presented by INOUE HOLDINGS CO.,LT
Where there’s a will,there’s a way
葬祭業界と地域社会の活性化に邁進し、儀礼文化の形骸化に警鐘を鳴らす井上万都里が連載する対談企画。それぞれの道を強い意志で歩み続けるゲストの言葉から、あなたの人生を切り拓く明日のヒントが見える。
“THE RITUAL CULTURE IN THIS COUNTRY IS ALWAYS VERY INTERESTING.”
「この国の儀礼文化への興味は尽きない」 ーMATSURI INOUE
目に見えないものに手を合わせ、畏敬の念を持つ。
ー井上万都里 株式会社イノウエホールディングス 専務取締役
仏教の教えを原点に、幼児教育に身を挺して。
ー松井 大圓 高野山倉敷別院 青龍山 地蔵院 住職
ーー天領ながら岡山藩主からの厚遇も受けた高野山の別院
井上)JR倉敷駅から南に伸びるメインストリート・倉敷中央通りを歩いたことがある方も多いと思います。この通り沿いにある寺院が、「高野山倉敷別院 青龍山 地蔵院」。建物はとても近代的ですが、歴史はかなり古いそうですね。
松井)建物は鉄筋コンクリート造りで、二階本堂御本尊には、聖観世音菩薩、右堂に毘沙門天、左堂に地蔵尊と愛染明王をお祀りしている三面の本堂です。地蔵院の創建時期については、はっきりわかっておりません。もともとは、現在の倉敷市笹沖にある足高山に鎮座する足高神社の神宮寺のひとつでした。神宮寺というのは、神仏習合思想に基づいて、神社に附属して建てられた寺院のことです。そして、江戸時代には岡山藩主の厚い信仰を受けました。七代藩主・池田継政により建物が建てられ、自作の仏像が寄贈されています。
井上)足高山から倉敷市日吉町への移転を経て、現在地へ移転されたということですね。 松井)はい。安土桃山時代の天正13(1585)年に、日吉庄村(現・倉敷市日吉町)に移転しました。江戸時代前期の貞享年間(1684~1688年)には、倉敷村(現在の倉敷市中心部)へ移りました。ところが、明治元年(1868年)12月に火災が発生して本堂が焼失してしまい、一時は無人の寺になってしまいました。時を経て、明治34(1901)年に倉敷市連島町の宝島寺から恵戒 大和尚(えかい だいわじょう)が住職として寺に入り、明治42(1909)年に本堂を再建。御国幼稚園も開園しました。その後、布教活動と幼児教育に力を注いだ功績が認められ、昭和26(1951)年、高野山本山より高野山倉敷別院として認可されました。その後、倉敷の都市開発計画のため、寺域を市に寄贈。かつての本堂と幼稚園を建て替えて、現在の伽藍を築いたのです。最先端の建築で、しかも災害に強いものということで、このような鉄筋コンクリート造りにしました。
――人格形成の原点、未来を拓く要は幼児教育にあり
松井)寺院の北側に隣接した「御国学園幼稚園」は、昭和4(1929)年に開園し、もう94年になります。初代園長である祖父の恵戒大和尚(えかい だいわじょう)が、「人間教育の原点は幼児教育にある。人間を育てにゃあいけん」という考えから幼稚園を創設しました。
井上)人間の人格は3歳ぐらいで決まると言いますね。幼少期の教育が重要であることは言うまでもありませんが、現在はより必要性が高まっているように感じます。 松井)倉敷市内では、倉敷幼稚園、竹中幼稚園に次いで古い幼稚園です。元はお大師様の願いとして創設した幼稚園ですが、お金もない中、檀家や信者さんの浄財、寄付を募っての立ち上げは大変だったと思います。実現したのはとてもありがたいことでした。おかげさまでこれまで1万人以上の子どもたちが卒園いたしました。
ーー遊びのなかで子どもは育つ感謝の心を育てる教育
井上)創立以来変わらない教育理念とはどういうものですか。
松井)初代園長の想いは、「身も心もすこやかに国をおもい、親をおもう優しい子供を育てたい」という建学の精神です。仏教の教えを原点とし、遊びの中から体験として学び、愛情、創造性、自主性と個性が生き生きと伸びていく教育に取り組んでいます。
井上)私も卒園生のひとりですが、母曰く、子どもの頃は人と違うことばかりする子どもだったようで(笑)。それでも御国幼稚園では、規則正しい生活を身につけつつも、とにかく毎日を全力で遊んでいた記憶があります。園に来ると楽しかった気持ちが蘇りますね。
松井)わがままなのが子どもの本分じゃから、それでいいんよ。子どもは遊びの中で育つもの。人間はどうしても律しなくてはいけないときがあります。しゃべる時はしゃべり、黙る時は黙らなければいけない。ただし、子どもはその限りではない。何にも囚われず、全力で遊ぶことが子どもにとって最大の学びだと思います。
