FEATURE
特集:WAY TO INVEST TIME_vol.02
11 November 2024
#TAGS
  • #LOCAL

台風が過ぎ去ったばかりの9月、日曜日。県立岡山南高校の空は、清々しいほどに蒼く晴れ渡っていた。 校門から、ひとり、ふたり…次々と登校してくるのは、今回の特別授業を希望してくれた生徒の皆さん。 私たちが企画した「時間」をテーマにした特別授業は、高校生たちにとってどんな時間になるだろうか。




岡山南高校 新聞部 × プラグマガジン
【特別授業】

2時限目
#2.Lecturer

YUKO MISAWA
三沢 裕子
株式会社さえら「overlace」デザイナー

みさわゆうこ○
株式会社さえら overlace事業部
服飾デザイナー

1992年岡山市生まれ。岡山県立岡山南高校服飾デザイン科卒業。
専門学校岡山ファッションスクール ファッション専攻科/ファッションクリエーター
専攻コース卒業。2014年株式会社さえら入社後は、主にレディース向けブランドに携わる。2018年、テキスタイルを軸にする「YUKI FUJISAWA」の藤澤ゆきをディレクターに招聘し「overlace」を立ち上げる。25年春夏コレクションには、岡山レース(岡山県赤磐市)と
開発した、初のオリジナルレース生地をリリース予定。


HP. https://caetla.co.jp/
overlace HP. https://www.overlace.com/ja
INSTAGRAM. overlace.official



デザイナーになる夢を叶えるための力をくれた場所 服作りの技術と美的感性の土台を築いた場所 母校に戻り、後輩たちの前に立って 故郷から世界を目指す決意表明の時間 《重ねる》《超える》overlace × overtime。






デザイナーの原点となった場所から振り返る




「地元から離れない」ファッションデザイナー

ファッション業界、特にアパレルデザインの主戦場は長らく海外に置かれていた。
日本の服飾文化がオーダーメイドから既製服へ、そして70年代にファッションビジネスが台頭してからは「東京」も業界の中心に据えられるようになった。80年代に入るとDCブランドブームを迎え、山本耀司、川久保玲、三宅一生ら世界的に有名なデザイナーも次々と輩出されるようになる。数多のドメスティックブランドが生まれたが、日本でファッションデザイナーを目指すのなら「東京」、というのは現在進行形、疑いようのないセオリーだ。
「さえら」は1974年に創業した岡山のアパレル企業。ナイトウエア、ランジェリーから事業を興した。主にレディース向けに高級感と上品さを兼ね備えた複数のブランドを全国展開。1989年には社団法人ニュービジネス協議会(現・一般社団法人東京ニュービジネス協議会)のニュービジネスアントレプレナー最優秀賞を受賞するなど、90年代ファッションビジネスの雄として、現在も存在感を発揮している。同社初となる若者向けブランド「overlace」でデザイナーを務める三沢裕子氏は、岡山から軸足を離さず歩んできた。岡山南高服飾デザイン科で学び、地元の服飾専門学校に進学。卒業してから新卒で「さえら」に入社した。あえてファッションデザイナーとしての王道を避け、岡山から世界を見据えている。

「オーバーレース」で
業界のど真ん中に挑む

90年代以降、長引く不況の中でファストファッションが業界を席巻。高級志向ブランドは苦戦を強いられたが、顧客とのつながりが功を奏した形で《さえら》の業績は順調に推移していた。しかし、社内の活性化と若がえりを図るため、若年層にもアプローチできるブランドラインを立ち上げようとの気運が高まり、2018年に「overlace」が誕生する。 ブランド名に冠した「over」とは、《重ねる》と《超える》という2つの意味を含んだ造語。レースを重ねることで生まれるデザインの美しさと、既存の概念を超えていくという想いが込められている。ナイトウエアやランジェリーなどに重用されるレースは、同社が習熟した素材。豊富な知見や、在籍する職人の卓越した技術を有している。「さえら」のレガシーとも言えるレースの新たな価値を拓くべく、「overlace」は大きな期待を背に出発した。 三沢氏はブランドの立ち上げから携わり、若手ながらデザイナーに抜擢。テキスタイルデザインのトップランナー「YUKI FUJISAWA」の藤澤ゆき氏をディレクターに迎え、最初のコレクションを発表。今秋で14シーズン目を迎えるが、レースを中心に据えた繊細で巧緻なものづくり、ドリーミーでリュクスな世界観でファンを増やし続けている。 今後はランウェイショーにも意欲を見せる三沢氏に、後輩たちに向けて高校時代を語ってもらった。



