LIFE HUNT
DAVID MACKLEM

蝉しぐれが耳を刺すある夏の日、4人の家族が後楽園の城見茶屋で談笑する姿があった。デイヴィッドさんと光子さん、娘のマハちゃん、アキラちゃん家族は、2011年に岡山市へ移住してきた。「移住のきっかけは東日本大震災。アキラはまさにあの日、生まれた子なんです」。

インターネット掲示板での出会いと 日本への移住。

現在フリーランスのウェブデザイナーとして活躍しているデイヴィッドさんは、アメリカ生まれ。幼い頃より、かなりの音楽好きで、岐阜県に滞在していたこともある日本贔屓の青年だった。

NYに居を構え有名ブランドのウェブデザイナーとして働いていた当時、あるときオンライン掲示板の彼の記事に熱量高く反応してきたメッセージがあった。「これまでこんな人に会ったことがない、こんな面白い人がいるのか」。それが光子さんだと知るのは、ずっと後のこと。

 その掲示板は、ミュージシャンCHARAさんのサイト。実は、光子さんはCHARAさんの実妹で、大のプロレスファン。イギリスの贔屓レスラーのために英語を学びたいと、たまたま英語で記事を投稿していたデイヴィッドに反応。そこから2人はチャットなどのインターネットでやり取りをするようになった。「オンライン上なので写真も見たことなかったし、名前もフェイク。お互いに好きなことを喋り合うだけだったけど、彼女とのやりとりは本当に楽しかった」。

 ちょうどその頃NYではITバブルが終焉を迎え、NYでの仕事に限界を感じた彼は東京への移住を決意。「日本は元々大好きだったし日本のデザインに興味もあった。でも東京には知り合いもなく、もちろん仕事も、住むところだって、何もない。それでも僕はいくらかのお金だけを持って飛行機に乗ったんだ」。東京で仕事を得るために個展を開いたデイヴィッドは、訪れた女性に声を掛けられる。「私が誰だかわかる?」インターネットでつながっていた光子さんだった。「驚いたよ。あのプロレスマニアの面白い人が目の前にいる。しかもこんなに魅力的な女性だったなんて。デートの誘いに気付かないとんちんかんな部分もあるけどね」。

 知り合ってから5年、顔を合わせてから2年後に結婚。3年後に長女のマハちゃんに恵まれた。そして次女のアキラちゃんが生まれた日、3月11日。「放射能など、これから子どもを育てることに不安が募りました。原発の場所から700kmが安全圏と聞き、たまたま岡山が適合したんです」。アメリカへの帰国も考えたが、2人とも日本にいたいという気持ちが強く、縁もゆかりもない場所ではあったが岡山へと移住を決めた。

《根無し草》が8年定住、 家族にとって岡山とは。

もともと、デイヴィッドは一処に住み続けることを良しとしていなかった。アメリカでも様々な場所に移り住み、メキシコにも1年滞在。インスピレーションで生きてきた2人にとって、移住はむしろ楽しい変化だった。光子さんは自分たちを《根無し草》だと称する。「今回は子どもたちのためでした。私の地元埼玉に残した要介護状態の父のことが唯一の気がかりでしたが、結果的にはいい施設に恵まれ、ひと安心しました」。

 東京にいた頃は出不精だったというデイヴィッド。「岡山に来てからというもの、私よりもずっとアクティブになってるの。友人も増えたし、川沿いでのランニングが日課になったと思ったら、この間はおかやまマラソンに出場登録してて驚きました」。光子さんは、東京よりも岡山のほうが《バランスが取れている》と言う。「東京はヒューマンスペースがなくていつも窮屈さを感じていました。岡山は自然にスペースが取れるから居心地がいいんです」。

デイヴィッドもあちこちに《お気に入り》の場所を見つけている。「僕は音楽がないと生きていけないんだ。だから好きな場所は必ず音楽と深くつながっている場所だよ」。百間川周辺、瀬戸内海、内山下のヘアサロン「badgirl songs」、「ぜろどーなつ」、そして奉還町「ONSAYA COFFEE」。「ミュージックと空間、自分の家にいるみたいな感覚。日本で一番のカフェだって思ってるよ」。

 「岡山は攻撃的なものがない。穏やかで、少し歩けば緑と川があって、野菜や山菜など食においても恵みにあふれてる。子どもが住みやすい環境だとつく
づく思うよ」。娘さんたちも、毎年春にはデイヴィッドもあちこちに《お気に入り》の場所を見つけている。「僕は音楽がないと生きていけないんだ。だから好きな場所は必ず音楽と深くつながっている場所だよ」。百間川周辺、瀬戸内海、内山下のヘアサロン「badgirl songs」、「ぜろどーなつ」、そして奉還町「ONSAYA COFFEE」。「ミュージックと空間、自分の家にいるみたいな感覚。日本で一番のカフェだって思ってるよ」。  「岡山は攻撃的なものがない。穏やかで、少し歩けば緑と川があって、野菜や山菜など食においても恵みにあふれてる。子どもが住みやすい環境だとつく づく思うよ」。娘さんたちも、毎年春には山菜の天ぷらをねだり、岡山に来て覚えたという旬の手作りいちじくジャムは食卓の定番に。移住の時も真っ先に受け入れたのは長女のマハちゃんだったそう。  移住して8年。デイヴィッドはフリーのウェブデザイナーとして仕事も次第に充実してきた。光子さんも、母として妻として、そして今後は、デイヴィッド曰くアーティストとしての活動にも注目だと言う。「8年も同じ場所で暮らすなんて今まではなかった。岡山では仕事とは関係なく多くの友人に恵まれているしね」。これからも、岡山に好きな場所がどんどん増えていくに違いないよ、と目を輝かせた。

編集者PLUG

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