井上)卒園してからもそうですが、御国幼稚園は先生との距離が近いですよね。3~5歳だったのではっきりとは記憶がありませんが、いつも楽しくて「行きたい」と思える場所でした。全くもって「行くのがイヤ」ということはなかったと思います。金のやかんで注がれるカルピスはいまでも忘れられない味です(笑)
松井)井上氏が通っていた頃とも教育方針や理念は変わっていません。遊ぶことを阻害せず、命の尊さ、有難さ、そして感謝の心を育てる教育を行っています。
ーー日本にはなかった「宗教」という単語
井上)宗教そのものに対する見方に厳しい側面がある現代ですが、宗教を取り巻く現状をどのように捉えていらっしゃいますか。
松井)まず、「宗教」という言葉、単語に立ち戻ってお話しなければいけません。宗教について語るのであれば、宗教という言葉そのものから解かなければいけないと思うんです。ある本によると、日本語にはもともと「宗教」という言葉は無く、「religion」という言葉を訳す際に「宗教」とされたそうです。それまでの日本には地の神様、八百万の神様への畏敬の念と空海(弘法大師)、最澄(伝教大師)などの高僧が命をかけて大陸へ渡って持ち帰ってこられた仏教くらいしかなかったのではないでしょうか。そもそも目に見えないものに手を合わせるということ自体はごくごく自然な行為だったはずなのですが、今はそれすら「おかしいな」という人もいらっしゃいます。現代では宗教に関する様々な情報が溢れているために、逆に救いがないという可哀想な状況が散見されます。宗教と形容されるものは、少なからず救いをもたらせるものでなければなりませんが、日本人の根源的な信仰心はもっと自然体に近いところにあるのだと思います。
井上)昔は、何か悪さをしたら、おばあちゃんとかおじいちゃんから「お天道さんが見とるよ」なんて叱られたものですが、それが日本人の信仰心を端的に表しているようにも思います。我が家では、毎年お盆になったらお坊さんに来ていただいて拝んでもらうのですが、ご住職が、「ある子どもが『お父ちゃん!』って父親を呼んでいたのを聞いてはたと気づきを得た」というお話をされたのが印象的でした。現代では「父ちゃん、母ちゃん」と親を呼ぶ子どもは圧倒的に少ないですし、母親のことを友達のように「ちゃん」付けで呼ばせる方もいます。こうした小さなことから、日本人の倫理観や礼節、道徳が失われてきているような気がします。
――争わざること、これ仏教
松井)最近になって特に感じることですが、使う言葉によって人間の情感が薄まっているような気がします。日本語は情けの言葉、横文字は理論の言葉であると分析された識者もいらっしゃいますが、横文字の侵食によって日本語の情けの部分が情けなくなってきたわけです(笑)。
井上)日本人として大切にすべき情感が、普段の言葉遣いによって失われつつあると言うことでしょうか。
松井)そうです。本来は、日本人の考え方を世界中の人が見習うべきなんですよ。真言宗はお寺と一緒に神社が建立されているところもあります。キリスト教まで一緒になっているところも。これは「空海(弘法大師)」の精神なのです。みんな仲良くするという精神が歴史の流れの中にあり、目に見える形でも残っているわけです。「争わざること、これ仏教」という言葉もありますが、仏教の精神は、「みんな仲良く、受け入れる」ことです。
ーー目に見えないものを敬い命に「ありがとう」を
松井)目に見えないものに、「畏敬の念」を持つということは大切なんですよ。最近、お葬式をしない人が増えています。お葬式をすると確かにある程度お金がかかる。けれども人間の心としては、縁者、知人、父母、子どもの御霊をきちんと供養してやることは大切にしたい。「供養」とは、言葉で言えば「ありがとう」です。食べる前に「いただきます」をするのは、命に対する供養です。食べてすんだら「ごちそうさま」でしょう。今頃は食事の始まりと終わりに何も言わない人も少なくありません。命を大切にしていないなと思いますね。
井上)御国幼稚園には国籍や宗教の違うお子さんもいるんですか。
松井)当園としては先程のお話にもありましたが何かを拒むということはありません。いまは国の違う子どもさんが数人通われています。アフリカ人のお子さんやバングラディシュの人でイスラム教のお子さんもいます。ここで日本の精神を学び、活かしてくれるといいなと思っています。
