INTERVIEW
「和」の精神で積み上げた実績をもとに、《塗料》の新たな価値を創造する
23 March 2022
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1947年の戦後復興期に岡山で誕生し、1950年に会社として設立した中島商会。高度成長期からのオイルショック、バブル経済と崩壊、さらにリーマンショックや数々の自然災害など、戦後以降のジェットコースター経済のすべてに影響を受ける塗料業界で着々と実績を重ねてきた。
2020年には70周年を迎え、海外にも拠点を構える国内トップクラスの塗料商社としての存在感を示しているが、その歴史は順風満帆とは決して言えない、努力と創意工夫の賜物であった。
そして今、塗料の概念を一新すべく、新たなチャレンジへの歩みを踏み出した。


◎中島 弘晶(Hiroaki Nakashima)
株式会社中島商会 代表取締役社長
1973年岡山市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後帰岡し、中国銀行に入行。2000年初頭までの大不況時、家業の危機を救おうと退職するも、幅広い知識を身につけるために業界最大手の日本ペイント(株)へ入社。まもなく社員からの熱い依頼に心動かされ、2001年中島商会入社。精力的に社内改革を進め、V字回復を成し遂げた。2014年に代表取締役社長に就任、国内屈指の塗料専門商社として名を馳せるまでに成長を果たしている。

◎株式会社中島商会
住所:岡山市北区柳町2-2-23
電話:086-232-2711
https://www.nakashima-shokai.co.jp


【HISTORY】
戦後復興期に塗料の重要性を見抜き創業、激動の時代に礎を築く

塗料の歴史は紀元前「アルタミラ洞窟」の壁画まで遡り、人類の歴史とともに発展を遂げている。日本において発見された最古の塗料は「漆」。世界の歴史よりはずっと遅れて約6,000年前の縄文時代に使われたとされている。当時の日本においては建築物の保護というよりは手持ち品の光沢や彩色など、美観付与の意図が大きかったと見られているが、その後明治時代になると、黒船到来とともに西洋塗料が台頭し、建築物の保護を主目的とした塗料が台頭した。

中島商会のルーツはそれからもう少し時を経て、1947(昭和22)年の戦後復興期、創業者である中島利(さとり)が興した塗料販売業である。幼少より塗料販売会社へ奉公に出され、雇用先の社長から抜群の商才を認められていた。戦争に徴用されたものの終戦後に帰国、焼け野原になった岡山を目の当たりにし、起業を決意する。「そうだ、復興するには建築資材もいる。塗料も必要になる」。

読み通り塗料の需要は高く、3年後の1950(昭和25)年には法人化。その後も高度経済成長期に端を発した好景気がしばらく続いたことで業績を伸ばすことに成功。全国への拠点拡大や他業種進出も狙ったものの、1973(昭和48)年に起こったオイルショックにより、大打撃を受けてしまう。その後日本経済の浮沈が激しく続く中、1998(平成10)年に中島利の急逝によって2代目社長に中島勉が就任した。

その際に露呈したのは、右肩上がりの成長の裏側で、販売手法や経営方針が時代と乖離していた厳しい現実。大量仕入れで実売優先、在庫管理や売掛金回収は二の次というビジネスモデルが通用しなくなっていたのだ。2代目は企業の若返りと近代化および組織強化を同時に進行させるため、就任早々に自らは会長に退き、当時30歳だった中島範久に事業の命運を託した。

時を同じくして弘晶(現社長)が中国銀行の職を辞し、主要取引先である日本ペイントを経て中島商会に入社。弘晶は同じ県内の銀行マンとして家業の危機を俯瞰していたため、内包する企業課題を誰よりも熟知しており、体制改革を求める社員や経営安定化を願う金融機関などから強く望まれた入社だった。すぐさま企業改革に取り組み、ガバナンスとなる「DNA」構築によって社内の意識統一を固めていく。ようやく、中島商会は御用聞き主体の「商店」から提案型「企業」へと一躍変革を遂げ始めたのである。


