COLUMN
道_vol.29
03 May 2024
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presented by INOUE HOLDINGS CO.,LT

Where there’s a will,there’s a way
葬祭業界と地域社会の活性化に邁進し、儀礼文化の形骸化に警鐘を鳴らす井上万都里が連載する対談企画。それぞれの道を強い意志で歩み続けるゲストの言葉から、あなたの人生を切り拓く明日のヒントが見える。

“THE RITUAL CULTURE IN THIS COUNTRY IS ALWAYS VERY INTERESTING.”
「この国の儀礼文化への興味は尽きない」 ーMATSURI INOUE





人と人の接点をつなぐ宗教の役割。

ー井上万都里 株式会社イノウエホールディングス 専務取締役

開かれた「公共の場」としての寺院に。

ー安井智晃 日蓮宗 長興山 本栄寺 住職






ーー390年の歴史を刻む本栄寺

井上)倉敷美観地区の近くにあり、立派な山門を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。まず貴院の由緒について教えてください。

安井)長興山 本栄寺は、倉敷市本町にある日蓮宗の寺です。国指定重要文化財・井上家住宅の裏手にありますが、この場所に創建したのは江戸時代の寛永12年(1635年)、今から389年前です。古文書などの文献がほとんどないのですが、かろうじて残された文書から推測すると、もともとは現在の足高神社のあたりにあり、蓮華寺という名称だったようです。こちらに移ったのを機に、長興山本栄寺という名称に変更したようです。その時から数えて私が19代目となります。元の場所は岡山藩池田家の領地で、当時の殿様が廃仏毀釈を行ったために、ここ天領に逃れてきたのだと聞いています。本堂は、江戸時代中期の宝暦14年(1764年)、今から260年前にこの地に建てられたと思われます。




――加藤清正ゆかりの寺


井上)倉敷・岡山は真言宗のお寺さんが多く、特に倉敷市内で日蓮宗は少ないですね。貴院は加藤清正にゆかりがあるそうですが。

安井)そうですね。倉敷市全体でも日蓮宗のお寺は少なく、旧市街ではここだけです。境内は本堂を中心に、その左手に妙見菩薩を祀る妙見堂が、本堂の右手を進むと加藤清正公を祀った清正公堂があります。なぜ日蓮宗のお寺が熊本の加藤清正公を祀っているかというと、公が日蓮宗の信者だったから。清正公は、戦に行く際に身に付けていた兜や陣羽織に「南無妙法蓮華経」の題目をいただくほど熱心な信者だったそうです。また、領民にも大変人気があり、清正公を慕う気持ちが徐々に神格化され、やがて日蓮宗の寺で祀られるようになったのです。当寺自体が少し小高い場所にありますが、清正公堂や鐘楼のある場所はさらに高く、美観地区の美しい景観が眺められます。



ーー自ら発信する寺の新しい姿


井上)ご住職はブログでの発信を続けられていますが、きっかけはあったんですか?

安井)日蓮宗が、全国の日蓮宗寺院に向けてホームページ作成の希望があればプラットフォームを提供したことがきっかけです。私自身はまったくの機械音痴なのですが、意外にやれば何とかなるもので、せっかくホームページを作ったのなら何か書こうと思って始めました。

井上)私もこれからの時代、寺社も発信していくことが必要だと思います。皆さん京都などの有名なお寺には行かれますが地方の神社仏閣にはあまり参られません。昔の建物やお堂といった歴史あるものに興味を持つ方は多いのに敷居が高く小難しそうなイメージがあるのでしょうか。私がこの「道」という企画を始めたのも、皆さんにもっと寺社や宗教、その精神性を知ってもらいたいという思いがきっかけです。美観地区は倉敷の中でもっとも由緒正しい地区ですし、その地区内のお寺というのはなかなか敷居が高いと感じられるかもしれません。ご住職のように、お寺の歴史や参り方、法話などをわかりやすく発信するというお寺の在り方は、今後もっと広まっていってほしいと思います。



ーー寺院は<公共の場所>であるべき


井上)「倉敷屏風祭」や「倉敷ジャズストリート」の会場として一般に公開されることもあるようですが、普段も一般の人は境内に自由に入っていいのでしょうか。

安井)もちろんです。ただ、残念ながら、一般の方々がお寺に入るのを躊躇されているように感じています。鳥居があるので神社と間違って入って来られる方もいることから、神社にはそれほど入りづらさを感じないのかな、とも思います。

