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特集:WAY TO INVEST TIME_vol.01
04 November 2024
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台風が過ぎ去ったばかりの9月、日曜日。県立岡山南高校の空は、清々しいほどに蒼く晴れ渡っていた。 校門から、ひとり、ふたり…次々と登校してくるのは、今回の特別授業を希望してくれた生徒の皆さん。 私たちが企画した「時間」をテーマにした特別授業は、高校生たちにとってどんな時間になるだろうか。




岡山南高校 新聞部 × プラグマガジン
【特別授業】

1時限目
#1.Lecturer

MINORU HIRABAYASHI
平林 実 
平林金属株式会社 代表取締役社長

ひらばやしみのる○
平林金属株式会社 代表取締役社長
(一社)ワンダーシップ「首都岡山」関連クラブ会長

1961(昭和36)年岡山市生まれ。専修大学卒業。1987(昭和62)年平林金属へ入社し、
2014(平成26)年代表取締役社長に就任。家電リサイクル専用工場の稼働、
全国初の有人型資源集積システム「えこ便」のスタートに尽力。スポーツ活動や
農業法人立ち上げ、水源保護など、環境や社会課題の解決にも取り組む。また、
(一社)ワンダーシップ「首都岡山」関連クラブ会長として、「首都岡山」の実現に向け
精力的に活動している。


HP. https://www.hirakin.co.jp/
首都岡山. https://wonder-ship.jp/c-okayama/
INSTAGRAM. minoru_hirabayashi





超大型 × 低速台風に日本中が怯え、備えた夏の終わりの一日 岡山を愛し、誇りを持ち、地域貢献の想いから生まれた 「首都岡山」構想はスパイラルアップが最早止まらない 残暑の陽射しにも負けない、実業家の眼から何を見るか。






「首都岡山」
破天荒さが人を動かすその理由




厳しい父親との絆
野球漬けの高校時代

1956年、前社長平林久一が個人事業として創業。当時は戦後の復興期で日本経済が右肩上がりを続けていた。それに比例して鉄鋼需要も飛躍的に高まり、平林金属も大きく成長していく。高度経済成長期のまっただ中、東京五輪の開催も決まるなど、日本が沸きに沸いていた1961年、平林実は誕生した。昔気質で厳しい人だったという父・久一からは、時には鉄拳が飛んでくるような、かなり厳しい教育を受けてきたという。親子の絆を作っていたひとつに野球があった。当時野球は国民的人気を誇っており、子どもたちは皆野球選手に憧れを持っていた時代。実少年もその一人で、朝から晩まで野球一筋の少年時代を過ごしていた。「普段厳しい父親が、野球で成果を出せば褒めてくれる、それが嬉しくて一所懸命練習していた気がするね」と当時を振り返る。操山高校入学後の目標は「甲子園出場」。強豪校として全国を狙える位置につけていたことも相まって、野球への思いはさらに熱を帯びた。「本当に野球しかしていなかった」と語気を強める。当時、県内で最強だったのが岡山南高校。全国ベスト4まで駆け上がる同校とは因縁浅からぬ関係にあった。忘れもしない、惜敗を被ったあの夏から45年、平林は野球一筋だったあの頃の自分と対峙するかのように、初めて同校の校門をくぐった。

