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特集:オカヤマの新しいキャッチフレーズ #05 林昭次
30 May 2025
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#5. INTERVIEW
林昭次  岡山理科大学准教授/古生物学者

#新しいキャッチフレーズ

「恐竜県おかやま」

岡山には恐竜時代の地層があり、
実は恐竜化石が発見されるポテンシャルを秘めている。
林氏は熱く語る。
「恐竜はカルチャーだ!」







岡山は研究対象で溢れている、
最高のレガシーだ!

恐竜研究の成長点は岡山にある

日本は環太平洋造山帯に位置し地殻変動が頻発するため恐竜化石が見つかりにくい場所だと言われている。しかし、実際には多くの「恐竜の痕跡」が日本で発見されており国内での研究も盛んだ。福井では恐竜学部が設立され我が国の恐竜研究は国内外から熱い視線を集めている。岡山理科大学では今年、日本初の恐竜学科が設置された。恐竜に代表される絶滅動物の理解には、古生物学だけでなく生物学や地質学の幅広い知見が欠かせない。岡山理科大学恐竜学科では、実習、フィールドワークを通じてこれらの科目を基礎から学び、最新の生命科学の視点も取り入れた「恐竜学」の確立を目指している。また、生物多様性や地球表層環境の変化など、現代社会の諸課題について解決する能力を同時に育成する学科としても期待が寄せられている。この恐竜学科恐竜・古生物学コースに恐竜学研究室を構えるのが林昭次准教授。若くして恐竜博士となった林氏は、論文の執筆だけでなく恐竜図鑑の監修から、Eテレ番組「サイエンスZERO」「ダーウィンが来た」、テレビ朝日「博士ちゃん」などのメディア出演まで引っ張りだこだ。

林氏がこの道を目指すことになったきっかけは、 3歳の時に観た映画「ゴジラ」。その猛々しい姿に魅了された。「子どもながらにゴジラは実在しないと分かって、 少し寂しい思いをしました。しかし、母親が連れて行ってくれた大阪市立自然史博物館で、偶然にもゴジラみたいな生物を見つけたんです」。 それが、太古の地球の支配者「恐竜」との出会いだった。 ゴジラとステゴサウルスの共通点である背の突起部分の構造に惹かれて恐竜に興味を持ち、自然と恐竜博士を志した。2017年、岡山理科大学に教員として招かれ、現在では恐竜類を中心に骨の内部組織から脊椎動物の進化と生態について調査をおこなう「ボーン・ヒストロジー」という手法を活かした研究に取り組んでいる。例えば、ステゴサウルスの背中にある板にはどんな意味があるのだろう。この問いに対しては 「体温をうまく調節するため」「 異性を惹きつけるため」「背中を守るため」など研究者によって解釈が大きく異なっていた。 そこで林氏は骨組織の内部を観察し、ステゴサウルスの生態の謎を解き明かす研究に着手。アメリカのデンバー自然科学博物館、イェール大学、ユタ大学、スイスのアータル博物館、国立科学博物館を入れて5つの博物館のステゴサウルスの骨を切り、 内部構造を観察したところ、 骨はスカスカで脆く、その代わり血管ネットワークが発見された。防御説を退け、放熱説に有利な証拠が出てきたのだ。また、骨は年輪上に肥大するため成長速度も観察できる。背中の板と体の成長の関係を調べたところ、体が成熟すると板も急に大きくなっていたことが判明した。よって、性的に成熟する時に板も大きくなり、異性を引き寄せていたのではないかと仮説が立てられた。骨は口ほどにものを言う。 最近では、「ボーン・ヒストロジー 」の知見を現在生きている野生動物にも応用することで、希少動物の生態の調査も試みている。

林氏は自身を「W(ダブル)の研究者」と語る。研究範囲は絶滅種である恐竜だけに限らず現生種にも及ぶからだ。 特に日本固有種や島国特有の進化を経た生物に注目している。「島に生息する哺乳類は他地域に生息する同種に比べて身体が小さく、寿命が長いなどの特徴があります。『 なんであの動物は小さいの? 』といった単純な問いにこそ、 進化のメカニズムが潜んでいるんですよ」。子どものような眼差しから発見を目指すのが林氏のスタイルだ。

研究対象があることは立派な地域資源だ!

