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特集:オカヤマの新しいキャッチフレーズ #04 八木景子
23 May 2025
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#4. INTERVIEW
八木景子  女優/演出家

#新しいキャッチフレーズ

「なんなんおかやま」

私たちに自信をくれる、言葉の「アイデンティティ」。
「何なの?」という疑問や驚きを表現する岡山弁、「なんなん」。
岡山県民お馴染みのフレーズに込めた想い。







歌い踊った幼少期の思い出が女優の道を歩かせた

物心ついた時から芸能の道へ

背筋をすっと伸ばし、劇場のステージを颯爽と歩く姿には、長年の経験と自信がにじむ。岡山県出身の女優・演出家であり、株式会社テラエンタテイメントの代表も務める八木景子氏。演劇の企画・制作を手がける同社を運営しながら、演技指導や芸術振興にも力を注ぎ、岡山芸術創造劇場ハレノワの管理運営実施計画検討懇談会のメンバーとしても活動するなど、地元岡山を拠点に幅広く活躍している。彼女が役者を志したのには、幼少期の経験が大きく影響していた。6人兄弟の三女として岡山県の佛住山蓮昌寺に生まれ、幼い頃から「目立ってなんぼ」という気質を持っていた。「物心ついた頃には、家族やお寺のお坊さんたちの前でピンク・レディーやキャンディーズのものまねをしながら歌ったり踊ったり、コントやお芝居を披露していました(笑)。みんなが『上手!すごい!』と褒めてくれるのが嬉しくて、人を楽しませることの面白さを知ったんだと思います」。3歳の頃にはすでに役者を目指し、5歳でクラシックバレエ、10歳でジャズダンスを習い始める。芸能の世界に進むことは、彼女にとって自然な流れだった。そして18歳で上京。「俳優以外の選択肢は考えたことがなかった」と当時を振り返る八木氏。その思いに迷いはなく 、気づけば今も変わらず舞台に立ち、新たな役と向き合っている。

強く生きた東京、もう一度走り始めた岡山

20代の頃、八木氏は稽古や舞台出演に加え、一日3本の映画を観ることを習慣にしていた。膨大な映画の情報に触れながら、芝居に対する感性を磨く日々。そのなかで、特に印象に残っているのが、スタジオジブリ作品 『もののけ姫』の広告ポスターに使われた一言、「生きろ」だった。「俳優という職業柄、一言の中に込められた複雑な感情や背景を想像することが好きなんです。『生きる』でもなく、『生きて』でもなく、ただ『生きろ』。 この短い言葉だけで、受け取る人によって無限の解釈が広がっていくように感じます」。 厳しい芸能の世界に身を置きながら、夢を追い続けた八木氏にとってこの言葉は心が折れそうになるたびに自身を奮い立たせる力になっていたのかもしれない。そんな彼女に「晴れの国おかやま」に代わる新たなキャッチコピーを考えてもらうと、 帰岡したときの印象を振り返りながら、 こう答えた。「いろいろ考えて、〈なんなんおかやま〉にしました。 岡山の特徴のひとつとして、 藤井風さんや千鳥さんのように、全国的なメディアで岡山弁をそのまま使う芸能人の存在があると思うんです。藤井風さんの曲『何なんw』や、千鳥さんの会話に出てくる『なんなん』は、岡山弁の中でも特に広く知られている言葉ですよね。他県の人にも『岡山ってどんなところ?』と興味を持ってもらいたくて、〈なんなんおかやま〉を選びました」。東京での生活が長かった八木氏にとって、岡山に戻ってきたときの感覚は新鮮だったという。交通の便がよく、自然も豊かで、どこか懐かしさを感じさせる街並みがある。久しぶりに歩く地元の景色に、思わず「なんなん、岡山」と心の中でつぶやいた。八木氏が指摘するように、岡山弁はメディアを通じて全国へと広がり、その響きが自然と人々の記憶に残るようになった。たったワンフレーズの方言が、地域のアイデンティティとして、岡山の存在感を際立たせている。





とにかく人を楽しませることに夢中だった女の子がそのまま真っすぐ俳優になる

岡山に帰ったきっかけ

東京で活動を続けて15年が経った頃、父親の病気を機に八木氏は岡山に戻ることを決めた。きっかけは、 父の「帰ってきたらどうだ?」という一言だった。「父が体調を崩したことで、 自分のやりたいことをやれてはいるけど、父とほとんど話せてなかったなということに気づいたんです。とりあえず一カ月だけ岡山にいよう、と決めました。それに私自身も15年間走り続けてふと休みたくなったんですよね。 実際に帰ってみると、『 岡山って、なんて気持ちが楽なんだろう!』って、思わず感動しました」。 人に癒され、街に癒され、自然に癒される岡山。時には風景を眺めるだけで涙が出たという。東京ではずっと気を張り続けていたことに、岡山に帰って初めて気がついた。