部活と課題と真面目だった高校時代

自分が3年間を過ごした母校の教室でお話をさせてもらえるなんて本当にうれしいです。私は服飾デザイン科を卒業しました。高校時代は弓道部に所属していて、部活動で一番心に残っているのは大会でも練習でもなく日誌書きです。私は変に真面目なところがあって、「こうしなさい」と言われると「そうか」と素直にやり遂げてしまうんですね(笑)。顧問の先生に「振り返ることが必要だ」と言われたので、練習のことやその日考えたことについて、毎日びっしりと書き込んでいました。今から考えたら、単なる苦痛でしかなかったんですが、何かを毎日コツコツと続けるというクセはできたのかなあと思っています。授業では基本から実践的なことまでさまざまなことを教えていただきました。課題もたくさんあったので結構大変でした。もともとデザイナーになりたくて入った学校だし、自分が手を動かしてつくり上げることが好きだったので、大変だったけどとても楽しかった。たくさんの作品を制作して何回も失敗する中で、少しずつうまくなっていって、できなかったことができるようになっていきました。「こうしたい」という自分にとって理想の形をつくれるようになるには、失敗を繰り返すしかないんです。頭に知識を入れることは必要だけど、結局は実践こそが気づきと自信になっていく、ということを学びました。本音を言えば、寄り道したり友達と話したり、もっと高校生っぽい、青春っぽいこともやっておけばよかったのかもと思うことはありますけどね。3年間の中では、集大成でもある卒業制作のファッションショーがもっとも印象に残っています。技術やスキルを身につけるといった自分の成長ももちろん大切なのですが、チームで協力して何かをつくり上げる経験はやはり格別でした。しかも、高校生という早い時期に経験できたことは貴重だったと思っています。皆さんもこれから高校生活の中で、チームで何かをすることがあると思います。「今しかできない経験だ」ということを念頭に置いて取り組むと、得られるものが変わってくるかもしれませんよ。

老舗企業の新たな挑戦
レースの魅力を伝えたい

皆さんレースはご存知ですよね。今日私が着ているのが、自分でデザインしている「overlace」というブランドの洋服です。いろんなところにレースをあしらっているのがわかると思いますが、こうしたレースを主役とした服作りをしています。レースの歴史は旧く、特にヨーロッパの文化には大きな影響を与えたと言われています。絵画にもよく描かれていますが、王侯貴族の襟元や袖口、すそなどにレースは強調的にあしらわれていました。「糸の宝石」と言われたレースで富と権力を示していたんです。模様だけでなく技法にもさまざまな種類があり、一つの文化として洗練されていきました。現代では機械織りが主流になり、手織りのものが減少していることから、アンティークレースを収集する愛好家の方もいらっしゃいます。《さえら》は、創業時からレースと深い関わりを持ったブランド展開をしてきました。ナイトウエアやランジェリーにはレースがつきものですが、扱うには難しい技術が必要です。「さえら」には熟練した職人の方がおられて、入社したばかりの私はただ圧倒されるばかりでした。知識も深く、技術もすごい。こんな人たちがそばにいてくださることに感動しながらも、少しでも追いつきたいと、毎日学びながら、懸命に仕事に取り組んでいました。新たなブランド立ち上げの話が持ち上がり、「overlace」のデザイナーに抜擢された時はプレッシャーの方が強かったかもしれません。それまでの「さえら」は、どちらかというと成熟した大人の女性が主なお客さまでした。若者世代にも自分のつくったものを着てもらいたい、と考えていた私にとってはまたとないチャンス。不安もありましたが、第一線で活躍している藤澤ゆきさんがディレクターとして参加してくださったことで、心強くスタートすることができました。これまでに14シーズンのコレクションを発表しています。25春夏コレクションは、赤磐にある「岡山レース」さんと協業して、初めてのオリジナルレースに挑戦しました。コレクションのテーマは「リアシュアランス(reassurance)」。安心を与えるという意味で、平和でゆったりと時間が流れるユートピアをイメージしています。テーマに沿って、蝶や小鳥、花、天使など、私が好きなピースフルモチーフのスケッチを元にレースで表現しました。ぜひ、ルックをご覧いただきたいです。皆さん、ファッションショーを観たことがありますか?最近は動画でも配信されているので、何かしら目にしたことがあるのではないでしょうか。「overlace」は、今後ランウェイショーに参加したいと思っていて。それは、ブランドの認知を広げることが、当社のヘリテージであるレースの魅力を知って頂くことにもつながると考えているからです。