「恐竜研究で世界を飛び回るのが子どもの頃からの夢でした」と語る林氏。2010年には恐竜研究の本場、ドイツのボン大学へポスドク研究員として赴く。約4年間の海外生活では意外な気づきもあった。「 恐竜研究にやりがいを感じたと同時に日本の生物も研究したいという意欲が湧きました。日本を離れたことで逆に日本固有種の奥深さに気づいたんです。自国の身近な生物を対象にした研究にも取り組んでいきたい 」。 実は、岡山にも世界に誇れる興味深い生き物が生息している。それは、日本固有の両生類であるオオサンショウウオだ。岡山にたくさん生息する天然記念の動物で、約3000万年前から姿をほとんど変えていないことから〈生きた化石 〉とも呼ばれ、 その生態はいまだ謎に包まれている。 そんなオオサンショウウオの「成長様式」も彼の研究対象の一つだ。





岡山は「恐竜県」になれる!

岡山が恐竜研究において秀でる特徴は二つある。まず一つ目の特徴として、岡山は他県に比べて恐竜研究をしてきた歴史が非常に厚い。その理由は、林原自然科学博物館の存在だ。林原自然科学博物館は、林原株式会社(現ナガセヴィータ株式会社)が運営していた博物館であり、「生物の歴史から人間を考える」というスローガンの下、古生物学分野の研究を行っていた。モンゴル科学アカデミー古生物学研究所と共同し、ゴビ砂漠恐竜化石発掘調査にも尽力していたのだ。また、モンゴル産化石標本の日本国内での研究に加え、古生物学以外の学問分野においては京都大学霊長類研究所と連携した行動生物学や、脳科学の分野の研究についても広く取り組んでいた。まさに、日本の生物学研究の中核を担う場所であったが、組織は2015年に解散。事業の中心は岡山理科大学に移管され、博物館が取り壊された跡地には大型商業施設が建設されてしまった。しかし、1990年代から2011年の約20年間で博物館に収蔵された標本数は約1万点にも及び、 その間は恐竜研究を通じてモンゴルと協力関係にあった。
「戦後の時代から最近まで研究という目的でモンゴルに入国できたのは日本、 ソ連 (現ロシア)、ポーランド、アメリカだけでした。日本というよりも、林原自然科学博物館の研究チームだけだったという方が正しいと思います。モンゴルの中でもゴビ砂漠は特に恐竜の化石が見つかる〈恐竜研究と化石発掘のメッカ〉です」。ゴビ砂漠は限られた人間しか立ち入ることのできない、いわば聖域。林原自然科学博物館の研究が岡山理科大学へ移管された現在でも変わらずモンゴルの研究チームと関係性を構築できているのは、当時の研究者たちのたゆまぬ努力があったからに違いない。二つ目は、岡山には恐竜の存在していた時代の地層があり、将来恐竜が発見される可能性があるという点だ。「今日、明日に化石が見つかってもおかしくないですよ」と、林氏は笑みを浮かべる。そもそも、地層とは泥や砂、生物の遺骸などが堆積した場所のこと。化石として発見されるのは、地層が堆積した当時に生きていた動植物の痕跡だ。岡山県は恐竜時代の陸上で堆積した地層が残っているため、、恐竜化石は見つかるはずだ。岡山県は古生代、中生代、新生代の各時代の地層からなり、さまざまな時代の化石が豊富に眠っている。製鉄原料、有機化学工業の原料、セメントの原料として新見市や井原市で盛んに採掘されている石灰岩は、サンゴ類や腕足類などの骨格や殻が堆積してできた堆積岩だ。石炭紀からペルム紀に形成されており、石灰岩からはアンモナイト類や三葉虫類の化石が稀に産出している。また、九州北部から中国地方などにかけて点々と分布する泥岩層は、約2億年前の三畳紀やジュラ紀の地層である。岡山県では恐竜の化石がまだ見つかっていないが、もしも発見するならば、井原市から笠岡市にかけて分布する地層が有望だとか。化石発見のビッグニュースが今から待ちきれない。

動物園や水族館との連携はマスト

岡山における恐竜研究のポテンシャルの高さを存分に知ることができた。しかし、林氏は「いくらポテンシャルが高くとも、 やはり日本では化石の発掘量や標本数の制約がある 」 と続ける。恐竜研究一本だけでは世界の研究と比べて勝負できない場面もあるようだ。恐竜研究で一歩先を行くためには現生生物の研究も重要であり、なかでも動物園や水族館との連携は不可欠だという。化石になった生物は、既に骨だけだ。生きている時のリアルな動きや生態にまで想像を巡らせるため、現在生きている生物を参考にする必要がある。動物園や水族館の動物たちの骨・筋肉・皮膚がそれぞれの位置で稼働する様を絶滅種の場合とリンクさせ、その一挙手一投足や生活様式を想定するのだ。林氏はその好奇心と知識欲から、大学時代は東京の品川水族館でのアルバイトも経験。実は動物園や水族館への就職を考えた時期もあった。それでも恐竜への一途すぎる熱意をもって、ここまでのキャリアを築いてきた。今まで、恐竜から心が離れることは無かったのだろうか。