女優から僧侶へ

八木氏は現在、僧侶としての道も歩んでいる。実家がお寺という縁もあり、資格を取得して正式に僧侶の一員となった。「コロナ禍で病を患い、入院したときに気づきがありました。あの時期は家族ですら面会謝絶。誰とも話せないし、2週間点滴生活で飲まず食わず。身体も心も飢えていました。そこで、どれだけ人に支えられて生きてきたのかを痛感したんです。人生の折り返し地点で、私に何ができるかを考えた末に、お寺の仕事を継ぐことを決めました」。両親に相談すると、「わらじを2足、3足と履いたらいいよ」と背中を押してくれた。お寺は、もともと文化の発信地であり、学びの場でもあった。また、僧侶には、人々の悩みや不安を解消する役割もある。八木氏は仏教の学びを深めるうちに、「人に生き方のヒントを与える」という点で、役者と僧侶には共通点があることに気づいたという。「説法には、例え話や生活の知恵がたくさん盛り込まれています。芝居も同じで、物語の中にメッセージが込められていて、観る人がそれぞれの解釈をすることで、喜びや感動につながる。私は芝居を通して、長年僧侶の心得を学んでいたんだと感じました。今では父や兄からも『お前は僧侶に向いてるよ!』と言われています(笑)」。彼女がこの道を選んだのは、ごく自然なことだったのかもしれない。




エンタメをもっとボーダーレスに!

帰岡当時、八木氏は地元での演劇活動がすぐに理解されるとは思っていなかった。それでも、実際に始めてみると想像以上に厳しい現実があったという。地方では芸能文化に対する認識が東京ほど広がっておらず、活動の幅が限られてしまうことは分かっていたが、あまりに閉鎖的な雰囲気に悔しさを感じることもあったという。「当時は業界の人達から『とんでもない奴が帰ってきた』と思われていたでしょうね(笑)。岡山にも精力的に活動されている劇団やダンス教室はありましたが、あまり横の繋がりはみられず、特にジャンルを横断した取り組みには慎重な人が多かったんです。他の団体と何かで連携するなんて、誰も考えもしないような雰囲気でした」。
そんな岡山の現状を打開しようと、八木氏はある企画を考えた。それが、2007年に実家の蓮昌寺で開催された『テラ・アートフェスティバル』という複合イベントだ。異なる芸術分野の人々が出会い、互いに刺激を受けながら成長できる場をつくろうという実験的な試みである。当時ではまだ珍しかったムービングライトも取り入れ、ダンスや音楽、演劇が融合する総合芸術のショーを本堂で上演した。「音楽は生演奏、芝居あり、歌あり、ダンスあり。しかもダンスはバレエ、モダン、ジャズ、アフリカンを交えたスタイルで、ひとつのジャンルに収まらない表現になりました。客席にはござと座布団を敷き、その上に絵を描いた布をかぶせて空間全体を演出。境内には天女の姿をした案内人が立ち、訪れた人々を非日常へと誘いました」。
寺の敷地内各所でパフォーマンスやインスタレーション、物販も行われた。ステージでは若者が自由に歌い踊り、岡山大学の美術部が剣道場で作品を展示。中国デザイン専門学校の学生が制作した衣装を発表し、手作りの小物販売コーナーも設けた。「お寺に足を踏み入れた瞬間そこには別世界が広がっている。そんな、今まで岡山で見たことがない光景を作るのが楽しくて仕方なかったですね」。異なる分野の芸術が交わることで、新たな表現が生まれる。このフェスティバルを通じて、八木氏は次世代の若者に新しい経験と活躍の機会を提供したいと考えていた。この日は蓮昌寺一帯がダンスクラブのような熱気に包まれ、役者、歌手、ダンサー、音響、カメラマンが一体となるようなグルーブをそれぞれが感じていたという。この一夜のイベントが参加者に与えた影響は、後の岡山のさまざまなムーブメントの萌芽ともなっているようだ。『テラ・アートフェスティバル』によって、八木氏自身も岡山のエンターテイメント業界に受け入れられるきっかけになったと感じているという。イベントの反響を受け、芸能を志す人々がジャンルを超えて学び合い、成長できる場がもっと日常的に必要だと確信した八木氏は、2021年「株式会社テラエンタテインメント」を設立した。〈テラ〉とはラテン語で「地球」や「大地」を意味する言葉。表現の境界を無くし、岡山の才能が開花する土台となることを願い、この名前を選んだという。また、芸能の育成機関「テラ エンタテインメント・アカデミー」を開校し、次世代のアーティスト育成にも力を注いでいる。「本気で役者を目指すなら東京に行かなきゃいけない、そう思い込んでいる人は多いですよね。でも、岡山に活動の場がないから仕方なく東京へ行くというのは、やはりもったいない。岡山でも活躍できる環境を整えることが大切だと考えています。その上で、必要があれば他県にも出ていけばいい。そう思いながら、芸術文化の振興と次世代の育成に力を入れています。自分ひとりだけなら会社にしなくてもよかったんですけどね(笑)」。現役の俳優として映像や舞台に出演を続けている彼女のモチベーションは、その作品と自分のためだけではない。自らが「地方でも芸能活動はできる」というロールモデルであるためだ。 『テラ・アートフェスティバル』をきっかけに、岡山の人たちと一緒にものをつくる喜びを知った俳優「八木景子」は、岡山で唯一無二のパラレルキャリアを歩んでいる。