井上)NGOでストリートチルドレンの支援をしている方の本に、「豊かな国の子どもは心が貧しい。貧しいところの子どもは心が豊かである」という話が書かれていて、「そうだな」と思いました。松井先生とか私の父親の世代は、産みの苦しみというか、何もないところから作り上げていった時代で、希望に満ちていた。今ではあらゆるものが容易に手に入るようになり、スマートフォンの中でほとんどのことが解決してしまうような時代になりましたが、精神的に病んでしまう人が多く、自殺者も増加しています。子どもたちの情操教育や健全な心を育てる取り組みは日本にとって重要な課題ですね。
松井)御国幼稚園の子どもたちをはじめ、未来を担う子どもたちには心身ともに健やかに育ってほしいですね。賢いとか賢くないとか、スポーツができるとか、音楽ができるとか、そういう能力は一切関係なく、一人の人間としての土台を作るのが幼稚園だと思っています。卒園式の時、ある保護者の方が「御国幼稚園で、私自身が育ちました」って言ってくださいましてね。これはうれしかったですね。今の子育て世代の親御さんたちは核家族化で先人の知恵や経験を教わる機会も少なくなっていると聞きます。また、悩んだ時に相談できる人が周りにおらず孤立化してしまうこともある。親御さんにとっても学びや助けとなる環境であることが、これからの幼稚園に求められる機能であり役割でもあると考えています。
――すべてのものに感謝し、何事をも肯定する心を
井上)毎月1日の午前、私と父親は欠かさずお墓参りを続けています。1日というのはお互いスケジュールが押さえづらい日にちではありますが、いまある自分の存在は、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん…という先祖が繋いでくれた賜物であるという感謝を忘れないため継続しています。荒んだ社会を象徴するようなニュースを見聞きするたびに、感謝を覚える、感謝を伝える、という当たり前の感覚、行為が秩序を保つ上でも、現代社会にとって大切なのではないかと感じています。
松井)私は、毎日を幸せに暮らすためにも、親御さんは大自然、大宇宙の目に見えるもの、見えないものへの感謝を言葉にして子どもたちへ伝えてほしいと思っています。子どもと一緒に「ありがとう」と言ってみてはどうでしょうか。親の感謝の気持ちが子どもに伝われば「ありがとうは大切だ」とわかるでしょう。三界のすべての「命」に対しても同じことなのです。私は、御仏さんにも「おはようございます」の前に「ありがとうございます」と言っています。
井上)感謝を伝えられる人は、他者を助けられる人。それが巡って自分も支えてもらえる、これは真理だと思います。それぞれの人生においても、社会にとっても「感謝すること」は重要な潤滑油であり、全ての動機ですね。
松井)メディアに触れれば批判ばかりで、こういった情報ばかりに晒されているとなかなか素直にもなれませんよね。それでも、「有難い」と思えること、何ごとも肯定するという態度が大切だと思います。
井上 万都里
株式会社イノウエホールディングス 専務取締役
儀礼文化研究所の創設など文化伝承にも貢献する葬儀社、株式会社イノウエホールディングス専務取締役。オカヤマアワード副会長、葬儀社による全国大会ネクストワールド・サミットの実行副委員長も務める。
松井 大圓
高野山倉敷別院 青龍山 地蔵院 住職
高野山倉敷別院地蔵院の主監、青龍山地蔵院住職。御国学園御国幼稚園園長を兼務。平成30年、長年にわたる幼児教育への功労により瑞宝双光章を受章。カウントハードジャズオーケストラ代表として音楽活動にも取組む。
注釈:[三界]
仏教における三界とは、欲界・色界・無色界の三つの世界のことであり、衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界をその三つに分けたもの。
photography PLACE
高野山倉敷別院 青龍山地蔵院
倉敷市笹沖地区にある足高神社の神宮寺の1つとして創建。安土桃山時代に笹沖地区から日吉庄村に移転し、江戸時代に倉敷村に移った。江戸時代には岡山藩主の厚い信仰を受けた高野山真言宗の寺。明治元年に火災で本堂が焼失したが、明治42年に再建。高野山本山の別院として認可され、御国幼稚園を創立する。
住所:倉敷市阿知3-20-17電話:086-425-0143
株式会社イノウエホールディングス
大正2年に井上葬具店から始まった株式会社いのうえは2013年に創業100年を迎えた。都市化を見据えた新たな葬儀スタイルの提案など伝統と革新を見極めながら成長する全国屈指の葬儀社。
倉敷市二日市511-1
Tel.086-420-1000
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