INTERVIEW
LOCAL PRIDE-Tokyo/Shinjuku-設楽洋(株式会社ビームス)
21 December 2018
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ルーツに立ち戻った『BEAMS』が、成すべきこと。

例えば京都なら寺社仏閣や舞妓、愛知なら名古屋城に味噌カツ、沖縄なら海、首里城、シーサーと、地方にはそれぞれ何かしら固有のイメージが思い浮かべられるものだ。ところが東京となると、そうはいかない。中でも際立って煩雑なのが新宿で、都庁を中心に超高層ビルが立ち並ぶ一方、神楽坂周辺には古き良き日本の面影が残り、夜の繁華街・歌舞伎町からすぐの新宿駅周辺には新”アニメの聖地“としての認知度も上昇中と、すべて列挙しようと思うと収拾がつかなくなってしまう。その多様さに、この街の奥行きがあり文化の源泉があるのだと、新宿に生まれ育った設楽洋さんは言う。官僚もいれば危ない人もいる。金持ちもいればホームレスもいて、ゲイも、外国人も、都会人から田舎の人まで、みんなごったに集まった“人種のるつぼ”が新宿であり、だからこそ、ここには本物の風俗・文化が生まれるのだ、と。

風俗文化の「るつぼ」

「僕が生まれたのはまさにミッドセンチュリーど真ん中の1951年。淀橋に中央卸売市場があるでしょう。生家は、あの西門の目の前にありました。数年前渋谷に移転するまで『BEAMS』本社ビルがあった場所です。新宿も今やすっかり大都会になりましたが、当時は戦後の荒廃からようやく立ち上がりはじめた頃で、どの家もみんな等しく貧しかった。テレビがない、扇風機がないのは当たり前。冷蔵庫も木で出来たもので、氷を入れて冷やすんです。幼稚園の頃はよく競りが終わった後の市場に忍び込んで、積み上げられた俵に上ってかくれんぼをしたり、猫車に乗ったりしてましたね。裏の家では山羊を飼っていて、家からチリ紙を持って行って食べさせたこともある。でも、そんな町の様相も高度経済成長とともに目まぐるしく変わっていきました。大型ビルができ、映画館ができ、劇場ができ、1964年には紀伊國屋ホールもオープン。アングラ演劇が盛んになったのもこの頃で、新宿はいつしかサブカルチャーの発信地になっていった。その裏にはちょっと怪しいところとか危ないところも出てきたんだけど、整然とした奇麗さだけが街を成しているわけではない。華やかさがあれば危なっかしさもある、そういう多面性の中から本物の風俗や文化が生まれ、新宿らしさが形成されていったんです」。

『BEAMS』のルーツ、新宿にあり

2 0 1 6 年、『B E A M S』 40 周年を機にオープンしたコンセプト ショップ『BEAMS JAPAN』 が、その新宿にあるのは無論、偶然 ではない。 「『BEAMS』の発祥は1号店を 置いた原宿ですが、『B E A M S』 がサブカル好きであることからも分 かるように、そのルーツはやはり新 宿に通じています。ファッションだけ でなく伝統のものづくりや職人の 手仕事のもの、日本固有のサブカ ルチャーをキュレーションする 『BEAMS JAPAN』のロケー ションは、新宿以外にあり得なかっ た。郷土愛を示したというより、 郷土愛があるからこそ生まれたビジ ネスと言った方が正しいでしょうね。 ビジネスには収益ももちろん大切で すが、ある程度軌道に乗れば企業 の成長を超えて何かを成したくな り、その中でルーツとなる故郷が存 在感を放つのはとても自然なこと。 新宿は、私個人にとっても 『BEAMS』にとっても、そのルー ツとなる場所なのです」。

日本人が誇れる日本

『BEAMS JAPAN』プロ ジェクト発足に先立ち、設楽さんは 吉本興業の大﨑洋氏をはじめ、倉 敷市のジーンズメーカー『ベティスミ ス』の大島康弘氏、放送作家・脚 本家の小山薫堂氏ら”日本の良き もの“に精通する人々を集めて 『BEAMS”TEAM JAPAN“』 を編成。『BEAMS JAPAN』 を「日本」を切り口にしたコンテン ツの発信拠点と位置付け、ものづ くりの確かさや独自の感性、ウイッ トなど、日本ならでは魅力に フォーカスした新たなカルチャー ショップのカタチを作りあげた。地 下1階から5階までの6層から成 るショップは、フロアごとに食、銘 品、ファッション、カルチャー、アー トなどのカテゴリー別に構成。地 方自治体とのコラボ企画も定期的 に実施し、別府の足湯を再現する ために、店内に何トンもの温泉を 運び入れたこともある。 「もともとアメリカのライフスタイル 雑貨の店からスタートしたことも あって、『BEAMS』では創業以 来海外のいいモノ・コトをたくさん 紹介してきました。一方で、日本へ の視点は十分ではなかった。ただ、 日本にも海外に負けない素晴らしい ものがたくさんあって、いつか取り上 げたいという想いはずっとあったんで す。東京五輪のインバウンド狙いに も見えますが、外国人がターゲット ならもっとベタな日本を表現した方 がずっと引きになったでしょう。で はなぜそうしなかったかというと、 それは、真のターゲットが日本人だ からです。日本人自身が日本のかっ こよさ、素晴らしさを再認識する きっかけをつくりたかった」。

日本の縮図を成す限られた地の使命

新宿を「未来の日本の縮図」と見る設楽さんにとって、この場所に東京だけでなく各地方の伝統、文化、銘品を結集させることは、ある種、使命的な行為だったのかもしれない。日本各地で豊かにはぐくまれたあらゆる文化・伝統を集め、『BEAMS』的視点でキュレーションすることで、古きよきものに新鮮味と現代的な粋を付加する。それこそ、”人種のるつぼ“から本物の文化風俗を生み出してきた新宿の本能であり、そのDNAを受け継ぐ『BEAMS』、そして設楽さん自身の大義なのだと、その横顔は、暗に語ろうとしているようにも見えた。

○設楽 洋
株式会社ビームス代表取締役。1951年、東京都新宿区生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、1975年に電通入社。1976年、に実家の新光紙機(現新光)新事業部としてビームスを開発し、一号店を原宿に出店。1983年に電通を退社しビームスと新光の専務に就任。1983年からビームス、新光、ビームスクリエイティブの社長に就任。ファッションだけでなく、あらゆるジャンルのムーブメントを起こすプロデューサーとして、ビームスの舵取り役を担ってきた。

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