リサイクルを一般家庭へ
「当たり前」の土台を築く

平林金属創業時リサイクルの概念は日本にはほとんどなかったと言っていい。しかし時代の流れが変わり、1980年代に好景気からくる大量生産と大量消費が廃棄物処理問題を引き起こしたことで1991年に廃棄物処理法が改正され、さらに「資源の有効な利用の促進に関する法律(通称リサイクル法)」が制定されたことで「捨てる」から「再生させる」へと社会の意識はシフトした。以降、様々なリサイクル法が誕生する中、同社は2001年に家電リサイクル法の施行に合わせて専用工場を開設するなど、総合リサイクル企業として躍進を遂げて行く。そして2014年、平林実が代表取締役社長に就任。周囲からは順調な社業を引き継いだと見えたに違いないが、就任前から着目していた「一般家庭」へのアプローチを加速させる。「小型家電リサイクル法」施行を受け、日本初の有人型資源集積システム「えこ便」をスタートさせた。
現在、平林が精力的に活動を続けている「首都岡山」構想。最初は荒唐無稽にも受け取られたが、ひとりまた一人と賛同者が集い、単なる絵に描いた餅ではなくなりつつある。
平林実63歳。「機を見るに敏」実業家として、岡山県人として、何を得て何を掴むのかを知っている一人である。彼が高校生たちに何を語るのか。
一限目に相応しく、熱を帯びた心持ちで教壇に立った。



「首都岡山」
破天荒な構想の裏側


高校時代はずっと野球ばっかりでした。私の高校も甲子園を狙えたくらい強かったから、当時最強の岡山南高校はライバルでした。シード校として出場した秋季大会では牽制球を2球続けて胸と顎に受けて、顔面骨折で流血しながらもプレーを続ける姿が全国紙に載りました。そんな思い出のある南高校に今、来れるっていうのは感慨深いものがありますね。
現在は金属やプラスチックのリサイクルを主な事業としている平林金属という会社の社長をしています。「えこ便」っていう一般家庭から小型家電や紙、缶などを引き取ってリサイクルする事業もやっています。有人の資源集積システムは全国初の試みで、正しいリサイクルの情報を発信するショールームの役割もあります。海外の方からの評価も高く、様々な国から見学者が訪れています。今後世界に広がって行くシステムだと自負しています。
私がいま力を入れているのが「首都岡山」構想。2019年にシンポジウムを開催し、企業をはじめ学者、著名人、政治家など多くの方に賛同をいただいています。きっかけは今後確実に到来する人口減少。このままでは岡山は消滅するという事実です。出生数が戦後の約3分の1以下に落ち込んでいて、これからも浮上する気配がなく、このままでは日本の人口は半分になってしまう。そうなると人口の少ない地方都市は機能しないから、存在意義がないということになる。
「首都岡山」、当初は異端扱いされました。まあ当然ですよね。でも、実は独りよがりでも根拠なしの妄想でもないんです。まず災害の少なさ。ここ最近でも大地震発生や超大型台風のアラートが連日叫ばれていましたが、岡山は影響が少なかったですよね。岡山大学の研究グループによると、吉備高原の地盤は約1億1千万年前から安定していると発表されています。吉備中央町は、あの場所から大陸が隆起して日本列島ができたと言われているので、地震が起きない地域なのだとわかります。すでに民間企業の重要なホストコンピューターがどんどん吉備中央町に移転されているという事実もあります。

