presented by INOUE HOLDINGS CO.,LT
Where there’s a will,there’s a way
葬祭業界と地域社会の活性化に邁進し、儀礼文化の形骸化に警鐘を鳴らす井上万都里が連載する対談企画。それぞれの道を強い意志で歩み続けるゲストの言葉から、あなたの人生を切り拓く明日のヒントが見える。
“THE RITUAL CULTURE IN THIS COUNTRY IS ALWAYS VERY INTERESTING.”
「この国の儀礼文化への興味は尽きない」 ーMATSURI INOUE
意識して“伝える”。その連鎖が未来につながっていく。
ー井上万都里 株式会社イノウエホールディングス 専務取締役
しきたりや慣習には意図や背景があり、人々の想いが宿っている。
ー高宮 浩彰 真言宗御室派 衹園山観音寺
ーー 弘法大師・空海の教えを学び、仏道に
井上)立派な山門が歴史の長さと風格を感じさせる、こちらの衹園山観音寺の成り立ちについて、まず教えていただけますか。
高宮)かつてはこの衹園山の向かいの山にあったとされていますが、江戸時代初期にこの場所(倉敷市玉島陶)に再興されたと思われます。その後、明治時代に一時無住になったのですが、それ以前の資料も過去帳もなく、はっきりとした縁起はわかっておりません。平安後期のものと思われる仏像があることから、おそらくその頃開創したのではないかと。私がこの寺の住職を拝命したのが平成11年です。高野山大学密教学科を卒業後、帰郷して当寺に副住職として勤めさせていただきました。27歳のときに専任の住職を拝命し、今に至ります。
――一に掃除、二に掃除 心を磨く掃除の修行
井上)こちらの本堂も内陣も非常に豪奢で美しいですね。そして清潔で心が洗われるようです。とても綺麗にされていらっしゃるのは、ご住職のこだわりでもあるんでしょうか。
高宮)掃除は好きなんですよ(笑)。やはり仏様のいらっしゃる場所なので、きれいに掃除をして皆様に気持ちよく参拝していただくことは、身だしなみを整えることと同じだと思っています。仏さまを敬い、お祀りすることにもつながります。高野山での修行時代は、「一に掃除、二に掃除。三、四も掃除であと勤行や」と言われていました。自分の目で見えるところを掃除し、綺麗にすることによって、目には見えない自分の内面も磨くのだと。絶えず清潔に保っておくことが大切なのだと教わってきました。檀家さんが来られて「いつも綺麗ですね」と晴れやかな気持ちになってもらえるならば、それも功徳だと思っています。
井上)まったく同感です。葬祭業はホスピタリティ、人間力が求められる仕事ですが、これは当たり前のことで、さらにそのホスピタリティが生きる環境をいかにつくり、保っていくかがとても大切だと思っています。当社のスタッフにはいつも「勤務時間が掃除時間だ」と言っています。出社後に各部署で20分ほど掃除をしていますが、この掃除時間が終わったからといって、あと一日掃除をしなくていいわけではない。例えばホール入口のマットは、朝掃除をしても来館者の方々が通るとどうしても汚れていきます。朝きちんと掃除していても、その後来られた人には「掃除ができてない」と思われるでしょう。ですので、朝の掃除で終わりではなく、勤務時間中は常に「汚いところは綺麗に整える」という意識を持ち、習慣をつけておくことで、「気づく能力」も高まるでのはないでしょうか。ご住職がおっしゃったように、掃除をすることで、自分自身の心も綺麗になるというお話にはとても共感します。
高宮)簡単なようで難しいことですが、大切ですね。
ーー仏様にまみえるための 正装=礼服
井上)法事ではなるべく礼服をお勧めされるとお聞きしました。この「道」という企画は、儀礼文化を守り次代に繋いでいくという意図も込めているのですが、ご住職が礼服を勧められるのも、やはり大切な儀礼は守るべき、という思いがあるのでしょうか。
