#2. INTERVIEW
丹正功一 / 池宗俊二 YEBISU YA PRO
#新しいキャッチフレーズ
“もっと” 燃えろ岡山
燃えろ岡山ではなくて、 “もっと”燃えろ岡山の “もっと”なんよ。
“もっと”。
エビスヤの二人が 大事にしている
《もっと》に込めた 岡山の可能性。
二人が築いた音楽の交差点
岡山の音楽好きはもちろん、国内外のミュージックラバーたちからも愛されるイベントスペース「YEBISU YA PRO(エビスヤプロ) 」。もともとはクラブ中心の営業だったが、入居していた商業ビルの取り壊しが決まり、約10年前に福武ジョリービルへ移転した。このタイミングで、バンドやライブイベントにも対応できる「ライブハウス」としての一面を強化。有名アーティストのツアーからサブカルな文化人のトークイベントまで、あらゆるジャンルやカルチャーを包摂する《ハコ》としてさらにポテンシャルを高めた。エビスヤプロは、岡山の音楽シーンのハブであり、《クラブ》と《ライブハウス》二つの顔を持つユニークな場所としてプレゼンスを確立している。立ち上げたのは、運営会社FIASCOの代表である丹正功一氏とエビスヤプロ店長を務める池宗俊二氏の二人。パンチパーマがトレードマークの丹正氏、蓄えられた髭と船長帽がアイコンの池宗氏は、風貌に違わないユーモアの持ち主で、一度会ったら忘れられない個性的なコンビだ。エビスヤプロのステージに立った出演者の中には、彼らのファンになったことで岡山のレギュラー公演を続けているのではないかと目されるミュージシャンもいる。店名の由来は、丹正氏が周りの人から「七福神の恵比寿様に似ている」と言われていたことを気に入って取り入れた。「プロ」は、「みんなを楽しませるプロフェッショナルとして、そのためのプロジェクトとプロデュースをやっていく」というトリプルミーニングにもなっている。「そもそも『エビスヤプロ』は店の名前だけじゃねえんよ。もともとは『みんなが笑顔になれることをやりたい』思うて立ち上げたプロジェクトの名前。これからはもっといろんなロケーションでも面白いことを仕掛けていきてんよ」と丹正氏は話す。エビスヤプロ現店舗での活動を始めて10年、「最初はクラブだけとは勝手が違うて試行錯誤じゃったけど、がむしゃらにやってきた10年。もっといろんな人に今の『エビスヤプロ』を知ってもらいてえな」と語る池宗氏。海外の気鋭アーティストが来日した際には、全国わずか3箇所の公演で東京、大阪の他に唯一「岡山(YEBISU YA PRO)」の名前があることも。特に音楽業界では、いまや「岡山と言えば」の場所の一つだ。二人がみんなを楽しませたいという思いで築いてきた唯一無二の場所は、アーティストとオーディエンスのハートをがっしりと掴んでいる。
「好きなことで」勝負する
丹正氏は、20代の頃からアパレル店で店長を務めながらDJとしても活動していた。28歳のとき、「本当にやりたいことは何か」と自問し、音楽の道へ舵を切る。まずは手始めに「とにかくデカいスピーカーが欲しい」と1年間資金を貯め、スピーカーを購入。これを使って野外イベントを主催するようになったのが、現在へと続くキャリアの始まりだった。音楽仲間であった池宗氏とタッグを組み、大規模な野外レゲエフェス「REGGAE Japansplash」の岡山版を開催。しかし、思ったように集客が伸びず借金を抱えることに。「俺たちがレゲエに詳しくないのがバレバレで、あいつらのレゲエイベントには行くな言うて2チャンネルで叩かれだしたんよ(笑)。お金に目が眩んで、本当に好きなことで勝負しなかったのが原因じゃった」と丹正氏は振り返る。この失敗を機に、「自分たちの好きな音楽で勝負する」ことを決意。次に仕掛けたデトロイトのレジェンド 『MOODYMANN』を招聘したイベントでは全国から多くの観客が集まり、やはり自分たちの好きな音楽を信じることが大事だと確信した。自分たちの「好き」に正直であることは、現在も変わらないアティテュードであり、全ての原動力と言えるだろう。こうしてイベントの企画を次々と手がける中で、二人は常設の拠点となる場作りの必要性を感じるようになった。資金調達のため、計画書を持って金融機関を奔走。フリーターという肩書に偏見を持たれながらも、情熱で融資を取り付け、2010年4月に株式会社FIASCOを設立した。そして、同年7月にオープンしたのが、念願のイベントスペース「YEBISU YA PRO」なのである。