先輩の何気ない一言に救われた学生時代

研究が嫌になることは無かったのかという問いに対して、林氏は「もちろん、ありました。何がしたいのか分からない時や、もう大学を辞めたいと思った時もあったんです」と話してくれた。その頃、バイト先の先輩から言われた「自分の好きなことに本気になれなかったら、他に何が本気になれるの」という言葉が今の自分に大きな影響を与えてくれたという。普段はお調子者で、一緒にお酒を飲んだり好きな音楽を聴いたりする仲間だった先輩が真面目な話をするので、その意外性もあったかもしれない。その先輩は、いまやドイツで勤務し、世界的な医療機器メーカーにいるのだから説得力もあった。林氏は高校時代に父親を亡くした経験から「死ぬまでにやりたいことをやりきるんだ」という気持ちを心の片隅に持っていたのだとか。大人になるにつれ、自分の夢は叶わないとどこかで割り切って考えていたが、今は違う。若き恐竜博士は「ボーン・ヒストロジー」という自分なりの武器を見つけ、好きなものに本気で向き合い続けている。日本において、恐竜は「研究対象」というよりも「カルチャー」として強い影響力を持っている。 国内外の恐竜展示の現場を知る林氏は、 「 日本の恐竜博物館の集客人数は、海外と比べて非常に多い」と語る。海外で恐竜の特設展示を開催すると、来場者数は数十万人程度だが、同じ展示を日本で開催した場合には100万人規模で人が集まるという。夏休みの特別展示カブトムシ、クワガタに並ぶストロングコンテンツが恐竜なのだ。林氏が大阪や東京で恐竜展を企画した際、普段は数万人の来場者の会場に数十万人が押し寄せた。

良い意味で、日本人は恐竜に狂っている。島国である日本では恐竜化石が見つかりにくかったことや怪獣映画などの特撮文化から、恐竜への憧れや珍しさをより強く感じるお国柄でもあるのだろう。
林氏が今回提案してくれた岡山県の新たなキャッチコピーは「恐竜県」。 これには、 恐竜研究による地域振興だけでなく、岡山県が恐竜研究と一般市民の交わる重要な拠点となることへの期待が込められている。「このキャッチコピーに込めた意味は 、 岡山がもつ学術的ポテンシャルだけでなく、恐竜という強いコンテンツが多種多様なカルチャーの〈窓口〉になってくれるだろうという将来への展望です。恐竜は日本人の心に染み込んだカルチャーであり、それが岡山のもつ別のカルチャーと繋がれば、さらに魅力を増すことになる。新しいコンテンツ作りもいいけど、まずは地域の資源に注目することが大切なんじゃないかな」。

恐竜文化は、単なる海外からの輸入品ではない。今や、日本独自の一大カルチャーとして確固たるプレゼンスを誇るコンテンツでもある。話を聞けば聞くほど、これを活かさない手はないと思わされた。岡山は間違いなく「恐竜県」になれるポテンシャルを秘めているようだ。岡山理科大学の恐竜学科新設に伴い、同大学には恐竜の専門家が8人も在籍することになった。一般的な大学の場合、恐竜の専門家は1人程度であるから異例の配属といっても過言ではない。「恐竜の新事実を常にクリエイトしている場所は、全国でも東京都上野の国立科学博物館、福井県の福井県立恐竜博物館と、岡山理科大学の恐竜学博物館など数えるほどしかない。西日本の重要拠点である恐竜学博物館には年間約1万2000人もの来場者が訪れているんです。岡山は恐竜好きにとってたまらない場所ですよ」。 しかし、 業界全体にはまだまだ課題が山積している。展示をしようにも会場がない、予算がない、人員が足りないと、悩みは尽きない。何より研究現場と社会を繋ぐコーディネーター的存在が圧倒的に不足しているという。林氏の今後の目標は、「サイエンスとカルチャーのブリッジ役」である。新しい発見を続けることに加えて、多様なステークホルダーと繋がり、新しいカルチャーを作り出すことにチャレンジしたいと考えているそうだ。「実は、知り合いのミュージシャンと『恐竜の標本をバックにMVを撮影したら面白そう』と話したことがあるんです。当館で実現できるかは分かりませんが、その話の最中に展示室でライブをしたりDJイベントをしたり…そんな様子を想像しました。僕にとって音楽はとても大事な存在。勇気をもらえるし、仕事が捗るし、昔聴いた曲を聴くと当時の自分を思い出して余韻に浸れます。フェスやライブなどの良い音楽を聴くとやっぱり気分が上がる。なんて言ったらいいんだろ、ファーーーって感じで(笑)」。恐竜を通じて経済、広告、音楽など様々なカルチャーを繋げ、大きな波にすること。それは、林氏にしか務まらない役割かもしれない。