《世のため人のため》
自分の得意で行動する


ここまで聞いて「首都岡山」実現したらいいな、と思った人いますか? 手を挙げるときはまっすぐ挙げる。では、もう一度訊きます。「首都岡山」実現すればいいと思う人挙手! そう、まっすぐビシッと手を上へ伸ばす、それが「爪痕を残す」ということです。人にインパクトを与えられるように自分が行動した、ということ。
「首都岡山」が実現するかしないかはさておき、本気で言っていれば次第に人が集まってきます。私は炎上すればいいなと思っていました。炎上すれば「一概に馬鹿な妄想ではない」と援護してくれる専門家が必ず出てくる、と確信していました。なぜなら「首都岡山」は《世のため人のため》だから。
過激で破天荒という意味では「イタズラ」みたいな感じかな。人を不快にさせるものではなくて、《世のため人のため》と本気で向き合っていれば、誰かの心を動かすことができる。人を動かす「イタズラ」は面白いよ。皆さんもやってみればいい。先ほどの挙手にしても、クラスの皆で示し合わせて全員でやってみたら、先生きっと驚くよ。
同じ時間でも、《何かを起こす》ことで大きく変わる。高校生という二度とない時間、いろいろなことが起きたほうがいいんじゃないかな。その中で何回かに一回は自分が主役になるために行動すると俄然面白くなる。やらなくても時は過ぎていくし、何も起きなくてもそれはそれでいいかもしれない。でも先生やキャプテンがやってくれることに乗っかってただけでは「自分がやった」とは言えないですよね。そうなると、社会に出たときに通用しないんです。人間には得意不得意があるから、自分の得意が回ってきたときが手を挙げるタイミングだと思います。得意なことだと失敗しても、楽しくやり遂げられるでしょうからね。そのタイミングにサッと「自分がやります!」と手を挙げられるように今から用意しておいてください。
当社の新事業で、真庭市に駄菓子屋「にじいろ夢商店」をオープンしました。この事業は一人の女性社員が結婚で真庭に引っ越すことになったんだけど会社を辞めたくない、と言ってくれたことがきっかけでした。このお店では、地域の子どもたちの〈たまり場〉になればとの想いから、駄菓子の販売だけではなく、リサイクル教室も行えるスペースを設けています。また、賞味期限間近のお菓子を低価格で販売する企画もスタートし、多くのお客様が訪れています。会社にとっても今後見込みのある事業を、これまで拠点を置いたことのなかった場所で始めることができた、というわけです。《世のため人のため》を考えて行動を起こすことは、人生を変えることができるという良い例です。



濃密すぎる現代の「時間」
《世のため人のため》を軸に

現代の一日は
江戸時代の一年分


現代の時間というのは、とても濃密になっていると感じています。情報量があまりにも多すぎるんです。例えばこの前の冬季オリンピックでカーリング女子が銀メダルを獲得しましたね。確かにあったなあと覚えていると思うけど、もう遠い過去になっていませんか? 2022年の北京オリンピックだからほんの一年半前のこと。それほど毎日新しい情報が出てきています。
 現代の一日の情報量は、江戸時代の一年分に匹敵するんだそうです。平安時代なら一生分。メディアだけじゃなくスマホとかいろいろな端末があってテクノロジーの進化も関係していますが、毎日何かしら起こっていて、ニュースになる情報の多さが凄まじい。それを同じ一日24時間で処理しているということですから、時間密度が圧倒的に濃い、ということになります。
 つまり、一日ボーッと過ごしていたら江戸時代なら一年間ボーッとしていたことになる。逆に、一日をちょっといいものにしようとしたら、一年間がいいものになる。それほどの違いが出てくるということですね。
 さらに、その濃密な時間を何人かで共有したり、分担したりできたら、もっとすごいことになる。それだけ多い情報だと見落としたり、興味がなかったりで知らないままでいることも多いでしょう。ところが自分は見落としていた情報を仲間が得て共有すれば、人の分だけ情報が増えていくということですよね。仲間とつながることで、どんどん知識レベルが高まっていくということです。現代の時間はそれほどに濃くて重要だということです。

高校時代は「学ぶ練習」
《やれば》必ず記憶に残る


私の高校時代は、野球だけでした。打倒岡山南高校に燃えていました。もし今高校生に戻れたとしても、野球はやっているでしょうね。当時より技術がかなり発達しているから、研究に時間をもっとかけていたと思います。
それから、やはりもっと勉強したと思いますね。全然勉強しなかったからね。高校時代の学びって、選べませんよね。カリキュラムが決まっていて、好きなことも嫌いなことも全部学ぶ。つまらないと感じることが多いかもしれないけど、それは「学びの練習」だからだと思うんです。大学生や社会人になると自分の好きや得意を選べるようになる。つまり今は、選ぶための前段階だと言えますよね。私は高校時代に、周りに遠慮してしまって「誰かがやるだろう」とやらなかったことがあります。もし自分からやっていたら、これが自分に合っていたか、面白いか面白くないのか、自分の経験値として身についていたんではないかと今になって思っています。野球だけは本当に一所懸命やって、相当に悔しい思いをしたから、63歳になった今でも自分の中に残っている。でも、やらなかったことは忘れてしまって何も残っていないのです。これまで多くの方を見送ってきましたが、人間というのは死を前にすると「あれがしたい」「これが食べたい」という欲望ではないんです。大抵の場合「ああすればよかった」「これを伝えてほしい」など、《世のため人のため》に何かやればよかった、と言われます。結局人というのは、世のため人のためになっていることを存在意義と感じるのでしょう。じゃあ元気なうちに気づいておけば、もっといろいろなことができたに違いありません。

