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特集:WAY TO INVEST TIME_vol.03
14 November 2024
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台風が過ぎ去ったばかりの9月、日曜日。県立岡山南高校の空は、清々しいほどに蒼く晴れ渡っていた。 校門から、ひとり、ふたり…次々と登校してくるのは、今回の特別授業を希望してくれた生徒の皆さん。 私たちが企画した「時間」をテーマにした特別授業は、高校生たちにとってどんな時間になるだろうか。




岡山南高校 新聞部 × プラグマガジン
【特別授業】

3時限目
#3.Lecturer

SEIICHIRO FURUICHI
古市 聖一郎
株式会社トミヤコーポレーション
代表取締役社長

ふるいちせいいちろう○
株式会社トミヤコーポレーション 代表取締役社長
岡山商工会議所青年部(岡山YEG) 令和6年度会長

1979年岡山市生まれ。1932年に創業したトミヤコーポレーションに2004年入社。
フランクミュラーブティック「フランクミュラーbyトミヤ」の立ち上げに携わり、
店長に着任。2010年、30歳で代表取締役社長就任。岡山県以外への出店攻勢によって、
広島や福岡、神戸、銀座へ進出、全20店舗までに拡大。そのうち11店舗は表町商店街に集中している。社業の他にも、岡山青年会議所理事長(JIC)、岡山商工会議所青年部会長(YEG)など、青年経済団体でも要職を歴任する。


HP. https://www.tomiya.co.jp/
FACEBOOK. seiichiro.furuichi
INSTAGRAM. seiichiro_furuichi



傍目には華やかに見える老舗企業の後継者だが自分のあり方を迷い、
戸惑い、逡巡した10代がある。あの頃の鬱屈とジレンマを払拭するかのような
事業への向き合い、それは、地域のため岡山のために高校生に安心感を与えながら、
同時に「期限」を語る。






人生はどこかで必ずバランスが取れる
悩まず即行動が鍵




戦前創業、地金商から高級ブランド取扱店へ



「時間」をテーマとしている本企画、《時計》の専門家は外せない。教壇に立つのは、時計宝飾業界での際立った立ち位置、表町商店街への貢献でも知られる老舗企業トミヤコーポレーションで代表を務める古市聖一郎氏。同社が創業した1932年は世界大恐慌が勃発し、社会不安が渦巻いていた時期。満州事変が起こるなど、後の第二次世界大戦へ布石が投じられていた。そんな時代背景の中、初代が20歳で金の売買を取り扱う地金商を創業。順調に業績を伸ばしていたが、先代大藏(現会長)が誕生した1945年に岡山大空襲に見舞われ、岡山市街は甚大な被害を被った。トミヤは焼野原からの復興に向けて即座に歩み出し、1946年には法人化に至る。現在まで続く「トミヤ=世界の一流品」の概念を形成したのは先代。世界の高級ブランドを取り扱う販売スタイルに切り替え、「トミヤメカミュージアム店」、「トミヤタイムアート店」など、それぞれが個性的かつ世界観を持った店舗を展開、着実に事業拡大を図っていった。聖一郎氏は半ば勢いに押し切られる形で家業を継ぐことになり、大学卒業後は先代の命で愛知県にある老舗呉服屋で半年間修行に努めた。この期間に商売の基本を身体に叩き込み、2004年にUターンしてトミヤに入社する。入社後、開店を控えていた「フランクミュラーbyトミヤ」の店長に就任、無休で力を尽くした。