目指せ、恐竜研究とカルチャーの融合!

恐竜カルチャーの浸透を目指すにあたり、科学的基盤に加え、やはり文化的な要素は欠かせない。そこで、博物館における新しい取り組みとして文化的なイベントとの融合が日本でも検討されつつある。海外では、美術館や博物館の展示室内での音楽イベントや結婚式などが身近に開催されるほどサイエンスとカルチャーの垣根が取り払われている。ドイツの都市ケルンでは「ミュージアム・ナイト」といって夕方から深夜まで街中の主要な美術館や博物館が開館する特別な期間がある。この期間は、単なる施設の見学だけではなく、ワークショップやアートインスタレーション、DJライブなどさまざまなパフォーマンスが楽しめる。活気ある体験型アクティビティを味わうため、この期間は世界各国から観光客が集まっているそうだ。一方、日本では海外ほどダイナミックではないが、サイエンスとカルチャーが精神的にもかなり深いところで繫がりを見せている。それが、サブカルチャーとされてきた領域だ。ここで思い出されるのは冒頭にも触れた、林氏の憧れ「ゴジラ」の存在である。「日本の恐竜人気の背景には、クオリティの高い特撮作品が影響していると考えられます。ゴジラをはじめ、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊シリーズなど、年齢も性別も問わず今なお人気のコンテンツばかり。 また、漫画やアニメなどのポップカルチャーも恐竜文化の形成に大きな影響を与えているんじゃないかな」。 また日本では、 恐竜図鑑を開いたことがなくともティラノサウルス、 トリケラトプスなどの有名な恐竜の名前を知っている人も多い。日本の生活に文化としての「恐竜」がしみ込んでいる証拠だろう。「やはり日本は北米や中国と比較して、 恐竜化石の発見数は少なく、 標本数も限られています。しかし日本で発掘された恐竜にはユニークな種が多いんですよ! 近年でも、日本独自の恐竜生態系が形成されていたことを示唆する発見が続いており、世界から注目を集めています」。 2021年には岩手県久慈市の久慈層群玉川層から白亜紀後期に生息していたとされる4種類の獣脚類の歯化石が発見された。同一地域の地層から、複数種類の獣脚類の化石が発見されるのは国内初。獣脚類はティラノサウルス類ともよばれ、食物連鎖の頂点にある肉食の恐竜だ。獣脚類が多様に存在したということは、植物食恐竜や哺乳類、それらの餌となる植物といった生態系ピラミッドが形成されていたことを示唆している 。「 当時の日本列島には、我々日本人でも想像できない豊かな恐竜生態系があったのかもしれません。恐竜研究の拠点である岡山から、世界をあっと驚かせるような発見を目指したいですね」。太古のロマンに想いを馳せつつ、林氏は今日も研究を続けている。もしも「恐竜県おかやま」が実現したら、初代知事は林氏かもしれない。










PROFILE


○はやししょうじ

1981年、大阪府生まれ。岡山理科大学 生物地球学部 恐竜学科 准教授。2009年、北海道大学大学院理学院自然史科学専攻 博士課程修了。 北海道大学専門研究員、 札幌医科大学の非常勤職員を経て、ドイツ・ボン大学でのポスドク研究員となる。その後は大阪市立自然史博物館の学芸員を経て、2017年より現職に就く。恐竜類を中心に、骨の内部組織から脊椎動物の進化と生態について研究。最近では、化石骨組織の知見を現生生物に応用した研究にも取り組む。学研の図鑑 LIVE「新版 恐竜」など監修。


HP.https://www.big.ous.ac.jp/dino/
INSTAGRAM. iwan_crouka



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