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TOUGHNESS OF THE DENIM_Vol.04
08 November 2021
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INHERITANCE, INNOVATION
児島、継承と革新


世界に誇る日本国産デニム「桃太郎JEANS」の生みの親であり、 ただ産地に過ぎなかった児島の街を「聖地」として押し上げた仕掛け人。 株式会社ジャパンブルー 代表取締役社長 真鍋寿男。 2009年に立ち上げた「児島ジーンズストリート」から10年余、 一時は年間約25万人にも及ぶ集客を見せ、国内のみならず海外に至るまで 創生を目指す地方都市の目指す光として掲げられていた姿も、 今では落ち着きを見せている。 まばゆさはなくても、火が消えたわけでは、決してない。 本物だけに許される、揺るがない強さをここに打ち立てるために。 今、彼の紡ぐ言葉から、もう一度原点を振り返る。


HISAO MANABEJAPAN BLUE co.,ltd


《聖地》一点突破:街全体のポテンシャル

あまりにも長く積み上げられた歴史がある、すでに完成されたブランドも多くある。
10あるうちで9はとうていかなわないのはわかっていた。
それでも「1」の“かならず勝てる”ポテンシャルを信じて立ち向かう。
《聖地》となり得たのは、街全体が信頼に足る存在そのものであったからに他ならない。





視線の先にあったのは《世界》

児島は、最古の歴史書「古事記」にも記される古い街だ。江戸時代には綿花栽培と入浜塩田が栄え、近代化の中で足袋から学生服の生産へ。先人たちのDNAはやがて「繊維の街」としてのアイデンティティを確立。炭鉱夫のための足袋製造から始まり学生服へと、時代を見据えてニーズを商品化していくアイディアと技術力を築き上げた。そしてついに、一介の縫製工場であったマルオ被服が国産初のジーンズ「M1002」を発表。それを皮切りに1980年代にはジーンズ人気が最盛期を迎え、ビッグジョンをはじめエドウィン、ボブソンといった国産ブランドが次々と興っていく。「いくら高品質で、日本人の好みや体型に合ったジーンズを生み出していると言っても、ジーンズのルーツはあくまでアメリカ。ジーンズ=リーバイスという歴史に刻まれた事実を覆すことはしなかったんだろうね。素晴らしいクオリティに自信はあっても、これが《自分たちのオリジナルである》といった自己主張につなげるほどではなかったんじゃないだろうか」と、真鍋氏は当時の国産ジーンズの歴史へ思いを馳せた。市役所勤務の公務員からテキスタイル業界へ転身、その後出会った藍染に惹かれた真鍋氏は、「青」への想いを深めた。1992年にデニム中心のテキスタイル会社「コレクト」を立ち上げたときはビンテージデニムの爆発的ブームの最中。「私は、別業界からこの業界に入った異端児だからね。『ジーンズで世界一になる』という目標が無謀とも思わなかった。世界に勝つためにはどうすればいいかとだけ考えて、そもそもデニムはどう評価されるのか、といった基準的なものも含めてアメリカだけでなく欧州のジーンズも研究しましたよ」。世界で受け入れられるデニムとは。真鍋氏が追い求めて得た結論に、世界が反応した。「必ず勝てる」一点での突破「コレクト」設立から数年後、自社ブランド開発のため「藍布屋(らんぷや)」を設立。日本の「青」と手織りにこだわり工業品の枠を超えたモノづくりを追求した。そして生まれたのが「桃太郎ジーンズ」だ。ブランドとしては後発ながら細やかなディテールと仕上がり、圧倒的品質で瞬く間に話題をさらう。 だが、真鍋氏が目指していたのは《世界》。世界向けのブランド「JAPAN BLUE JEANS」によって児島のジーンズはジャパンデニムのスタンダードとして認知されるようになったのだ。 「数多誕生した《国産ジーンズブランド》はじわじわと長い年月をかけて認知されていたが、発信しなかったがゆえに世界でのアピールができなかったのだと思う」。ジーンズだけでなく、繊維の街、学生服の街としてアドバンテージはあったはずなのに、誰も手をつけようとしなかった。「歴史や伝統、ブランド力。勝てないものはどうやっても勝てない。でも、10あるうちの9負けていても《1だけ》必ず勝てる」。真鍋氏がこの業界に魅力を感じた最大の理由は「青」、そして児島の職人たちのクリエイティブ。この魅力があれば「必ず勝てる」と信念を持ち、世界にアピールを続けた。 やがて、世界はようやく目を留め、「ぜひとも自分のブランドで使いたい」と声をかけられるまでに。そうして製作されたジーンズは《プレミアムジーンズ》として、世界中のジーンズファンを魅了する。しかし、真鍋氏はもう一つ解決すべき課題を見つけていた。 シャッター街から《聖地》へ 「《ジャパンブルー》を海外に発信する中で、《児島=ジーンズ》として、街そのものをブランディングすることこそが重要だと気づきました」。「MANABEはどこから来たの?」「KOJIMAってどんな街なの?」海外で活動する中で何度も聞かれたこと。外国人は、ことさらルーツを重視する。世界に発信するには《街ごと》アピールすることが有用だと考えた。そしてそれは、児島という地域が抱えていた問題にもアプローチすることになる。店舗出店当時より多くの企業が児島から撤退し、駅前通りはシャッター街となり日々閑散としていくことに危機感を抱いていた真鍋氏。「ジーンズメーカーだけでなく様々な繊維業者に声を掛けたけど、否定され門前払いされるのは当たり前。そこで地域全体を巻き込むことに。学校や団体に協力を仰ぎ、まず推進協議会を立ち上げました」。 構想の発信にはありとあらゆるメディアを利用。「国内外のメディアに企画を話すと『面白そうだ』と飛びついてもらえた。年間300本以上の取材を受けたことも」。毎日、どこかのメディアに《ジーンズの街児島》が露出していたことになる。メディアを通して地元にも企画が知られ、協力者、出店者が次々と増えていった。ジーンズブランドではなく、業界でもなく《街全体》をブランディングしたことが《聖地》へと押し上げたのだ。


