INTERVIEW
組織改革と人材育成の両輪から、物流業界のイメージ変革を目指す!
14 October 2021
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1989年、代表取締役凪秀樹氏が21才の時、トラック1台身ひとつで起業。5年後1995年には法人化、さらに2002年に増資と株式会社への組織変更を同時に果たし、2007年には美作市に広大な物流センターを設立と、着実に企業として右肩上がりに成長してきた。
2017年、岡山市中区倉富に現本社屋と物流センターを建築。13,000㎡の広大な敷地にはモノトーンとシルバーを基調としたスタイリッシュで洗練されたデザインの建物と、それに似合う大小のトラックがひしめいている。
“経済の動脈”として最重要のポジションに位置しながらも、社会的イメージは決して高くなく、近年ますます人材確保に課題を抱える。混迷を極める物流業界において、地方都市岡山で誕生してわずか25年余の後発企業《凪物流》が、業界イメージ大変革の先陣を切った。ブランド戦略に加えて積極果敢な人材育成と組織改革を推し進めており、その存在感は日毎に高まるばかりだ。

◎凪 秀樹(Hideki Nagi)
株式会社凪物流 代表取締役
岡山市生まれ。物流会社の経営者だった父親の背中を見て育ち、高校卒業後は父の会社ではない物流会社のトラックドライバーとして就職。21才の時に父の急逝をきっかけに個人事業として独立、5年後には有限会社凪物流として法人化に至った。妻と3人の娘さんの5人家族。趣味はゴルフ。

◎株式会社凪物流
住所:岡山市中区倉富325
電話:086-276-5500
https://www.nagibutsuryuu.com

【HISTORY】
「常に前のめり」トラック1台からわずか25年で急成長

コロナ禍によってこれまでの生活様式が一変し、購買が店頭からECへと移ったことで、物流の重要性は一般にも広く知られることとなった。“経済の大動脈”とも表現され、経済活動を支えるなくてはならない存在であるにも関わらず、99.9%が中小企業によって担われている。そのためだろうか、政府による救済措置が後手後手に回っている印象が強い。

岡山県を東西縦断する国道2号線バイパス沿いに本社屋と物流センターを配した広大な敷地を保有し、おなじみの大型トレーラーからウイング車、専用の冷凍車など大小様々なトラックを備えている《凪物流》。2020年に創業25周年を迎えたばかりで、業界内では最後発だが、その勢いは留まるところを知らない。

「物流会社の経営に携わっていた父を見て育ち、夢は他にもありましたが自分も自然と同じ道を辿っていました。いつかは起業してやろうと思ってはいましたが、21才の時に父が急逝。父という後ろ盾がなくなってはじめて、自分がいかに甘えていたか気付かされました。そして一念発起し、トラック1台、身ひとつで独立を決めました」。当時は現代以上に物流の仕事は“稼げる仕事”。会社を興すという目標に向かって若さと勢いに任せ、寝る間も惜しんでトラックを駆る毎日を積み重ねて、5年、《凪物流》の設立を見ることができた。

到達した後も、さらに次の目標へ向け邁進する姿勢は崩さなかった。さらに7年後の2002年には増資と株式会社への組織変更を成し遂げ、さらに5年後2007年には同社にとって大きな転機となる美作物流センターの設立に踏み切った。「かなり思い切った決断でした。勝算もなく、顧客もいない。不況のまっただ中で、売上高もそこまで高いわけではない。当時の役員は全員が大反対でした」。

「事を起こす時は前しか見ない」と凪社長。ネガティブな感情は押し殺して進んだ結果、《凪物流》の屋台骨を支えるまでになっている。そして2017年、認可取得が難しく長年持て余されていた土地を確保することに成功。「2005年に物流総合効率化法(物効法)が制定されるまでは、物流業は拠点確保のみならずあらゆる面でハードルが高かったんです。不動産業者や設計事務所の皆さんにご協力いただいて、運良く建築に至ることができました」。抜群のロケーションに加えて13,000㎡という広大な敷地を得られたことで、さらに一歩前進した。