高宮)法事は、生きている人同士の付き合いというだけではなく、目には見えない「仏さま」という存在を感じるためにする儀礼です。目に見えない存在の方にお会いする場所に出かける時に礼を尽くすための「正装」が礼服ということです。礼服というと喪服だと思われがちですが、黒色というのは色として全部の色を併せ持つ色であり、一番強い色という意味もあります。多くの国で礼服は黒色だと思いますが、正装として礼服を身に着けて行くというのは、そこに臨む心構えを表すもの。「気持ちがあれば服なんて何でもいいでしょう」ではなく、やはり形も整えるべきだと思っています。法事にジーンズで来られる人もいますが、「いや、それはふさわしくないでしょう」と。ただし、むやみやたらに押し付けることはしません。礼服を着用する理由は、目に見えない存在ではあっても「ここに確かにおられる仏さま」への畏敬の念を持つという意味があるのだと伝えたいのです。ご先祖様を敬う、日本ならではの祖霊の文化であるとも思っています。決められているルールだから礼服だけ着ておけばよいというのではなく、意味があることだと感じて自発的に行動してもらえるのが望ましいですね。
ーー物事の意味や意図を深く知り 次世代に伝えていくべき
井上)今の時代は「伝える時代」だと思います。コミュニティがしっかりしていた昔は、自然に伝わっていたことも、誰かが何か意図を持って伝えないと伝わらない時代になっています。先ほどご住職がおっしゃったように、たとえジーンズで来られる方がいても、ご本人は悪気もなく、おかしいとも思っていないかもしれません。しかし、ご住職に諭されることによって「やっぱり正装が必要だったんだ」と自分自身の意識を変えることができれば、たぶんお子さんにも伝えられるでしょう。その連鎖が今の時代に求められていると思っています。私も自分の子どもたちには、言葉ではもちろん、行動も含めて伝えています。必ず日課にしているのがお仏壇への挨拶。朝起きたら一番に仏間に行って線香を立て、「今日も1日よろしくお願いします」と手を合わせてから会社に行きます。また毎月1日は全体朝礼がありますが、午前中は父と私と弟で必ずお墓参りに出かけます。私は新品のタオルで墓石を綺麗に拭き、父は花筒を洗い、弟は花を供えるという役割を決めて分担してきました。これは自分の存在意義を確認し、感謝を伝える我が家の大切な月例行事です。今の若い世代は、宗教的なことから離れつつありますが、この「道」という企画を通して、儀礼文化や宗教観ということも発信していければと思っています。
ーー昔話や伝説を通じて 本来の意味を伝える
井上)「そういうものだから」という儀礼的な慣習を、意味なく強要されると反発する。そんな若者も多いと思いますが、そういった方々に上手く伝えるには、どうすれば良いでしょうか。
高宮)先祖といっても漠然として分かりにくいと思うので、例えば昔話や、山やお米の信仰といった話を織り交ぜて、今まで当たり前にしていたことにも意味や背景があるという説明をしています。昔話や昔の人の信仰のかたち、先祖に対しての思いなどを少しずつお話し、「なぜこういうことをしていたんだろう」という紐解きですね。どちらかというと民俗学っぽいお話もあります。そういう話の方がスッと入ってくるので、重要だと考えています。 「こういうものだからやりなさい」というのではなく、お盆やお正月の行事はこういう意味があってしているんだよという話をすると、割と若い人のほうが聞いてくれますよ。たとえば年末に大掃除をするのは正月に先祖の霊を迎えるため。先祖が帰ってくるのは「歳」をいただくためなのです。家族みんなで集まり、そこには目に見えないけれど先祖も帰ってきていて、一緒におせちやお餅を食べる。正月が明けた15日に先祖がお帰りになったらみんな一つ歳をいただく。だから昔の成人の日は1月15日だったんです。誕生日ではなく、みんな一斉に歳をとる「数え年」の慣習はここからきているんですね。このように今にも繋がるお話をして、本当の意味を伝えています。「こういう背景や意味がある」と分かったうえで、今の人ができる範囲で形を変えていくのは良いと思っています。「古いし面倒だからやめよう」と簡単に切り捨てるのではなく、昔の人が「なぜ続けてきたのか」、「そこには霊力があると思ってやってきた」など意味を知っていただけるような説明を心がけています。
――現代に則した 変化を享受していく信仰
井上)何もかも変えない、ではなく、今の時代に即して変えるなど、踏襲と進化のバランスが重要ですね。
高宮)例えば正座にしても、今は生活様式も違うので、変化はあっていいと思います。足を痛めて正座ができなかったら無礼なのかといえば、そうではない。椅子でもきちんと座れば十分敬意は伝わります。ただ、仏さまを拝むのに、私服でもなんでもいいじゃないかというのは違いますが。変化はあってもいいと、私も思います。