昔、京都で使われていた高機の部材を集め、日本に数人しかいない織機職人に組み立て改造を依頼した広幅厚地織物ができる世界に一台の手織り機。児島の旗艦店では日々実演も行っている。一定の力加減で織り続けていくのは熟練の技術とかなりの集中力を要するため、1日に80センチ程度しか織り上げることができない。



海外への発信だからこそ「児島《ルーツ》」が武器になる


「児島ジーンズストリート」

「JAPAN BLUE JEANS」ショップを起点に、旧味野商店街を通り東西に伸びるノースエリア(約300m)と南北のサウスエリア(約120m)、合計約400mあまりの街並みには、ジーンズショップだけでなくカジュアルウエアやアクセサリー、多様な飲食店が立ち並ぶ。また、駅周辺から街の至るところがすべてデニム一色。ジーンズファンならずとも訪れてみたいと思わせるエンターテイメント性にあふれている。現在はコロナ禍で客足は途絶えているものの、一時期には年間約25万人、特に海外からの来訪者が多くを占めていたという。 「2010年のオープンから11年、『街づくりは成功している』と言えるまでにはなったと思います。地域創生に悩む北陸や九州エリアなど国内の他地域からもお問い合わせをいただき、見学にも来ていただきました。どの地域も児島同様《一点突破》。最初は皆さん不安が大きかったようですが、結果はご存知のとおり。負けることに縛られず、必ず勝てるもので戦ってみる。自信を持って発信することで興味を持ってもらえる」。 《聖地》の名のもとに 街全体をブランディングしたことで、児島は《聖地》となり得た。しかし、年月が経過し当時の熱狂が薄れつつある昨今においては言葉ばかりが独り歩きしている感も正直否めない。 「世界からは変わらず、集積地として、また産地として評価されています。児島が世界から最初に注目されたきっかけは《生地》でしたが、今でもオファーは世界各地のメゾンからいただきます。しかしながら児島にしろ、井原にしろ、ジーンズのブランドが浸透しているわけではない。そういう意味では《聖地》という言葉は強すぎるのかもしれないが、確実に言えるのは、児島のような産地、集積地は他所にはない、ということ。材料調達からデザイン、加工、仕上げまでの多様な工程をすべて、街全体が担うのは本来とても難しいことなんです」。 ビッグジョンが誕生してから半世紀が経った今なお、世界のマーケットにおいて日本産ジーンズのブランド力は微々たるもの。だが、ブランドの名や児島の地名が知られていることよりももっと、重要なことがあると真鍋氏。「ジーンズの製造工程のどこかで必ず《児島を通過する》ことで、それぞれのブランドイメージが引き上げられるという存在感。染めでも加工でも仕上げでも、何でもいい。簡単に言うなら《信頼感》というべきものでしょう」。 《聖地》—言葉の持つ本来の意味は宗教的だ。最終到達点であり、禁忌の場所として不浄のものを排除する穢れのない神聖さを感じさせる。軽々と使われるようになってからも、近くにいるからこそ私たちは強すぎる言葉の意味に後ずさりし、自虐していたのかもしれない。世界のジーンズに「メイドイン児島」が冠されることへの誇りと矜持。ただそれだけでも《聖地》足り得る証なのではないか。