【CHALLENGE】
企業体質強化を徹底、業界屈指の商社として成長

「入社からこれまでの20年余、本当に苦労しかありませんでした」と、2014(平成26)年から現在まで社長のバトンを受け継いでいる弘晶氏は当時を振り返る。行動指針「ACE」(ACTIVE/CREATIVE/ETHICAL)も、企業改革の旗頭となった「DNA」も、弘晶社長の入社時に打ち立てられ、20年後の現在にまで継がれているアイデンティティだが、当初はただの言葉でしかなかった。リーマンショックの傷が乾ききらないうちに追い打ちをかけた東日本大震災、消費税増税と、時代も経済も過去類を見ないほどに落ち込んだ時期でもあった。しかしその大きな壁を乗り越えた先に打ち立てた「海外・国内40拠点」「売上高100億超」という数字が顕れたことは、コツコツと積み上げた企業改革の成功を物語る。

現在は塗料の専門商社として、国内外1,000社を超える商材を取り扱っている。特に建築物や自動車、工業製品塗装分野ではトップクラスの取扱高を誇り、業界上位が都市圏に集中する中、地方都市で実績を挙げている稀有な存在でもある。2020年には70周年を迎え、歴史と実績を両立させる業界屈指の優良企業として、新たな歩みをスタートさせた。さらに続く永続企業として視野に入れているのは「CSV(Creating Shared Value)」、つまり社会的な課題を解決できる事業展開を実現し、「社会価値」と「企業価値」の両立を目指す企業活動の推進。中でも核としているのは《新需要の掘り起こし》である。

積極的に実施していたのはM&A。「塗料業界に関わらず、事業撤退企業が増加しています。業種にはこだわっていないが事業継承を主眼とし、関連事業の範囲内で今後も継続したい」と社長は語る。さらに新需要開拓に欠かせないのがBtoC、エンドユーザーとダイレクトにつながる販路開拓だ。「海外の主戦場はホームセンター。DIY塗装が主流のため一般顧客が購買層の中核です。一方日本では、ゼロと言っていいほど一般化していない。それどころか、これまで仕掛けたあらゆる戦略がすべて失敗に終わっているのが現実です」。近年のDIYブームをきっかけに、塗料ニーズの裾野を広げたい狙いだ。


【to the FUTURE】
CSV実現のためのインバウンドマーケティングへ挑戦

顧客層の拡大の先に見据えているのは、単なる売上確保ではない。「もっと身近なものとして意識してほしい」—塗料そのものの周知獲得と意識改革にある。そのために足がかりとして着手したのが、日本の風土に合わせた天然素材の塗り壁材「エターナルアースシリーズ」の開発だ。

塗料が身体や環境に悪影響を与える存在であったのは過去のこと、現在流通している塗料は天然系素材を用いた水溶性が主流となっている。アクリル樹脂剤ゼロ、防腐剤ゼロの「エターナルアースシリーズ」は珪藻土系の「エターナルアース・テラ」と漆喰系の「エターナルアース・ソフトしっくい」、漆喰系外装専用の「エターナルアース・EXテリア」の3種があり、初心者にも塗りやすく、比較的簡単に美しく仕上げられるのが特長。日本ではまだ苦戦しているものの、中国をはじめ海外市場での評価は上々である。

もちろん事業の中心であるビジネス市場も前時代的な商社イメージを払拭、売買関係だけに留まらない提案や技術サービスの提供に努めている。「塗料なら中島商会にまかせておけば大丈夫」という絶対的な信頼を獲得し、その求心力は高まるばかりだ。“それでも”若者へのアプローチが成功しなければ未来はないと言う。「塗料以外でも社会貢献できる企業体として成長したいと考えています。そのためにはやはり次世代を担う若者へのアプローチと日本での拠点拡大の両立は欠かせません。現在進めている若手社員によるプロジェクトを骨子とし、さらに変革を進めたい」。

インバウンドマーケティングの一環としてアプリ開発にも着手し、WebやSNSを活用した潜在顧客の掘り起こしも実施している。また、地域の子どもたちにも積極的に関わる。「塗装の楽しさを広く知ってほしい。学校などに対し、無償提供や塗装体験などを積極的に開催したいと考えています」。

2000年代にスタートした企業体制づくりにおいても、時代に合わせた変化を厭うことなく、なおもブラッシュアップを繰り返している。“それぞれの個性と柔軟な考え方を活かす”人材育成への矜持が、また新たな価値を刻んでいくに違いない。


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