井上)当社は毎年4月1日から新卒社員を受け入れており、今年も7名が入社します。新入社員研修のうち最初の2カ月間で葬儀概論といった基礎的な知識、社会人としての心得や名刺の渡し方などいろいろなマナーを学びます。その研修の中に、「幕張研修」というのがあって。「幕張」とは、自宅葬儀の際の室内装飾の基本技術で、私が入社した24年前はまだ自宅葬が60%ぐらいあったので、必須の技術でした。今ではホール葬が主流となっており、幕張をする機会は少なくなりましたが、やはり葬儀社の社員として最低限身に付けておかないといけないと思い、今も受け継いでいます。
ーー古来の人々の祈りや想いが 神聖な場として昇華
井上)現代におけるお寺や神社の存在意義についてどうお考えですか。
高宮)「なぜ神社やお寺があるのか」ということについては、単に浄財(お金)で建ったという物理的なものではなく、人々の信仰心や想いによって在るのだと考えています。人々の祈りや想いが、神社やお寺という形になって表れているのだと。お墓もそうですよね。先ほどの井上さんのお話のように、故人を偲び、ご先祖様を敬うという想いがあって存在するもの。そうした人々が培ってきた想いが集約された場所がお寺や神社であると思っています。
井上)昔、お寺は町の中心的存在でしたよね。江戸時代の寺子屋のように人が集まる場所でもありましたが、時代とともに形骸化していきました。しかし、コミュニティが希薄になっている現代だからこそ、お寺や神社という場所が、人と人の接点を再び繋いでいけるのではないかと、私は思うのです。今はグローバル社会で、東京や海外に就職した若者が、身内が亡くなったときに帰ってきて、葬儀で親族や故人の友人と会う。我々は葬儀社としてその機会、接点を繋いでいける仕事だと思っています。神社仏閣もやはり人が会する場所なので、これからますます重要なポジションになるのではないかと思っています。
――地縁を大切にし、 身近な氏神様に親しんで
井上)どんな理由でも、人が集まれる〈場〉があることが大切だと思います。歴史や宗教に興味がある人、建物を見たい人、きっかけは何でもいい。お寺や神社をもっと気軽に訪れてほしいですね。実際、県外のパワースポットには行くのに、地元の神社仏閣には行かない人が多いですよね。でも、本質的には同じ場所。もっと地元の寺社を訪れ、活用すれば、地域のつながりも生まれ、伝統を未来につなげる力になると思います。
高宮)確かに、昔は『この土地に住むこと=氏神様とのつながり』という意識がありました。でも今は、その感覚が薄れてきています。葬儀でも家族葬が増え、血縁以外の地域の人を呼ばなくなりつつあります。地縁が希薄になれば、地域の力も弱くなる。一方で、行事に参加した人々が昔の由来を知って喜んでもらえることもあります。すぐに変わるものではないですが、「土地のつながりを大切にする」という種をまいておけば、いずれ地域の人々の間でその意識が広がるかもしれない。例えば、子どもたちが学校の帰り道にお地蔵さんに手を合わせるなど。そうした小さな積み重ねが、伝統を守ることにつながるという思いで取り組んでまいりたいと思います。
井上 万都里
株式会社イノウエホールディングス 専務取締役
儀礼文化研究所の創設など文化伝承にも貢献する葬儀社、株式会社いのうえ専務取締役。オカヤマアワード副会長、葬儀社による全国大会ネクストワールド・サミットの実行副委員長も務めた。
高宮 浩彰
真言宗御室派 衹園山観音寺 住職
1971年生まれ、倉敷市出身。1994年、高野山大学密教学科卒業。その後帰郷し約3年は民間の仕事をしながら副住職として勤め、1999年に観音寺住職を拝命し、今に至る。
LOCATION
真言宗御室派 衹園山観音寺
photography PLACE
もともとは向かいの山にあったとされるが、創建時期や詳細な歴史は不明。江戸時代初期に現在の場所へ再興されたと考えられている。境内には平安後期の仏像が安置されており、古くから存在していたと推察される。江戸時代には多くの信仰を集めるも、明治時代に一時無住に。明治末期に再興され、現在も地域の人々の信仰を受け継いでいる。
住所:倉敷市玉島陶2015
電話:086-522-9483
株式会社イノウエホールディングス
大正2年に井上葬具店から始まった株式会社いのうえは2013年に創業100年を迎えた。都市化を見据えた新たな葬儀スタイルの提案など伝統と革新を見極めながら成長する全国屈指の葬儀社。
倉敷市二日市511-1
Tel.086-420-1000
http://inoue-gr.jp/