【CHALLENGE】
「ポテンシャルを伸ばす」人材最優先の組織づくり

凪社長自身がトラックドライバーとして従事していたことで、長年直面してきた問題の解決が《凪物流》のアイデンティティにもなっている。「トラックドライバーの職位向上と、物流業界全体のイメージ改革です。今はそれほどでもないかもしれませんが以前は“トラックの運ちゃん”となかば揶揄を込めて呼ばれていましたし、正直ガラの悪い人も多かった。客観的に見て一般の方から敬遠されても仕方ない、と思わせる業界であったように感じています」。

社会的意義の高い仕事であるにも関わらず、過酷な就業内容とそれに見合わない待遇は、ますます働く意欲を奪っていった。「働くことに誇りが持てる環境づくり。そして周りの人から好印象を持っていただける人間力の育成です」。

まず着手したのはイメージブランディングだ。「一般の方はもちろん、業界の方にも“カッコいい”と思っていただけるデザインに心がけました」。シルバーとモノトーンを基調に、英字ロゴを施した建物とトラックは、一見シンプル過ぎると思わせながら、コマーシャル性ばかりが目立つトラックの中では逆にスタイリッシュでスマートさを感じさせる。ユニフォームも黒に統一し、まず“見た目”から変えていった。「時代も後押しし、特に若い方へのイメージアップができたのではと感じています。また、企業認知度も同時に高めることができました」。

毎週実施している《安全品質ミーティング》では、安全&エコドライブのケーススタディが主だが、“礼に始まり礼に終わる”一連のルーティーンも見逃せない。現代人に失われつつある礼節や感謝があってこそ、人間力が育つと凪社長は語る。「“自分だけ良ければいい”ではなく、相手を慮ることができるのが、優れた人だと思っています」。

道半ば、課題はまだまだ山積していると言う。「ドライバーの意識にはかなり変化が見られていて、取引先様からの高評価が耳に届くようになりました。しかしながら会社としてもうひとつ上に行くには管理者の育成が急務だと考えています」。企業認知度が向上したことで、学生からのアプローチも増えているとのことだが、営業所や拠点を任せることができる人材育成にはかなりの時間を要する。また、管理者として大成するには現場経験もあるに越したことはない。「ドライバーの中にポテンシャルの高い人材が増えています。適性を見極めて伸ばす、キャリアパスをつくることも考えているところ。学歴ではなく、その人自身の能力を大切にしたいですね」。

【to the FUTURE】
「同じ“夢”を掲げる仲間」業界全体のステータスアップ

そしてもう1つが、物流業界全体のステータスを向上させることだ。岡山県内だけでも1,200社を超える運送会社が存在しているが、企業として体を成しているのはほんのひと握りだという。「長く続いている深刻な人材と後継者の不足が会社の体力を奪っています。仕事はあるのに管理まで手が回らないために、零細企業から脱却できないスパイラルに陥っているのでしょう。コロナ禍でさらに深刻化し、今後ますます企業の統廃合は進んでいくと考えられます。課題解決に悩む会社の苦手部分を補ったり、協力体制を敷いたりすることで業界全体を底上げすることができれば」。すでに数社とのM&Aを実現させ、今なお計画が進行している企業も少なくない。「以前よりも格段に、課題に真摯に取り組もうとしている経営者、会社が増えてきたように思います。当社があの目立つ場所に拠点を構えたのは業界へのアピールの意味もありました。もし当社が刺激を与えられる存在になれたのなら何よりだと思っています」。

また、地域への想いもことさらだ。3年前の西日本豪雨災害で、“待っている人がいる”物流の重要性を目の当たりにした経験が、さらに使命感を上塗りした形だ。「社会的意義をさらに高められるよう、情勢にも揺らがない企業体質をつくっていきたいと考えています。そのためにはまず社員一人ひとりの人間力をもっともっと高めていくこと。そして会社はその受け皿として成長し続けることが重要だと考えます」。

これから30周年、さらにその先を目指すにあたって、目指す1つのポイントに《100億円企業》を掲げてはいるが、上場は視野に入れていない。「企業とは株主のものではなく、“社員のもの”だという考えを持っているからです。時代が変わっても、最後は《人》に行き着きます。人が人を呼び、信頼が仕事をつくる。『あなたなら任せられる』と言っていただけるように組織の力を強く固めていきたいと考えています」。

経済活動の動脈が物流であるならば、《凪物流》はポンプである心臓になりうる。最後発企業だからこその勢いで、岡山から生まれた大きな《風》になることを期待したい。

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