1982年創業。スタートは7坪半のお店だった。2年後には移転し40坪に拡大。当時県下最大級の80坪まで拡張した後、一店舗拡大の運営から多店舗展開にシフト。現在、倉敷に4店舗、総社に2店舗、岡山に2店舗の美容室、まつ毛&ボリュームアップエクステの専門店を運営。創業から現在まで300名近い美容師を輩出してきた、岡山屈指の老舗美容室、トップヘアー。
大切にしてきたのは、いつも《人》だった。「人が輝く舞台づくりを」を理念に掲げる創業者の甲斐尊美氏は美容業界では名の知れた人物であり、トップヘアーは業界でも一目置かれる存在となっている。これまでの歴史を築き上げてきた甲斐尊美代表取締役、バトンを託された瀬藤雅博会長、創業者の息子としてトップヘアーイズムを承継し、さらなる発展を誓う甲斐裕樹社長に、40周年を迎えた会社や美容業界への想いを訊いた。
◆ TOP HAIR(トップヘアー)
1982年創業。倉敷市に本社を置く「株式会社ザ・トップ」が運営する美容室。倉敷に4店舗、総社に2店舗、岡山に2店舗の美容室、まつ毛&ボリュームアップエクステの専門店を展開。
https://www.tophair.co.jp
TOP HAIRに携わるすべての人が紡いできた40年の歴史。紆余曲折を乗り越え、長く愛されるお店へ。
「倉敷の地でナンバーワンになるんだ」との想いを店名に冠した「TOP HAIR」。1982年創業のトップヘアーは、わずか7坪半の小さなお店から始まった。代表取締役の甲斐尊美氏が奥様とスタッフの3人でスタートしたお店は、開店からわずか約1年半ほどで、いつも行列ができ整理券を出さなければならないほどの人気店となる。当時、お店のあった駅前商店街は19時頃には周囲の商業施設は営業を終了し、ほぼ真っ暗な状態。その中でトップヘアーだけがお客様の対応や自分たちの技術向上のための勉強会など、23時頃まで熱心に灯りをともしていた。そんな仕事への熱い姿勢に感心してくれた人とのご縁もあり、約30坪の店舗へと拡大移転を果たす。さらに約2年後には、当時西日本最大級となる80坪まで拡大。トータルビューティーという言葉がまだ世に浸透していない時代に、《トータルビューティー》をキャッチフレーズに掲げ、事業拡大に乗り出した。当初、事業は順調に軌道にのっていくかに思えたが、「戦略を間違えた」と甲斐尊美氏が振り返るように、思うような結果は残せなかった。《トータルビューティー》を打ち出すには時代が早過ぎたことに加え、急速な事業拡大のため、客数は確保できていたものの家賃などの諸経費がかさみ利益が確保しづらくなってしまったのだ。「行け行け進め」どんぶり勘定で1店舗を拡大しすぎて失敗した経験から、店舗面積は小さくしつつ多店舗展開へと舵を切り替えた。
紆余曲折を経て40年。現在は倉敷に4店舗、総社に2店舗、岡山に2店舗の美容室、そしてまつ毛&ボリュームアップエクステ・ドライスパの専門店を運営。今後もさらに「美」に特化した店舗等の出店も計画している。目まぐるしく移り変わる時代の流れ、顧客のニーズの変化など様々なテーマに対応しながらも40周年を迎えられたのは《人の力》があってこそ。40年という長い期間、トップヘアーが第一線を走り続けてこられた理由として、3人は口を揃えて人への感謝を口にする。「今までここで働いてきた一人ひとりのスタッフが、お客様とのつながりの中で精一杯の技術とおもてなしを提供し、またそれをお客様に受け入れていただいた。ありがたいことに、お客様に愛され必要とされ続けているからこそ、TOP HAIRはここまで歩んで来られたのです」。美容業界においてスタッフの平均定着年数は約2年半と、他業種に比べると極端に短いが、TOP HAIRの定着年数は約12年。スタッフ一人ひとりの《人》が良い環境を作り続けるという好循環をつくってきたことが、その定着年数からも分かる。「誰が偉いとかではなくて、一人ひとりが輝くことが何よりも大切。そのための舞台をつくることが、私たちのモットーなんです」と甲斐裕樹氏。取締役、幹部、スタッフが紡いだ思いをお客様が受け止めてくれる、人が織りなす好循環がTOP HAIRの40年をつくり上げてきた。
人に優しく仕事に厳しく。技術だけでなく人間性も伸ばすために
「社内の人間に対し思いやりを持てなければ、お客様に対して思いやりの心を持てるわけがない。それでは良いおもてなしは絶対できない」。人材育成において甲斐尊美氏が最初に取り組んだのは、思いやりを育てられる会社を作ることだった。理解度が低かったり技術習得に時間がかかるスタッフも絶対に切り捨てない。相手の立場に立って、心情を推し量りながら「どうすればいいのか」を一生懸命考え、寄り添う。「誰も置き去りにしない」精神を貫き通した。スタッフ全員が共有している社風は「思いやり」と瀬藤会長が話すように、創業者が大切にしてきた精神は確実に社内に根付いている。自分よがりではなく他人のことを敬い、一人はみんなの為に、 みんなは一人の為に頑張る。ここで肝心なのは、《優しさ》イコール《甘え》ではない、ということだ。「人に優しく、でも仕事に厳しく」という考えもスタッフが共通して認識していることである。お客様に最良のサービスを提供するために、仕事に対しては一切妥協しない。だからこそ、「お客様が何か困っていないか、本当はこんなことを求めているのではないか、という相手の心情を慮る能力は、スタッフみんな、すごく長けてると思います」と甲斐裕樹氏。