街があっての商い
地域活性の仕掛人として


入社直後から猛烈に働き、実績も上げたことで、古参社員からの信頼も獲得。実力を示し、事業承継への期待を高めた古市氏。2010年社長に就任してからの積極的な県外への店舗出店や新たな業態開発にも、社員から寄せられる人望が勢いの後押しとなっている。 近年は時計・宝飾品だけでなく「デザート・オブ・ライフ」のスローガンのもと、商材の幅を広げた。高級オーディオやステーショナリー雑貨、コスメ、家具や食器、キッチン用品に至るまで、世界の一流品をキュレーションしたライフスタイルショップ「Omotecho Style Store」は顧客層拡大に存在感を示している。 表町を拠点に、社業でリーダーシップを発揮する彼が人生のミッションとして掲げているのは「表町商店街の活性化」だ。岡山県下でも最大の繁華街として知られ、歴史的にも由緒ある表町商店街だが、岡山駅前の発展に伴い2010年代以降は通行量が減少の一途を辿っていた。さらに少子高齢化が拍車を掛け、商店街存続の未来を危ぶむ声もある。創業地の隆盛を取り戻し、新たな繁栄を築くのは、先代から続くテーゼである。 青年経済団体では、旭川に浮かぶ「桃ボート」などユニークなアイデアも実現した古市氏。老舗企業の三代目社長と地域活性化の旗手。2つの役割を巧みにこなす若き実業家が、高校生たちに「時間」と「地域」について語る。





現在の活躍とは裏腹な空虚な10代を過ごす

皆さん、表町商店街を歩いたことがありますか?(ほとんどの手が挙がる)嬉しいですね。そう、天満屋を中心に南北に連なった長い商店街です。岡山では最大規模の商店街で、実は450年の歴史があります。2023年にはハレノワができましたね。僕が社長を務めているトミヤコーポレーションは、第二次世界大戦以前から表町で商売をしています。今では広島と福岡、神戸、東京銀座と全国にお店を展開していますが、全20店舗のうち11店舗は表町にあります。主に高級品とされる高額な時計や宝石、最近は文房具や食器、日用品からコスメまで、世界中から《一流》と呼ばれるものを選んで、「岡山ではトミヤでしか買うことができないもの」を意識しながら、世界中のブランドと取引をしています。高級時計や宝石って、人生にはあまり必要でないものですよね。今は時計をしてない方も多いですし、スマートウォッチのほうが便利です。でも、仕事や日々の暮らしの中で、ふと自分のお気に入りの時計を見る。それだけで元気が湧いてくることもあります。結婚指輪は、離れていても奥さんを想うことで、よし頑張ろうと立ち上がるきっかけになったりもする。トミヤは人間しか欲しいと思わないような、感情が動くエモーショナルなものを扱っている会社です。実は、数百円の雑貨とか、高校生にも手が届く価格帯の商品もあるので、ぜひ見に来ていただけたらうれしいです。僕の高校時代は、正直あまり楽しいものではありませんでした。通っていた高校は、岡山で一番制服がダサいと言われてたので、制服が可愛くて授業も楽しそうな南高は憧れの存在です。彼女もいなくて、毎日学食でうどんを食べていました。高校最後のお昼ごはんを食べてた時に、いつも一緒にいた友達が「もし毎日うどん食ってなかったら俺らの成長もう少し違っとったんかな」と呟いたのを聞いて、頭を抱えましたがあとの祭りでした(笑)。東京の大学に進学してからは、バイトとバンドに明け暮れていましたが、僕の10代は本当に何も起きずに過ぎていった感があります。