仕事着から《Fashion》へ

ジーンズとはデニム生地でできたズボン(パンツ)のことだが、「デニム」の語源はフランス語の「serge de Nîmes(セルジュ・ドゥ・ニーム)」。これをゴールドラッシュに湧くアメリカの鉱夫たちがワークパンツとして愛用したのが現在のジーンズのルーツである。 リーバイス社が特許を取得して販売を開始した1873年から80年後、1953年の映画『乱暴者』でマーロン・ブランドが「Levi’s 501XX」を、続いて1955年の映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが「Lee RIDERS 101」を着用したことでジーンズは転機を迎える。映画の主人公たちに憧れた若者が自己主張《Fashion》と共に纏うこととなり、ワークパンツからファッションへと変化した。また、1977年の「阪大ジーパン論争」では、女性がジーンズを履くことを咎められるような事件も起きている。ジーンズは《若者の主張》と共に紡がれてきた歴史は見過ごせないものがある。 ところが、時が経ち以前のような象徴的な主張は消えた。さらに主張の消失と同じくして、世界中を席巻したビンテージジーンズ、レプリカジーンズ、さらにはプレミアムジーンズブームも落ち着き、ファストファッションジーンズの台頭も相まって現在は単にカジュアルウエアカテゴリーの一角を担うのみとなっている(一部のヴィンテージ製品はい まだ異常なほど高騰しているが)。 本物のジーンズとは それでも、児島は《価値》を創り続ける。時代の流れに抗うかのように。「いつも『なぜ?』『どうして?』と疑問を持ち続けてきた。異業種を経験しているから発想も極端。失敗も多かったがアタリもあった。『やってみないとわからない』というのが信条なんです」。 綿花の生産量が少なく、海外の素材を輸入するしかなかった日本の紡績技術は世界一だと真鍋氏は言う。「良質とは言えない素材に工夫を凝らして価値を高めていく。これは日本のお家芸と言えるのではないでしょうか。糸を紡ぐ段階で表情をつくり、特長である経年劣化を事前に予測して、強弱をつけていく。帆布もそうですが、糸撚りの技術は代々受け継がれてきたもので、これこそが《本物》ではないかと思います」。 そして《本物》を語る上で欠かせないのが《サスティナブル》というキーワードだ。「元々ジーンズは長く履き続けることを前提にしたもの。製造過程の環境配慮や素材選びなどに課題があるだけで、存在自体はサスティナブルと結びつくと考えています。工業製品の側面も強いが、立ち返るといたってヨーロッパ的シンプルな構造に行き着く。次に目指すのはシンプルな《原点》ではないかと」。



前頁で紹介した手織り機で織られた手織りデニム生地で作られたスペシャルモデルのジーンズ。選りすぐりの綿花から糸を紡ぎ、一本一本を染職人により天然藍で手染めし、でん粉で糊付けによる独特の手触り、風合いが特徴。革パッチやステッチ、リベットに至るまで通常ラインには無い特別仕様となっている。20万円以上という価格ながら時期によってはオーダーから手元に届くまで2年待ちという人気を博す。



「未体験のデニム」未来への新たなる挑戦

児島デニムはブームという一過性の大爆発を乗り越え円熟期に入っていることが、真鍋氏の言葉から垣間見える。自嘲と揶揄が込められた「昔はよかった」的懐古感情はなく、後世に繋げるための《レガシー》だ。「昨今、日本を代表する自動車メーカーが未来都市構想を進めていますが、我々もデニム業界のパイオニアとしての自負を持って、同じようなアプローチをしていきたいと思っています。今までにない、デニムの《顔》づくり。加工方法だったり、使ったことがない異素材だったり。一見馬鹿げたものでもいい、自由で何にも囚われないことがデニムの原点だと思うから」。さらには、未来の《聖地》児島のカタチにも思いを馳せる。「《聖地》としての価値を持ち続けていくためには、留まることなく街づくりを進めていく必要がある」。ブームの後も順調に成長を続けていたジャパンブルーもコロナ禍には勝てず、売り上げが落ち込み、大打撃を受けた。しかしあえてジーンズストリートにある旗艦店を大規模リニューアルに踏み切る。2021年4月にオープンした新店舗は、敷地面積は約3倍、店舗面積は約2倍に拡大。ジーンズだけでなくオーダースーツをはじめとした様々なデニムウエア、ファッションの新提案や、藍を食として提案していく新プロジェクト《ジャパンブルーガーデン》が盛り込まれ、新たな顧客層へのアプローチが見込まれている。「世界の人が『児島を訪れたい、訪れなければならない』理由づくりをしたい。万一デニム産業が衰退して消滅してしまったとしても、『かつてこの場所はジーンズの《聖地》と呼ばれていた』と伝え続けることができる《なにか》。例えば、国際デニム会議のような関係者だけのミニマムなイベントでもいいかもしれないね」。信念を掲げ、国内外へ発信をとことん続けたことで注目され、ミシュランガイドへの掲載や日本遺産認定などの高い評価を得ることができた。《一点突破》が、デニムだけに留まらない《児島》エリアすべての価値を押し上げることにつながった。特筆すべきは、児島そのものに何も変わりはなく、評価が一変しただけでここまで変わることができたという事実である。この先の不透明で不確かな時代を生き抜く道標となる《TOUGHNESS》とは、完成された強さや確かさだけではないことを、《児島のデニム》は教えてくれる。



以前から約3倍の面積に改装された児島の旗艦店「桃太郎JEANS 児島味野本店」では、ほぼフルラインナップの豊富な品揃えはもちろん、ブランドの世界観や技術力を体感させる什器や設えが随所に施されている。


https://www.japanblue.co.jp/


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