夜空に星がある限り
「毎年秋に岡山県・美星町で開催されている野外音楽フェス「STARS ON(スターズオン)」は昨年15周年を迎えた。彼らが主催する野外イベントの中で最も長く続いている企画だ。朝から夕方、夜にかけて徐々に変化するロケーションを愉しみつつ、ここでしか観られない美しい星空と素晴らしいアーティストのライブを目当てに、全国の音楽ファンが訪れている。
丹正
「昔はようスタッフの打ち上げ時に『夜空に星がある限り。スターズオン続けていきますんで』って言いよったんじゃけど…(笑)」
池宗
「それがスベる時代って悲しいよのう……(笑)」
丹正
「いや、最初言うた時は『おお!』って皆なりよったんよ」
池宗
「今は若い子らぁ、『はよ乾杯しょーやー』いう感じじゃもんの」
丹正
「わしは学生時代含めて、15年続いたもんなんて他にねんよ。ぜったいまた言うちゃろうとは思うとる(笑)」
池宗
「そりゃ、続けたほうがええよ!」
「もっと燃えろ岡山」は老害か⁉
今回の企画である岡山の新しいキャッチフレーズについて、二人は「もっと燃えろ岡山」だと答えてくれた。1985年頃、岡山県では当時の知事が提唱した「燃えろ岡山県民運動」というスローガンを元にしたムーブメントがあったのだが、これをリファレンスしたフレーズだ。二人は池宗氏が理事長を務めるNPO団体を立ち上げており、その法人名も「もっと燃えろ岡山」なのである。「もっと燃えろ岡山!Bose岡山観光大使への道」と題したトークイベントから始まり、主催した「でゑれ〜祭」というイベントで岡山県出身のBose氏(スチャダラパー)を実際に晴れの国おかやま観光大使に任命することに成功。また、クリエイター坂本渉太さんがデザインした「もっと燃えろ岡山」のキャラクターでLINEスタンプをリリースするなどユニークな活動を展開している。NPO活動のニューウェイブとして注目され、2014年には岡山アワードも受賞することになった。振り返れば、10年以上にわたって口にし続けてきた「もっと燃えろ」という言葉。二人に改めてこのフレーズに込めた思いを訊いてみた。
丹正
「わしらのは『もっと燃えろ岡山』じゃな。」
池宗
「その当時は、燃えろ岡山じゃな。」
丹正
「”もっと“なんよ。同じじゃなくて、”もっと“燃えていこうという。」
池宗
「そう、”もっと“なんよ。」 丹正「『もんげー岡山』とか昔あったじゃろう? あれが妖怪ウォッチの”もんげー“に乗っかったみたいに見えてしもうたんよな。別に悪いわけじゃねえけど、『もっと燃えろ岡山』は内側からもっと熱を出して、なんか新しいもんを生み出せんかなあと。岡山の老若男女が〝もっと〟燃えていったら、岡山はもっと面白いことになるんじゃねえかなと思っとんよ。」
池宗
「イベントを企画・制作する上で重要なのが、イベントに対しての熱量だと思ってて、まさに『もっと燃えろ』なんじゃけど、自分たちの”もっと“、”もっと“という想いや行動が、イベントを通して若い世代に何らかの形で少しでも伝わったらいいなと。県外の人に向けたアピールにはならんかもしれんけど。岡山の人にしてみたら、俺らは老害みたいなもんよ。老害の権化じゃ。みんなにもっと熱くなろうで!とか言って(笑)」
丹正
「じゃけど、やり続けりゃいつか伝わるかもしれんが。」
池宗
「そうそう。老害っていうのは途中でやめるけえ、老害になる。熱意が伝わった時、それは老害じゃなくなる。」
「やるときゃやります15歳」
「あ~したはどっちだ~♪」
「悩んだらやる!」が 俺らのスタイル
自分たちが本当に好きだと思えるもの、熱量を持って取り組めることに向き合ってきた二人。何かを始める時に「東京っぽいことをやってもあまり意味がない、岡山だからこそできる面白いことを追求していく」ことも大事にしているという。その言葉通り、有名無名を問わずブッキングされるアーティストや独自の企画には、東京に無い彼ら特有の「らしさ」が感じられる。しかし、一般的に考えれば、地方都市で開催するにはハードルが高いイベントが多いのも事実だ。なかには採算が見込めないような場合もある。どんなにやりたいことであっても、普通はそれで断念してしまいそうなものだが、この二人はそうはしない。それがエビスヤプロの凄みに繋がっている部分もあるのだが、臆せず踏み込める立脚点はどこにあるのか。二人がこれまでの人生で影響を受けたフレーズを尋ねた中に、答えがあった。