井上)私が思うに、神社には初詣や何かの節目の時にはお参りに行きますね。そういうオープンなイメージがあるのではないかと思います。

安井)お寺は、檀家でないと入れないようなイメージがあるのではないでしょうか。「お墓もないのに入っていいのかな」といった。私も観光地へ旅行した時に、同じ日蓮宗のお寺があったので御朱印をいただこうと思ったものの、何となく入りづらく、「御朱印ください」と言うのにかなり勇気がいりました。私でさえそうなんです(笑)。一般の方にとってはすごくハードルが高いのではないかと思います。こちらとしてはウェルカムなんですが。うちに限らず、どこのお寺でもそういう雰囲気を醸し出しているのかもしれません。私自身は、寺院は「公共の場所」だと思っています。誰が入ってもいい、子どもが遊んでもいい、そんな公共の場だと考えているのですが、皆さんにそういう空気感が伝わっていないのは、非常に残念なことだと思っています。

井上)昔は宗教がもっと身近なところにあり、神社仏閣も私たちに近い存在だったように感じます。

安井)「寺子屋」という言葉があるように、寺はかつて教育の場であり、病院でもありました。薬を施したり、困っている人を受け入れるという福祉施設の役割もありました。そのなかに「先祖を供養する」、「葬送する」といった一つの部門としての仏事があったわけです。ところがだんだん時代が変わり、教育の場は学校に、医療の場は病院に、薬は薬局に、困っている人たちを助ける場は福祉施設にと、それぞれ別の場所に役割を移したのです。そして残ったのが、仏事。時を経て、仏事のためだけの場所になっていった気がします。



ーー寺院で学ぶ、生きるための精神


井上)昨今は「宗教離れ」とか、人と人の接点が希薄になったといわれる時代ですが、私は、寺を中心として人と人とを再び繋いでいけるのではないかと思っています。「宗教観」などというと、小難しいイメージが先行し若い世代には受け入れづらいのかもしれません。しかし、寺社には人と人の接点になる場所であり続けてもらいたい。倉敷はその昔、倉敷村が中心で周りは海でした。そんな地形のなかでも寺だけは高い場所に建てられていました。市街地を見渡せる場所にある寺院が中心になって、教育や文化が作られてきたわけです。私はこれからそういう場が求められると思います。むしろこれからの時代にこそ必要だと感じます。ですが、そうは言っても、若い世代の宗教離れは深刻。本当に宗教について知っていただくためには、大人の我々自身がまず、生きることを学ぶ必要があると思います。学校では学校の勉強を、社会に出ればその社会のルールを学んでいきますが、生きるための「精神性」は仏教や神道の教えに詰まっていると思います。





――誰にも身近にある宗教の教え


井上)昔は親や祖父母世代から先祖を敬う心や宗教観・倫理観が自然と子に受け継がれていました。言うなれば、放っておいても伝わっていた。しかし今は、伝えようと努力しないと伝わらない時代です。現状維持のままでは日本人の精神性も継承されないのではと危惧しています。

安井)宗教離れというより、「そもそも宗教とは何だ?」という曖昧模糊な感じだと思います。学校教育の場で宗教について教える機会がないことも原因ではないでしょうか。学ぶ機会がないため宗教について全く分からない、触れる機会がないままでいるとニュースなどで取り上げられるような「問題のある団体」=「宗教」だと思う若い方もいるのではないかと思います。神社仏閣にお参りするのも、また宗教。それほど特別なことではないような気がします。最近読んだのですが、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリさんが書いた本に、「宗教とは超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範と価値観の制度」と定義されています。人間を超えた人以上の存在を信じることによって、道徳や、してはならないことを判断するのが宗教だと書いてあります。なるほどその通りだなと思いました。ただ、超人間的な存在というのを現代では実感しにくくなっているような気がするのです。



ーー踏襲と進化のバランスを取る


安井)当寺のルーツは鎌倉時代ですが、約800年前の人たちが信じていたことを現代の人に信じろと言われても難しい。800年前の人たちにとっては神仏や、浄土という死後の世界は疑いようのない存在でした。けれども科学も技術も進歩した現代の我々にはピンとこない。しかしお寺の世界では、まだ昔宗祖がおられた頃のことをそのままやろうとしている。住職になって、そこに無理があるのではないかと実感しています。ベースを外してはいけませんが、やはり現代にあった表現やアプローチをしていかないと、どんどん今の若い人たちから乖離してしまうと思います。

