INTERVIEW
LOCAL PRIDE -SHIGA-太田 雄貴(日本フェンシング協会会長/国際フェンシング連盟副会長)
29 April 2019
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フェンシングで初の五輪メダルを日本にもたらし、引退後もフェンシング協会のトップとして革命的な取り組みを続け、フェンシングを人気スポーツの一角に押し上げた。イノベーター太田雄貴氏の原点と、視線の先を訊いた。

フェンシングで初の五輪メダルを日本にもたらし、引退後もフェンシング協会のトップとして革命的な取り組みを続け、フェンシングを人気スポーツの一角に押し上げた。イノベーター太田雄貴氏の原点と、視線の先を訊いた。

勝つための練習ではなく課題への探求を続けた

フェンシングで日本に初めての五輪メダルをもたらし、現在は公益社団法人日本フェンシング協会会長及び国際フェンシング連盟副会長として活躍する太田雄貴氏。京都生まれだが、幼少期から滋賀県大津市比叡平で過ごす。「両親は二人とも教師でしたが、変わった人たちでしたね。父親からフェンシングを教わって、京都の大山崎まで毎日車で通っていました。何を話すというわけでもありませんでしたが、とにかく父親と一緒に居られる時間がうれしかったのを覚えています」。比叡平は人口たった3000人の小さな街。なのに世界的アスリート、TVを賑わせる人気芸人やモデルなどを輩出している不思議な街だ。「小5から大学まで同じ平安高校(現:龍谷大平安)の体育館を使っていたのですが、今でも初心を忘れないために時間を割いて訪れる場所です」。中学生ですでにフェンシング界には敵はおらず、「どう勝つか」というよりも「課題をどこに持つか、解決していくか」にすでにシフトチェンジしていたと言うから、現在の太田氏の基礎思考はここで育まれていたようである。 小・中学共に全国大会を連覇し、高校時代は史上初のインターハイ3連覇を達成、高校2年の時には全日本選手権で優勝とまさに《無双》状態。そしてついに前人未踏の五輪で2大会連続のメダルを獲得する。しかし太田氏の視線の先には《フェンシングの未来》が映っていた。「なんとかしてフェンシングの未来を創りたい、と現役時代からずっと考えていました」。

大改革を可能にしたその理由とは

「しきたりを変えたい」と願ったとしても、変えることが叶わない人の方が世間的には圧倒している。太田氏のように《有言実行》の体現者は稀有な存在だ。「外から口だけ出すのは無責任、自分が中に入り込んでしっかりやってやろうとずっと思っていました。年功序列の慣習へのアピールも、そして収益を生み出すためのリアルモデル構築も。自分は日本初のメダリストであり、日本にフェンシングを広めたのは自分なのだ、と自信を持って取り組もう、と」。協会員の中には賛成者ばかりではなく、スポーツにエンタテインメントを持たせることすら苦い顔をする人もいたという。「新しいことをするときは嫌がるのが普通。それをクリアしたのは全国の協会長への地道なアクセスと資金調達面でした」。引退して理事に就任以降、一人ひとりに電話して頭を下げた。最初は7時間近くかかっていたものが、2時間かからなくなってきた頃、協会内は彼のフォロワーであふれていた。「それが最初。そこからトップクリエイターや業界の方々に声を掛けていったんです」。

マイナースポーツからエンタテインメントへ

フェンシングを一躍《カッコイイスポーツ》として押し上げたのが、リオ五輪閉会式などをプロデュースした電通菅野薫氏やライゾマティクス真鍋大度氏と実現した《Fencing Visualized》プロジェクトだ。表現の場所に選んだのはジャニーズ事務所所有の東京グローブ座。「頼めるようなお金はなかったけど、『やりたいこと全部やっちゃってください』と、フェンシングをクリエイティブの実証実験場として使ってもらうというスタンスでした」。光と音が満ちる会場。これまであった「ルールがわからない」「顔が見えない」といった課題を解決。今ではエンタテインメントとして浸透し、チケットの取りづらい人気スポーツの一角へと名を連ねている。

スポーツ界に及ぶ思い新しいシステム構築へ

太田氏の思いは、フェンシング界だけでなくスポーツ界全体に波及する。「『焼け野原だったフェンシングができたんだから』という成功事例を積み上げて、体制改善への足がかりとなれれば。スポーツ庁やJOC(日本オリンピック委員会)、文科省、全部巻き込んで、日本スポーツの問題を解決していきたいんです」。例えば、人事の課題。どのスポーツでも、実績のある選手がコーチや監督になり、協会の理事、会長へとなっているのが現状だ。「選手は選手、コーチはコーチ、協会は協会と、ジョブ・ディスクリプションを明確化させていくことが重要だと考えています。選手として成功しなければ次の道が閉ざされることはもったいないですからね」。 また、選手のためには《教育》とのリンクが必要だと語る。「フェンシングの魅力はフィジカルとストラテジー両方を駆使したスポーツであること。フェンシングをすることで思想や哲学思考教育がなされれば、親御さんが『習わせたい』と思うでしょう。それは裾野を広げるだけでなくアスリートのセカンドキャリアを構築する道筋にもなると考えます」。《教育》に通じるエコシステムの構築を夢に語る太田氏には、やはり教育者である両親の血を感じさせる。身体と頭脳を兼ね備えた《フェンシングだから》生まれた逸材に違いない。

○おおた・ゆうき
1985年、京都府生まれの滋賀県大津市育ち。2008年北京五輪ではフェンシング男子フルーレ個人で、2012年ロンドン五輪では日本史上初となるフルーレ団体にて、それぞれ銀メダルを獲得。2016年、現役引退を発表後は、アジアフェンシング連合アスリート委員会委員をはじめ日本フェンシング協会会長、続いて国際フェンシング連盟副会長に次々と就任。協会を動かしイノベーションに成功、現在も後進の育成及びフェンシングの未来のために尽力を続けている

○Fencing Visualized
フェンシングの知名度と楽しさを高めるために、リオ五輪閉会式を演出したトップクリエイターが集結。「Fencing Visualized」 とは、知名度は非常に高いのにもかかわらず、ほとんどの人がルールを知らず、観戦していても理解が難しい、というフェンシングの課題解決に向けて、日本フェンシング協会 太田 雄貴 会長が始めたプロジェクトです。現在、フェンシングをより理解しやすく、誰もが楽しめるスポーツへ進化させるために、ルールと技を、感覚的にわかるように可視化するシステムを開発中で、これまでのように、赤外線・モーションキャプチャーを使うのではなく、機械学習による画像解析技術を用い、選手に負担をかけず剣先の軌跡を可視化することを目指してます。

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