懸命に駆け抜けた20代人生はバランスだ

僕の話を真剣に聞いてくださっている皆さんに申し訳ないくらい怠惰な高校・大学時代でした。大学卒業後は父親の命令で有名呉服店に就職したのですが今で言う「超ブラック企業」。当時は「ブラック企業」って言葉はありませんでしたが、裏で殴られたり暴言を吐かれたりが日常茶飯事という会社でした。サイコパスのような店長がいて、従業員にはとんでもなく厳しく、お客様には素晴らしい顧客第一を貫いておられて、日本有数の売上を誇っていました。僕にとっては辛くてキツイ暗黒時代でしたが、ずっとボーッと過ごしてきた僕の性根を、半年間というわずかな期間で叩き直してくれた転換点だったと、今では感謝しかありません。 24歳で岡山に帰ってきて、トミヤに入社しました。「フランクミュラー」というスイスの高級腕時計メーカーの新店舗を出すことになり、店長を任されました。ちなみに今日している時計も「フランクミュラー」です。オープニングイベントで世界的な天才時計師「Master of Complications」の称号を持つご本人を招くことができたのは本当にいい思い出になっています。店長の3年間でしっかり結果を出して認められ、2010年に社長に就任して今に至ります。 何もなかった10代を取り戻すかのように、20代はがむしゃらに駆け抜けました。トミヤに入社後の3年間は1日も休まず仕事していましたね。10代を怠惰に過ごしてしまったからこそ、その反動で時間を取り戻そうというマインドが働いて、酷いブラック企業でも頑張れたんだと思います。そういう意味では学生時代のモラトリアムも無駄な時間ではなかったんです。 僕はこう見えて、動画編集やSNSの画像をつくるのが結構得意です。今仕事で役に立っているスキルなんですが、この素地をつくったのは大学時代にやってたバンドのホームページを自作してたからなんです。当時は完全に趣味でしたが、今になって仕事につながっている。今やっていることに意味がないかもしれないとか、好きなことを活かせるかとか、やっている最中に考える必要はないんじゃないかと思っています。好きなコンテンツを観たり聴いたり、ゲームで遊んだり、スポーツを楽しんだり。好きなものが大人になって全部つながって、個性になる。もちろん嫌なことをしなければならないこともあるけど、時間をかけて、その人だけの個性に変化していくんだと僕は思っています。 人生は最終的にバランスが取れるものなんでしょうね。光と影は表裏一体で、SNSなどで華やかに楽しそうにしている人ほど、裏では深い悩みを抱えているものですよ。人と比べて羨ましがる必要は少しもないんじゃないかな。



10代は遊び20代で行動
才能開花は期限付きである

「悩む前に即行動」
失敗するから次があ

実は、岡山で買える高級ブランドが、どんどんと無くなっています。これに僕は危機感を持っていて。そういったブランドが街にあるかないかは、都市の「格」みたいなことにも繋がっている。だから、ブランドを岡山に留めること、魅力を伝えることも自分の役割だと思っています。時計や宝石は《名刺代わり》と言われるほど、身に着けている方の価値観や考え方を表現しているもの。時計には、あの小さな個体に途轍もない歴史や職人の技巧がギューッと詰まっています。ダイヤモンドには何億年もの歳月が詰まっていて、ジュエリーにはたくさんの素敵なエピソードがある。何十万、何百万という価値には理由があって、その背景を知れば知るほど、興味が湧くし、身に着ける人の人生を豊かにしてくれるものだとわかります。 僕も高校生のときはまったく興味がありませんでしたが、トミヤに入社して「ブライトリング」というブランドの時計を自分で買ったのがきっかけで変わりました。「時計ではなく計器」という矜持を持った飛行機のパイロットも着用するブランドです。僕はパイロットじゃないので、正直オーバースペックです。でも、「使わない機能だけどいざとなったら使える」ということにロマンや万能感を感じるんです。有名な「オメガ」の「シーマスター」という時計は、300mの深海まで潜れるという機能がありますが、まず潜りません。「G-SHOCK」は頑丈さをアピールするために、CMで時計をアイスホッケーのパック代わりにしていましたけど、普通はそこまでの衝撃を与えることはありませんよね。でも、300m潜れるし、落としても投げつけても壊れない。突き抜けた機能性や、それを実現している作り手たちの思いを身につけていると、なんだか自信が湧いてくるのも時計の魅力の一つだと思います。 僕は40歳を超えた今になって、大器晩成っていうのはそうそうないと思うようになりました。スポーツ選手は若いうちに才能を開花させる方がほとんどですし、実業家も40代50代から突然成功する人はそれほど多くありません。つまり、10代のうちは思い切り遊んでもいいと思いますが、少なくとも20代ではしっかり本気を出して行動しないと、大きなチャンスは巡ってこないんじゃないかと。 最近またハマっているDragon Ashの「Let yourself go,Let myself go」という曲の中に「失敗を恐れていたら致命的な損失につながる」といった意味の歌詞があります。「悩むより先に即行動しよう」と歌っていて、1999年の曲ですが、世代が違う皆さんにも、この機会にぜひ聞いてもらえると嬉しいなと紹介させてもらいました。 行動を起こして失敗するからこそ、その経験を次に活かすことができます。歳を重ねてから失敗すると次に挑戦する時間が少ないので大怪我になりがちですが、若いうちにする失敗は、次のステップを踏む時間の余裕が十分にあるということ。だから、10代20代のうちに失敗しても十分取り返すことができます。 もう一つ付け加えるなら、嫌なことから先にやっておくと、後が楽だということ。宿題や頼まれ事など面倒くさいことを「やらなきゃ、やらなきゃ」と気にしながら後回しにして映画を観たりするのと、先に面倒を終わらせてゆっくり観るのとでは、時間の密度がまったく違いますよね。面倒なことや嫌なことだからこそ、腰を上げて真っ先にやる方が絶対いいですね。