池宗
「俺は『あしたのジョー』の『あしたはどっちだ』。これ昔からなんか心にあるんよ。」 二人「あ~したはどっちだ~♪」
池宗
「これってすごい迷いのあるニュアンスの言葉だけど、俺は前向きに捉えとるな。〝あしたはきっとなにかある あしたはどっちだ〟って歌詞なんじゃけど、なんかワクワクするんよな!というかこれも老害ファイル内のひとつで、『お前、あしたのジョー知らんのか?』いうて(笑)」
丹正
「中3の時、俺らが嘘ついたりしたら、泣きながら『なんでそんな嘘ついたんな』とか言うてくれるような、すげーアツい担任の理科の先生がおって。その先生がテストの時に、『理科は学年で一番高い平均点とろうや!』って言うたんよ。勉強は中の下じゃったけど、その言葉に燃えて、でえれー頑張ったんよ。そしたら頭ええ奴らと一緒に満点とった。ほんでそんときに担任から『ふだんはちゃらちゃらふざけとるけど、丹ちゃんはやるときはやるな!』って言われて。それから座右の銘とか考えさせる授業の時に、色紙かなんかに『やるときゃやります15歳』って書いたんよ。そのころからバーンとやるときはやるんだという精神が生まれて、いまだに残っとる気がする。」
池宗
「たしかに、基本的にうちの会社は悩んだときはやるスタイルがあるもんな。イベントとか何でも、やるかやらんかで迷うってことは、もう半分は『やりたい』気持ちがあるわけじゃから。 それなら『やってみようや』って決める。結局それで失敗もするんじゃけど、結果的には面白いことになっとる。やりたくないことを渋々やるよりも、よっぽどえんじゃないんかと思うわ。」
あだ名
二人が、エビスヤプロにとって重要な人物のひとりだと話すのは『電気グルーヴ』の石野卓球氏だ。まだお店ができる前、企画したイベントで卓球氏を最初に岡山へ招聘したのが二人だった。そこから親交を深め、開店に向けて相談に乗ってもらっていたという。エビスヤプロのオープン後、レギュラーパーティの開催や周年イベントでのDJプレイに加え、念願だった『電気グルーヴ』での出演も実現。丹正氏が顔師匠(ピエール瀧氏)のお題に応える「顔道場」なる企画や丹正氏の髪型をプロデュースする「石野卓球の魁!パーマ塾」といったユニークな企画も生まれた。傍目から見ても、アーティストとハコという関係に終わらない昵懇の間柄だ。音楽はもちろんのこと、二人は卓球氏のユーモアのセンスや常に面白いものを見つけようとする姿勢にも刺激をもらっているという。
池宗
「店にとって重要な人じゃな。」
丹正
「卓球さんはワードの天才よ。」
池宗
「社長はよーけ有難いあだ名つけてもらっとるよな。」
丹正
「『丹正くん、魚肉ソーセージだね』ゆーていきなり言われたり(笑)」
池宗
「後で写真とメッセージで補足してくれたりもするんよな。」
丹正
「もろうたあだ名はちゃんとメモして残しとるんよ。えぇっと、『プロ不細工』、『おつむタランティーノ』、『倉敷ロマン』、『変態ではない単なる助平』(笑)」
池宗
「スケベじゃのうて助平(笑)」
丹正
「二人のも付けてもらっとるな。」
二人
「『岡山の便器グルーヴ』(笑)」
丹正
「これって一回聞いただけで忘れられんし、愛があるよな。一番好きなのは『プロ不細工』じゃな。不細工って悪口じゃけど、プロがつくことで面白くなるっていう(笑)。あとエビスヤプロのプロにもかかっとるし!人によっては傷つくんかもしれんけど、俺はこうやって思い返しただけで元気が出るんよ。」
卓球氏のアイデアで、伝説の英エレクトロニック・ロックバンド『Depeche Mode』の創設メンバーであるマーティン・ゴアの髪型に丹正氏が変身するユーチューブ「エビスヤ顔ちゃんねる」の「マーティンパーマ篇」には、彼らの関係性がぎゅっと詰まっている様に感じる。とにかく面白いので、ぜひ視聴して欲しい。
応援者のおかげで 乗り越えられたピンチ
