INTERVIEW
THE OWN WAY 辰𠮷𠀋一郎(プロボクサー)
28 April 2019
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1991年、具志堅用高が持っていた当時国内最短新記録を更新しての世界王座奪取。初防衛戦を前にして網膜裂孔が判明、長期間の休養を余儀なくされてしまう。再三のブランクを乗り越え復帰を果たし、1996年、バンタム級王者に返り咲いた。引退宣言するも撤回し、49歳を迎える今なお現役を貫き、世界王座奪還を虎視眈々と狙い続けている。「浪速のジョー」のセンセーショナルな生き様は、倦まず弛まずファンの胸から離れない。

やりたいことをやるんが自分の人生、誰に何を言われても自分の一生は自分のもん。

 顎にたくわえた髭には白いものが混じっているものの、鍛え上げられた体躯も鋭い眼光も、38年前のリングの上となんら変わらない。「浪速のジョー」辰𠮷𠀋一郎だ。 辰𠮷の原風景は、児島の菰池団地の一画で、月明かりに照らされる父親と小さな男の子の姿。サンドバッグやトレーニングの道具を自宅裏の空き地に並べた練習場での日々だ。0歳のころ母親と別れ、男手ひとつで育てられていた5歳の頃、喋れないがゆえにいじめのターゲットとなってしまう。「それを見た父ちゃんがボクシングの真似ごとをさせてくれたんです。『やられたらやり返せ!』。殴り返してみたらびっくりするほどいじめっ子は弱かった(笑)」 無類のボクシング好きだった父の指導のもと、生来持っていた運動能力を開花させ、めきめきと力をつけた。自信がついた辰𠮷少年は喧嘩の味を覚え、当時荒れに荒れていた中学校で札付きの《ワル》として名を馳せる。

「僕に勝てる奴もおらんかったし、誰にも負ける気はせんかった」。そんな彼に担任が声を掛ける。「ボクサーとして本気でプロになるんじゃったら、大阪に行かんか?」。 5歳から父親とはじめたボクシングの練習は毎日休むことなく続いていた。どんなに遊んでいても、夜9時には家で父ちゃんが待っていた。次第にボクシングの腕は玄人はだしになっていたのを、恩師は見逃さなかったのだ。 地元では向かう所敵なしの負け知らず。かなり自信は持っていた。しかし、大阪帝拳ジムに入門したことで、生まれてはじめてレベルの違いに直面する。「ランカークラスの先輩には手も足も出ず、ショックを受けました。それで却って真面目に練習するようになったんです。相手が誰であれ、絶対に負けたくはなかった」。 世界王者。1991年、初の世界戦は当時国内を大いに熱狂させ、日本中の少年が浪速のジョーに憧れた。だが自身の最も印象的な一戦を訊くと、意外にも、それは《デビュー戦》だと答えてくれた。「デビュー前からずっと世界を目指してきた。世界チャンピオンになるのは自分では当たり前のことやったから。世界への道を歩み始めたデビュー戦のときの緊張感。初心を忘れないという意味でも自分のベストバウトはタイトルを獲った時じゃなくて、変わらずデビュー戦やと思います」。 眼疾を乗り越え、二度目の王座返り咲きを果たしたが、再び網膜剥離に見舞われる。一度は引退を口にするものの撤回、JBC(日本ボクシングコミッション)も特例措置を設けるなど彼の気持ちに歩み寄る姿勢は見せてはいるが、2009年タイでの試合を最後に、リングには上れていない。しかし、彼は今もなお《世界王者》を目指し、全盛期とほぼ同じトレーニングメニューを毎日こなしている。「世の49歳の中では一番元気なんちゃうかな(笑)」。 

ライトヘビー級のバーナード・ホプキンスが達成した世界最高齢王座獲得年齢は49歳。辰𠮷も今年5月に49歳を迎える。「まだまだできる」いつでも試合に臨める状態だが、全盛期に比べれば体力が落ちているのは自身も理解している。周りも引退を口にする。JBCの規定では年齢制限が設けられ、越えれば即引退、だ。そんな彼の背中を目指すボクサーは未だ後を絶たないものの、2015年には次男寿以輝もデビューを果たした。しかし、再び世界を獲るという思いを子どもに託したわけではなく、あくまでそれは自分のものだと語る。 「息子の人生は息子のもの。親子だけど、同じボクサーとしてライバルだと思っています。夢を預けることもしないし、当然、自分のやり方を押し付けることもしません。《もう一度自らの拳で世界を手に入れる》それしか考えていない。やめる理由もまだ、見つかっていない。僕が目指すのはとてつもなく厳しい場所なんやと思う。でも自分の人生。誰のためでもない、僕の人生なんやから、最後まで貫き通す。誰に何を言われようと、それは揺るがない信念なんです」。再びリングに舞い降り、三度目の正直を果たすため牙を研ぎ続けながらその時を待つ辰𠮷。 誰にも真似のできない、真のプロボクサーの姿がここにある。

○辰𠮷𠀋一郎/プロボクサー
1970年5月岡山県倉敷市生まれ。第50代日本バンタム級、元WBC世界バンタム級王者。1991年9月に世界初挑戦し、国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界王座奪取に成功した。網膜剥離など再三のブランクにも関わらず2度目の王者奪還を果たす。その後引退を決意するも撤回、復帰戦での勝利もあったが、以降試合に恵まれていない。現在も世界王者を目指し、現役続行中。愛称は浪速のジョー。最新情報は 《辰𠮷丈一郎オフィシャルHPで》 https://www.tatsuyoshi.jp/

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