一年後にすべてが終わる
としたら何をする?


例えば、来年の夏に海底火山噴火が起きて、日本列島は沈んでしまいますとなったら。日本はほとんどの地域が海に面していますから、すべての都市は津波にのまれるから壊滅します。残された時間、あなたなら何をしますか? いやその前に、一年後にすべてがなくなってしまうと、考えたことはありますか?今が永遠に続くと思っているから、動かなくても焦らずにいられる。明日すべてが終わらない保証はどこにもありませんし、必ずいつか終わりはくる。時間の過ごし方は自分次第だけど、タイムリミットがあると自覚するとしないとでは大きな違いが出てきます。当社は「来年津波が来る」と想定して、水や食料といったものの確保など、準備に万全を期そうとしています。一方、日本がピンチの時に岡山人として手を挙げられるように、小さなムーブメントを起こしているのです。大災害が起こらなかったらそれでいい。起こったときのために今、やるべきことをやっています。いつかくるかもしれない、それまで何もしないままでいいのか? ただ時間が過ぎていくのを待っているだけでいいのか? その疑問への答えを私自身が先導してやっているということです。やらなかったことは、次にやるチャンスがきてもなかなかできません。でも、勇気を出して一歩踏み出したら、声をかけてくれた人と新しい関係ができて仲良くなれる。人との出会いやつながりは運命を変えます。ほんの少しの勇気、一歩踏み込む勇気。勇気を出してやった人だけが人生を変えることができるのです。

高校生がメインプレーヤー
誇りを持って行動しよう


少子高齢化がすごい勢いで進み、大変な世の中になっている今、最も動けるのはあなたたち高校生です。大人は体力がなかったり純粋にものが見えなくなっていたりで、とっさに身体が動きません。例えば災害が起きて今すぐ逃げなければならないとき、子どもが溺れている場面に遭遇しても大人は躊躇してしまう。あなた達はおそらく考えるより先に身体が動くでしょう。災害でなくても「誰かがやってくれる」のをじっと待っていても何も変わらないのです。「自分が」動くことで何かが変わる、誰かの本気とつながって、あなたの人生がどんどん面白くなっていきますよ。昔は15歳が成人の年齢でした。すでにあなた達はその年齢に達していますね。皆さんが結束して、協力して行動すれば何だってできる。一日が江戸時代の一年分、それを何人分もで束ねればすごいことができるんです。
先ほどの「手を挙げる」こと。これだけでも、何かが変わります。《世のため人のため》の一歩です。十代というのは、失敗が許されるかけがえのない時間。そしてあっという間に終わってしまう時間でもあります。もし手を挙げなければ、あなたの中には何も残りません。私がここに来て話したこの時間もすべて無駄になって、ただ暑かったダルかっただけで終わります。
岡山はかつて日本の中心にありました。そして世界の中心でもありました。そしてあなた達はその岡山のメインプレーヤーなのです。岡山が良くなれば世界がよくなる、そういう自覚と誇りを持って高校生の大切な時間を過ごしていってほしいと思っています。そして今日がそのきっかけになればいいなと考えてお話しました。


タイムリミットを自覚してアクションを起こせば
運命が変わる





STUDENT IMPRESSIONS

生徒の感想文







TO THE NEXT LECTURER…..

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