芸術が花開く土壌づくり

現在、「 岡山フィルムコミッション 」の発足により岡山を舞台にした映画撮影が増えている。これに伴い、地元の役者が活躍できる場も広がりつつあるようだ。同プロジェクトは、映画製作を通じた地域活性化と次世代クリエーターの育成を目的とし、岡山県をロケ地とした作品の制作を推進している。完成した映画は全国の映画館での上映を予定しており、商業作品として広く公開される計画だ。こうした動きが加速することで、出演者にも岡山出身者が積極的に起用される可能性が高まりつつある。そんななか八木氏はこの流れを見越して約10年前から地元での次世代育成に取り組んできた。指導を受けた教え子たちも、ようやくプロの世界で活躍できる段階にまで成長してきたという。「 主役やメインの役だけでなく、ちょっとした役でも岡山出身者に…という話があったときに、適任の役者がいなかったり、実力が伴わなかったりしたらもったいないですからね。だからこそ、地道に準備を続けてきました。結果として、教え子たちがオーディションに合格できるようになってきたのは本当に嬉しいことです。周囲からは『そんなところを耕しても芽は出ないよ』なんて言われたこともありましたが、それでも信じて 岡山で 20年間芸能の土を耕してきました。 ようやく、これから花が咲く。そう思うと、楽しみで仕方ありません」。目の前の成果だけでなく、長期的な視点で地道に育成を続けてきた八木氏。その積み重ねが、岡山の芸能文化を支える大きな力となりつつある。





岡山の芸能育成とハレノワの役割

2023年9月、岡山芸術創造劇場ハレノワがグランドオープンを迎えた。岡山の新たな文化拠点として期待されるこの劇場について、計画段階から関わってきた八木氏はその役割をこう考える。「大きな期待を背負って誕生した施設ですから、まずは岡山の人々のために積極的に活用されてほしいですね。そして、単なる劇場にとどまらず、岡山駅から続く商店街や地域と連携し、まちの活性化につながる場になれば理想的です」。八木氏は、単なる公演の場ではなく、地域と結びつきながら芸術を支える拠点となることを望んでいるようだ。ハレノワがどのような場所になるのかは、市民や県民の関わり方次第。岡山に誕生したこの新たなランドマークが、そのポテンシャルをどこまで発揮できるのか。その挑戦は、まだ始まったばかりである。

自身が思う理想の役者像とは

八木氏は、自身を「没入型の役者」と表現する。どんな場にいてもどんな仕事をしていても、その中心には常に俳優・八木景子があるという。初めて出演した映像作品は、俳優・竹中直人が主演を務めたドラマだった。「撮影は春先の寒い日で、私は薄いブラウス一枚でした。すると、竹中さんがカイロを配り、歌って踊って場を和ませてくれたんです。その姿を見て、こんな俳優になりたいと思いました」。
岡山を拠点に活動するようになった後、竹中の方言指導を担当する機会もあった。「昔の話をすると、『僕、そんなにカッコイイこと言った?!』と驚いていました(笑)。今もご縁が続いています」。竹中の飾らない姿勢に触れ、相手の立場や来歴を問わず接することの大切さを実感。自身が代表を務める養成所では、俳優を「俳優部」と位置づけ、照明部や衣装部と同等の立場であると強調する。「周囲に配慮できる人こそ一流です。役者を極めたいなら、小手先の技術だけでなく、人間力が不可欠だと思います」。
八木氏の働きかけによって、岡山に新たな表現者たちが次々と生まれる流れができつつある。地域の演劇や芸術文化がさらに盛り上がり、「岡山、なんなん?」と注目される機会も増えていくだろう。舞台の上でも、舞台の外でも。岡山の芸術文化を動かし続ける俳優「八木景子」の挑戦は続く。










PROFILE


○やぎけいこ

岡山県出身の女優・演出家。株式会社テラエンタテイメント代表。幼少より、クラシックバレエやジャズダンスを学ぶ。劇団テアトロ海養成所にて演技を学び、15年間東京を拠点に俳優として活動。帰岡後は、俳優業、舞台や映像作品の企画・演出、演技講師や岡山芸術創造劇場の管理運営実施計画検討懇談会メンバーに加わるなど、多方面で活躍。主な出演作品に「ういらぶ。」、「はるかの陶」、「八つ墓村」、ドラマ「おとなりコンプレックス」など。2021年には、芸能プロダクションを設立。次世代を担う人材の育成・プロモーションに力を入れる。


HP. https://terra-ent.com/
INSTAGRAM. yagi.keiko.33



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