歴史を重ねる中で創業者の思いを引き継ぎ、バトンは瀬藤会長、甲斐裕樹社長へと託された。「TOP HAIRを永続して承継していく為に、時代を読み、先取りしながら緩やかに、でも確実に変化してきました。いつの間にか変化していたということが大切で、それができたからこそ、今もTOP HAIRは存続しているのだと思っています。40年間どのタイミングを振り返っても、今この時が最高のTOP HAIRだったと自信をもって言えます」と瀬藤会長。変わらないために変わり続ける。このスタイルは、今までもこれからも貫くのだと、今後を託された2人は決意を新たにしている。「個性を伸ばし、人がキラキラと光る会社をつくっていくこと。今やってくれている路線は、間違いないと思っています」と、甲斐尊美氏も自身の思いが確実に受け継がれていることを感じとっている。「”継承していく”ということは”つなぐ”ということですから。全てにおいて人とのつながりを大切にしていけばいいと思います。経営を続けるにはお客様から支持される以外に答えはない。だからこそ、技術と人間性の両輪を磨き高めていくことが大切です。このお店から輪が広がっていき、岡山の女性たちをキラキラ輝かせるという使命を果たせると嬉しいですね」と、創業者の甲斐尊美氏は今後のTOP HAIRに期待を寄せている。
やりがいや働きがいを感じられる環境を整え、人が輝ける舞台をつくる
近年かなり改善されてきたとは言え、美容業界は労働環境の整備においてはまだまだ足りない部分も多く、《やりがい搾取》にならない環境をつくることが急務の課題となっている。「大事なのは定着率。スタッフを集めることを一生懸命やるけど、ここに留まってもらう会社を作ることが継続の力であり、いい会社を作る基本になると思うんです」と甲斐尊美氏。社員を守ることを大切に、創業当時の40年前から時代に先駆けて社会保険を導入するなど労働環境の整備には力を入れてきた。その一方で、異業種に劣らない労務環境をいかに作るか、若手美容師の早期育成を実現する教育環境の改善など、まだまだ改善の余地はある、と瀬藤会長は気を引き締める。「今後、若手スタッフの活躍の場をつくるために入社からスタイリストデビューまで1年を目指し、安心して長く働けるような給料システムや福利厚生の充実を図っていきます」と瀬藤会長。一方で、甲斐裕樹社長は労働環境に目を向けながらも、「なぜ美容に携わるのか、なぜ美容をしたいのかという根幹は捨ててほしくない」とも話す。「美容師さんは本当にかっこいい職業。だからこそ、美容に対するやりがいを持ち続けてほしい」との思いがあるのだ。単に技術があればいいというものではない。大切なのは「技術と人間性のバランスの高さ」だと甲斐尊美氏は言う。
目には見えない人間味や豊かさが加わることで技術がさらに光り、美容師として本当の輝きが増していく。自分の特性や持っている武器がどんどん磨かれ、自分の人生を豊かにできるような下地作りをするのがザ・トップの役割。ザ・トップとは人が人間的に育つ会社であり、人の温かみにあふれていることも良さの一つだ。TOP HAIRの根幹には、”人”の力がある。経営理念は「人が輝く舞台づくり」。美の形が変わっていくように時代によって価値観も変化するが、人間の芯は変わらない。「人が輝く舞台をつくるために、焦らずじっくりPDCAを回し続け、答えを見出しながらみんなで一緒に向かっていくかたちが必要。そのために、人に優しく仕事に厳しくというスタイルは続けていきたい」と甲斐裕樹社長。TOP HAIRを支えてくれたお客様とスタッフに対して、伝えたい言葉はなんですか、と甲斐尊美氏に尋ねると「ありがとう、これからもよろしく」と、はにかんだ笑顔で答えてくれた。お客様の喜びの種が花咲くように、スタッフ皆の笑顔があふれる未来を見据え、50周年に向けて歩んでいく。
《甲斐尊美》
株式会社ザ・トップ 代表取締役 相談役。1952年長崎県佐世保生まれ。15歳で理容室に修行に入り、20歳で美容に転向。30歳で倉敷にて独立し、トップヘアーを創業。現在は美容室を8店舗、まつ毛&ボリュームアップエクステ、ドライスパの店舗を各1店舗運営している。異業種経営者の会での指導や若手美容経営者の塾を開催するなど、多方面で精力的に活動している。
《瀬藤雅博》
株式会社ザ・トップ 取締役会長。1969年岡山生まれ。1988年に同社入社。ロンドンへの留学を経験し帰国。店長、マネージャー、統括ディレクターを経て、取締役社長に就任。創業者の息子である甲斐裕樹氏にバトンを引き継ぐ。
《甲斐裕樹》
株式会社ザ・トップ 取締役社長。1983年倉敷生まれ。幼い頃から夢中になったゲーム業界に興味を持ち、プログラマーとしてコンテンツ制作やマネジメントを学ぶ。2018年、「誰とどこで生きていきたいか」と人生を熟慮し、自分のルーツである倉敷へと帰郷。「一人はみんなのために。みんなは一人のために。」新社長として決意を新たに未来を見据えている。