井上)確かにその通りですね。私が思うに、文化を受け継ぎ次の世代に繋いでいくためには「踏襲」と「進化」のバランスが大切です。そのバランスを保つからこそ、100年、300年、1000年と続いていくのだと思います。当社は今年1月で創業111年を迎えました。私が4代目ですが、約30年ごとに代替わりするとしても、90年ビジネスモデルを続けられたということは、踏襲と進化のバランスを取ってきたからだと思うのです。それが800年となると本当にすごいことですね。


――AIの時代だからこそ必要な人と心の接点


安井)続いてこられたのは先人たちの努力の賜物だと思います。しかし、スマートフォンの登場以降様相が変わりつつあるような気がします。それまでは限られた人間にしか出来なかった不特定多数への自己表現がスマホというツールによって、すべての人がその場で出来るようになった。SNSにより個人が世界の中心になった。そして、フォロワーという「信者」により自らの神格化が始まる。そうなると益々神仏にリアリティを感じられない。その上法要やお葬式でも、その場にいなくてもオンラインで参列できる。

井上)随分変わってくるでしょうね。

安井)私はどちらかというと何もかもをオンライン化することには否定的な立場なので、取り入れていませんが。

井上)ITが普及しても、人との接点は必要だと思います。リアルに人と会って直接五感で感じながら進めていくことは大事ですね。

安井)さらに今はAIの時代が訪れています。お寺が安易にその方向に流れると、もう歯止めが効かなくなるのじゃないかなと思いますね。たとえば「法華経の教えとは何ですか」とチャットGPTに聞くと、その難しい内容をあっという間にまとめあげてきました。葬儀自体もだんだん簡略化される流れになっています。今まで以上に我々僧侶が自らを高める努力と、危機感を持たないといけない時代に入ったと言わざるを得ません。



――「冬は必ず春になる」と心に留めて


井上)災害や戦争が続き、未来に不安を感じる若者が増えているようです。現代人に、日蓮上人の言葉でメッセージをいただけますか。

安井)「冬は必ず春になる」という言葉があります。「寒い冬がずっと続くわけではなく、いつかは温かい春が来ますよ」という意味です。良い人にも悪い人にも誰に何が起きるかわからない。そうした不条理で矛盾する世界に私たちは生きているということを忘れてはいけないと思います。誰がいつどんな立場になるかわからない。けれど決して孤立していないということは忘れてほしくないと思いますね。みんなが応援しているということだけは心に留めておいてほしい。「諸行無常」という言葉はネガティブなイメージに思われがちですがポジティブでもあります。常に移り変わるのですから悪いことばかりじゃない、いいこともあるよという意味なのです。世は常に移り変わっているのです。








井上 万都里
株式会社イノウエホールディングス 専務取締役

儀礼文化研究所の創設など文化伝承にも貢献する葬儀社、株式会社いのうえ専務取締役。オカヤマアワード副会長、葬儀社による全国大会ネクストワールド・サミットの実行副委員長も務めた。



安井 智晃

日蓮宗 長興山 本栄寺 住職

1968年生まれ。立正大学仏教学部卒業。平成18年より現職。日蓮宗声明師・修法師。日蓮宗岡山県声明師会会長・倉敷仏教会副会長を拝命。ブログや寺報「本栄寺通信」での布教に力を入れる。趣味はロードバイク。



LOCATION
日蓮宗 長興山 本栄寺

寛永12年(1635年)に足高山付近(現・倉敷市葦高)より、岡山藩の廃仏毀釈を逃れ、天領であった倉敷の現在地に移転。安井智晃さんが第19代住職を務め、地域の活動にも積極的に参加している。2月に墓地やガラス納骨堂、合祀墓、ペット納骨堂などが完成した。お寺や教えについて、趣味のことなど幅広い話題をブログにて発信中。

住所: 倉敷市本町1-41
電話: 086-422-2844

株式会社イノウエホールディングス
大正2年に井上葬具店から始まった株式会社いのうえは2013年に創業100年を迎えた。都市化を見据えた新たな葬儀スタイルの提案など伝統と革新を見極めながら成長する全国屈指の葬儀社。
倉敷市二日市511-1
Tel.086-420-1000
http://inoue-gr.jp/

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