愛着=本能?地域の価値を創るために

昔は自宅の1階が店舗だったので、生まれた頃から表町が身近にありました。皆さん、五輪やワールドカップで日本を応援しますか? 甲子園に自分の高校が出られなくても、岡山の高校を応援しませんか? それと同じように、僕が岡山と表町商店街に愛着があるのは、本能のようなもので論理的に語れるものではない気がします。 そういう気持ちが顕在化して、岡山の活性化に取り組む意識が強くなったのは、岡山青年会議所と岡山商工会議所青年部という団体に入会したのがきっかけでした。どちらの団体も、自分たちの街を盛り上げよう、街を元気にして自分たちの事業も活性化させていこう、という目的でいろんな取り組みをしています。例えば、「うらじゃ」も青年会議所の事業なんですよ。旭川に桃ボートを浮かべたのもそうです。街に新たなアイコンやシビックプライドをつくる、賑わいや交流の場を作ることによって、みんなにもっと岡山を好きになってもらいたい、そんな思いで活動しています。 トミヤは、表町商店街に11店舗もお店を構えています。多すぎると思う人もいるかもしれませんね。県外から来られた方も驚かれます。これには、空店舗が増えて、連鎖的にシャッターが閉まり続けてしまうことを防ぐ狙いがあります。ビジネスのことだけを考えると、コストもかかるし、効率も悪いかもしれない。それでも、商店街の灯を消してはいけないという思いで、それぞれ魅力ある店作りに努めています。「街のため」に時間を使い、行動することが、巡り巡って自分たちのためになる。そう信じています。

若者が街を変える!青春を謳歌しながら前へ

岡山をもっと楽しく、元気にするには、皆さんのような若くて活力のある人材が必要です。でも、前向きな人ほど、東京や大阪などの都会へ出てしまう傾向がある。これは真剣に向き合わなければならない課題ですね。地元で働きたいと思える企業を増やす、歩きたいと思える街づくりをする、未来に希望の持てる岡山にする。まずは、僕たちの世代で頑張って土台をつくるので、皆さんにその志をぜひ受け継いでもらって、もっといい岡山に変えていってもらえると嬉しいです。では最後に、仕事についてお話しますね。僕が10代の頃は、この先一生バンドとバイトだけで生きていこうと思っていました。正直、「仕事なんてしたくない」「仕事なんて人生の終わりだ」くらいの気持ちでいたんです。家業を継ぐ気持ちも、これっぽっちもありませんでした。皆さんの中には、もしかすると当時の僕のように、将来についてやや悲観的な人もいるかもしれません。でも、僕が今やっている仕事や活動は、学生時代に好きだと思ってやっていたことの100倍、いや、1000倍楽しい。なんでもやってみなければわからないんです。青春時代には、この先で夢中になれるものに出会えるヒントがたくさん詰まっています。わからないままでも、何でもいいから、とにかくやってみてほしいですね。自分が「これだ」と思えるものに出会えて、自信を持って夢中になれる人生は、本当に素晴らしいものになるはずです。そして、自分たちの街のことをもっと知って、好きになって欲しい。同じ岡山の仲間として、皆さんにも街に向き合ってもらえたらうれしいです。
最後の最後に、今もしも好きな人がいるなら、悔いの無いように告白してください(笑)。




10代でした失敗は、後の人生に必ずつながる。
街に向き合うのは、巡り巡って自分たちのため。





STUDENT IMPRESSIONS

生徒の感想文







TO THE NEXT LECTURER…..

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