あの当時、コロナ禍で音楽業界への風当たりが強かったことはまだ記憶に新しい。クラブやライブハウスは対応に追われ、イベント自粛を余儀なくされた期間も短くはなかった。運営方法を模索しながら、未知のウイルスの脅威を乗り越えようとしていたが、未曽有の緊急事態の中で、さすがの二人も堪えるところが大きかったという。そんな中で力となったのは、やはりお店にかかわる人々の応援だ。クラウドファンディング「岡山 YEBISU YA PRO 支援プロジェクト」では、石野卓球、DJ NOBU、tofubeats、宇川直宏、いとうせいこうなど、錚々たるアーティストや著名人からのメッセージも寄せられ、目標金額を超える支援を受けることになる。二人は、この時の感謝を忘れることは決してないと話してくれた。
池宗
「ビルの取り壊しで急に移転せにゃいけん様になった時も大変じゃったけど、あれは何倍もしんどかったかもしれん。自分たちだけじゃ何とかならんかった。『助けて良かったわ』って思ってもらえるようにいろいろ挑戦していかんと。」
丹正
「乗り越えさせてもろうたんよ。やっぱりコロナ禍で助けてくれたお客さんであったり、演者の人であったりがウチを残したいと思ってくれたから今のお店があるわけじゃが。苦しい時をともに乗り越えようとしてくれた人たちに、これからもお店を愛してもらえるような努力は絶対に続けていかにゃいけんと思っとる。」
全国に伝わる店を目指しながら、 1万人規模のフェスを岡山で!
現在の場所にエビスヤプロを移転して10年、スターズオン15年という節目を無事に見送った二人。現在もお店では周年を記念した企画「でえれ〜‼︎」が開催されており、馴染みのビッグアーティストの出演が続々と決定している。これからの目標として「岡山で数万人規模のフェスをやりたい」、「全国区の店に」と意気込む二人の《もっと》は、さらに熱量を増しているようだ。
丹正
「スターズオンは、自分らがやるイベントの中で一番長く続くフェスにしていきてんよ。あとは、それ以外にも岡山城とか後楽園とか、岡山の面白い場所でイベントをやっていこうと思っとる。最終的には1万人規模くらいのフェスを目指しとって、そこに向けて少しずつ動いとるところ。『もっと燃えろ岡山』で盛り上げようってよんじゃけぇ、挑戦し続けたいわな。もちろん、お店も大事にしながらなんじゃけど、もともと『エビスヤプロ』いう名前に込めとったプロジェクトの意味にも立ち返って、いろんな企画もやっていけたらええなと。」
池宗
「もっともっと岡山の人に、来たことが無い人にも遊びに来てほしいし、一番望んどることは全国の人にエビスヤプロいう名前が伝わる店にしたいなってのはあるな。『岡山といえば』いうよりも『クラブとかライブハウスといえば』になれたらいいなと思っとる。京都の『磔磔』とか、そんなレベルの店にしていけたらええな。出演者の人にもお客さんにも、もっと頑張って、また来たいと思ってもらえる店にしていかんと。」
二人の『もっと』という思いを支えてくれる大勢の人たちの力によって、2度の大きな試練を乗り越えてきたエビスヤプロ。
岡山と世界の音楽やカルチャーを繋ぐ交わりの焦点は、『もっと燃えろ岡山』の掛け声を火種に、熱を孕みながらさらに大きく膨らんでいきそうだ。
PROFILE
○丹正 功一
株式会社FIASCO 代表取締役社長/倉敷市出身、神戸理容美容専門学校卒。某アパ レルショップに勤務しながらDJとして活動。その間、数々のイベントを自身で開催する。2010年4月に株式会社 FIASCO を設立。同年7月にイベントスペース「YEBISU YA PRO(エビスヤプロ)」 をオープンした。毎年秋に開催される人気野外音楽フェス「STARS ON(スターズオン)」のほか岡山県を中心にイベント企画を手がける。
○池宗 俊二
YEBISU YA PRO 店長/丹正氏と共に音楽イベントを企画。YEBISU YA PROの立ち上げに参画し、現在は店長として運営のキーマンを担っている。NPO法人もっと燃えろ岡山理事長として2014年オカヤマアワード受賞。愛称は「キャプテン」。
HP. https://yebisuyapro.jp/
INSTAGRAM. tanshokoich the_bonobos
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