都会に行かなくったって、
チャレンジする機会は掴める

地方在住はハンデ?
岡山で挑み続ける理由

私は岡山で生まれて、今までずっと、岡山を拠点にしてきました。よく訊かれるのは「都会じゃなければファッションデザイナーになれないのでは?」のクエスチョンです。確かに、激戦区である東京に集まるクリエイターさんたちの感性や実力には敵わないなと思うこともあります。また、生地や素材を選ぶ際は自分の五感で確かめるのがポリシーなので、ラインナップの多い東京へチェックのためにわざわざ行かなければならず、正直不便さも感じます。でも、そういったネガティブなこと以上に、岡山には都会に負けないポテンシャルがある、と思っています。デニムや学生服をはじめ、岡山は繊維産業が盛んなエリアです。熟練した職人さんがたくさんいて、縫製技術の高さも世界有数。《さえら》にも、卓越したクチュール技術を持っている方がいらっしゃる。素晴らしい諸先輩方と、こんなにも近い距離で、膝を突き合わせてものづくりができる環境はそうはありません。リモートで仕事ができる時代ですが、この距離の近さは絶対にクオリティにも表れている。これが、私が岡山を選び、岡山から離れられない最大の理由です。それから、自然豊かな場所であることも、私には大切です。好きなモチーフには天然のものが多くて、インスピレーションが湧くのは、散歩したり、山登りをしたり、自然と触れ合っている瞬間が多いので。そして、家族や友人たちも私にとっては大切なもの。都会の苛烈な競争のど真ん中に身を置くより、住み慣れた場所で、好きな人たちに囲まれて、のびのびとものづくりができる環境は魅力的だと思います。

気負わず、地方から新たなロールモデルを

私が《さえら》に入社を決めたのは、この会社が展開するブランドのレースハンカチをたまたま買ったことがきっかけでした。それまで馴染みのなかったレースが新鮮で、手に取ると何か感じるものがあったんです。こういうものづくりに携わりたい、という直感ですね。入社当時からファッションデザイナーになるという夢は持ち続けていましたが、なんというか、ゆっくり時間をかけてやりたい性格なので焦りはありませんでした。弓道部の日誌のように、毎日を真面目にコツコツやっていこうと。ブランドのデザイナーになってからも、基本的なスタンスは変わっていないように思います。 皆さんは、卒業したら岡山を出たいですか? 残るって決めてる人は?(大多数の手が挙がる)みんな地元が好きなんですね。そう、岡山がいいんですよ。でも、目指す方向によっては難しいこともあります。 岡山出身の若手デザイナーで活躍している方は数名いらっしゃいますが、皆さんやっぱり東京や海外のファッション先進都市をベースに活動されています。地方にいながら、ちゃんとしたファッションデザイナーになるのは、なかなかハードルが高いことのように思います。私は会社のサポートもあって運よく挑戦する機会を得られました。今、すごく充実しています。もっと素敵な洋服をつくっていきたいし、たくさんの人に「overlace」を知ってもらいたい。そして、これからの人たちのためにも、世界のファッションウィークに参加して、地方発でもできるんだと感じてもらいたい。と、思ったりもしますが、それは頑張った先にある一つの結果でしかない。地方でもやれるという確信はあるけど、気負わずに進んでいきたいと思っています。

