日本の新しいブランド?ならこっちで宣伝するから、貸してよ』って、言われて。自分が身に着けてたものに目を留めてもらえたこともそうだけど、友達が作ったブランドだったから余計にうれしくって。

潜むポテンシャルに光を当てる

完成したワイナリーの目の前に は広大なブドウ畑。辺り一帯には 晴れの国と呼ばれる岡山らしい青 空が広がる。ここならではの風景 を眺めながら、大学教授でもある 片山さんは思う。 「地方も学生も、もっと自分の得 意なものを生かすべきなんです。誰 かの真似をするより、その場所やそ の人ならではの魅力を掘り起こした 方が、輝きが何倍にもなる」。 世間で良いと言われることを真似す るのではなく、身近に潜むポテンシャ ルに光を当てる。そこにこそ、地方 創生のカギはあるのかもしれない。アタッシュケース何個分も詰めて 持っていきましたよ。周りの人たち も、すごく興味を持ってくれて。そ の時、思ったんです。日本人モデル である私が、日本のブランドを身に 着けるって、すごく意味があることな んだな、って。それまではどこか外の 方ばっかり見てるところがあったけ ど、日本人が作ったものを発信して いくことに、急に使命感みたいなもの までわいてきて」。 ストレートの黒髪に白肌、赤い口紅 に切れ長のキャットライン。いかにも 日本人のルックスは、海外にいるとそ れだけで「特別」なオーラを放つ。 そんな彼女が日本のものづくりを 身にまとえば、確かに強力なプロモー ションになるに違いない。面白いのは、 その後徐々に日本のブランドと距離 を縮めはじめた彼女のキャリアが、 目指し続けてきた海外でも並行して 広がったことだ。2015年に「オ ランピア・ル・タン」のファッションス テージでパリコレデビューを果たす と、その数か月後には『ヴォーグ・ジャ パン』の表紙に抜擢。そして今年2 月、『資生堂』の最高級ライン『クレ・ ド・ポー ボーテ』のWEBムービーに、 アジア人として初めて起用が決定。 その理由を同社は「モードからスト リートまで幅広いスタイルで活躍し、 本物の輝き、インパクト、ダイナミッ クな存在である」と説明している。

尖ったものがある方がファッションは面白い

ファッションに関しては、物心つい たころから興味津々で、実際には 「モードからストリート」の中にもと ても収まり切らないほどのスタイル を経験してきたそうだ。「これを言 うとみんなすごく驚くんだけど、 実は高校生の頃、黒肌のギャル時 代の時もありました。好きなテイス トって、どんどん変わっていくじゃな いですか。年齢とともに。私もご 多分に漏れずそうで、愛用したブラ ンド名を挙げはじめたらきりがない です。それでも自分のスタイルは崩 さずに、その時々のトレンドを取り 入れる楽しさも経験してきました」。 ときには、あえてテイストが全 く違うブランドをミックスすること もあった。普通に考えたら、絶対 ありえないような組み合わせも。 「だけどそれが意外としっくりいく と、好きなものって、何処かでちゃ んとつながってるんだなって思えた りして。そういう変化とか発見と か、あるいはブレとかも、おしゃれ の醍醐味だと思う。最近、原宿と 渋谷の境界線がどんどん薄れていっ ているのは、見ていてどこか寂しい 感じもしますね」。 東京生まれ東京育ち、だけど、 その中でもちょっと異質な場所に生 まれ育った。そこから世界に飛び 出して、異質さも強みになること に気付いた。だからこそ東京には、 あらゆる個性の混在を大らかに受 け止め、尖ったものがさらに尖って いける場所であってほしい。自分の 異質さが強みに変わったと思える 今だからこそ、ようやくたどり着 いたこの着地点を、秋元さん自身 が誰よりも慈愛をもって受け止めて いるような気がした。

秋元 梢/1987年7月27日生まれ。身長165cmとモ デルとしては小柄ながらアジアンビューティなビジュアルで、 モードからストリートまで幅広いジャンルのファッションシーンで 活躍。2011年Hermes広告の日本代表としてモデルに選 出。、2015年秋には「オランピア・ル・タン」のステージで念願 のパリコレランウェイも経験。ファッションセンスや感度の高さ にも定評があり、『ヴォーグジャパン』にてファッションコラムを 連載した経験もある。2018年には「クレ・ド・ポー ボーテ」が、 ブランド初のWEBムービーに起用することを発表。

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