デザインプロセスに「タイパ」は存在しない

今回のテーマの一つ、「タイパ」は、私にとって日常生活にしか存在してなくて。それも、歯磨きしながらニュース動画を観たり、「ながら」をしているくらいかな。仕事、特にデザインのアイディアを練っている時間は本当に無駄が多いです。リサーチの際も、直接関係ないことに結びつけて深堀りしたり、他に気になることができて寄り道をしてしまったり。あっちこっちへ考えが派生してしまって、気づくと時間が経っていたなんてこともザラにあります。でも、そのときはまったく関係なくても別の機会に「あ、そういえば」とつながることがあり、新しいデザインに結びつくこともある。だから私にとっては、結果的にどのプロセスも無駄な時間にはなりません。効率が悪く、時間はかかっても「理想のデザイン」のために割く時間だけは削りたくない。通常ならそこまで手をかけなくてもいいようなサンプル製作や素材探しも人任せにせず、全部自分で手掛けています。そうしたプレ期間もインスピレーションが生まれる大事な時間なんです。南高時代に教わった「自ら全ての行程に携わる」経験を現場でもそのままに、リサーチから製作に至るまで、全てを把握しながら完成させていくイメージですね。もちろん納期は絶対なので、ある程度決まった流れの中で、スピーディに終えられるものはできる限り早くできるように努めています。とはいえ、一つひとつの工程にかかりっきりにはなれないので、それぞれを同時進行しながら、良し悪しのボーダーラインをタイミングを見極めて決定しながら進めているのがリアルなところですけどね。

がんばった経験はどこかで必ずつながる

「服づくりの全ての行程に関わる」南高で学んだカリキュラムが今の私のスタイルをつくっています。岡山にいるおかげで、自然からインスピレーションを得て、それがデザインに活かされています。そして、岡山レースという素晴らしい地元企業と協業して、新しい生地を生み出すこともできました。最初は嫌々ながらだった弓道部の日誌書きも、日々のことをコツコツと積み上げていく訓練だったと今なら言えます。つまりは、どんなことでも、どこかで何かにつながっていくということです。たとえ、そのときは直接的に役に立たなくても、そのときは重要さに気づかなくても、どこかでつながっている。この服にあしらっているレースは、絵柄も作り方も異なる6種類のレースを、職人さんが手仕事で丁寧につなぎ合わせてできたもの。まったく新しいレース生地になっています。レースもまた「つながりが生む美しさ」なんですよね。私もまだまだ、勉強の途中です。ファッションデザイナーにはすごい人がたくさんいて、そういう方たちと話すたびに、服以外のことへの関心の高さに驚かされます。ものづくりの技術だけでなく、アートや歴史など幅広い知識と見識を深めながら、自分の創造性を豊かにしている。私も、そうありたいと思います。では最後に。私は高校時代からずっと服のことを学んできました。ものづくりやファッションの世界が今も大好きです。やっぱり、好きに勝る力はないと思いますね。皆さんも自分の好きを見つけてください。すぐに成果が出なかったり、自分よりすごい人に引け目を感じる必要なんかありません。好きなものに真っ直ぐでいれば、そこから何かが開けてきます。焦らず、前向きに、ゆっくり、コツコツできっと大丈夫。




絵柄や色味、作り方も違う。レースの美しさは
そんな「繋がり」が生んでいる。





STUDENT IMPRESSIONS

生徒の感想文







TO THE NEXT LECTURER…..

Categories:
Tags:
BACK TO TOP