INTERVIEW
LOCAL PRIDE -TOKYO-米良はるか(実業家)
19 June 2020
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日本初のクラウドファンディング「READYFOR」を立ち上げ、
26歳で代表取締役に。
新しい資金調達の仕組みを生み出した米良はるか。
発想の源泉、そして目指す先は。

ガンが気づかせた仲間の覚悟

2011年に弱冠23歳で日本初のクラウドファンディング「READYFOR」をスタートさせた米良はるか。2014年7月にはREADYFORとして法人化し、代表取締役に就任。「誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる」をビジョンに掲げ、貧困問題や環境問題、災害支援、地域活性化、医療・福祉などでチャレンジしている人たちにお金が流れる仕組みづくりをし、急成長を遂げている。実は、活躍のいっぽうで2017年に血液のがん、悪性リンパ腫を宣告され、半年間休業した。「それまで私も家族も健康で、自分が病気になるなんて意識したこともなかったので、突然のことで…。これが自分の運命なんだなって悪い方にとらえました。でも、経営陣に話した時に、『休んでください』『会社のことはまったく心配しなくていいから』と言ってくれたことで、覚悟を持って一緒にやってくれる仲間が私にはいるんだと改めて感じました。みんながネガティブにとらえないでどうしたら会社やサービスを続けられるかを前向きに考えてくれたので、自分自身の考え方も変えようって思えて、克服することができたんです」と当時の心境を打ち明ける。

「ゼロイチ」の源は成城にあり

資生堂のち事業を始めた父母のもとに育ち、小・中・高通った成城学園で、自身のアイデンティティーが形成されたという。校風はとても自由で創造性を重んじていたそう。「幼稚園から大学・大学院まで同じ敷地内にあって、駅から学校までの道中も緑が豊かで丘や坂も多い、都心の雰囲気とは違う自然に恵まれた場所です。授業も、座学というよりはモノづくりのような時間が多くて。楽しかったのは粘土の時間。粘土でひたすらいろんなものを作って、教室の裏に並んでいる焼き機で焼いて、飾るっていう…。土に触れたり、自分でモノを生んだりしたことは、自分が「ゼロイチ」を生み出す原体験になっていたのかなーと思っています」。現在は、半蔵門にオフィスを移転したが、そこも皇居を眺めるまるで森の中にいるような場所だという。「自然のなかで新しいモノを生み出したい」と彼女が欲するのも、成城の環境が原点のようだ。

テクノロジーで世の中を変えたい

その後、慶應大学在学中に、東京大学大学院工学系研究科の松尾豊先生のもと、産学連携ベンチャーにて「あのひと検索SPYSEE」の立ち上げに関わる。「インターネットって面白いな~って。アイデアがどんどん実現して広がっていく。この頃からテクノロジーの分野で世の中を変化させたいと思うようになったんです」と話す。そして立ち上げたのが、個人で寄付できるサービス「あのひと応援チアスパ!」だ。「SPYSEEの有する80万人の個人データを活用すれば、才能ある個人や成し遂げたいことがある人を応援することもできる」という思いで米良が大学生のときにつくったサイトである。このとき感じた思いと、その後の留学によって得た刺激が、READYFORの発想に大きく関わることとなる。大学院在学中に、シリコンバレーのGoogleやFacebookを訪れたことも大きな刺激となり、スタンフォード大学に留学。プログラミングや起業家論、インターネットやビジネスについて学んだ。これが日本初、国内最大級のクラウドファンディングサービスREADYFORの構想につながったのだ。2014年には株式会社化し、代表取締役に就任した。

金融を変える、未来に挑戦

クラウドファンディングの認知度も高まってきた今、新たなサービスも増えてきた。「クラウドファンディングは、何らかのプロジェクトに個人の人がお金を出すっていう仕組みですが、私たちは社会を良くしたいと思っている人や、何かチャレンジしたいと思っている人で、今の既存の金融のシステムでは投融資できない人たちに向けて、想いが乗ったお金の流れをつくりたいという気持ちがあるんです」という。岡山県で中国銀行、山陽新聞社と連携し実現した地域密着型クラウドファンディング「晴れフレ岡山」は、地方での好例。全国で展開していきたいと意欲をみせる。企業や銀行、大学との提携事例も増えている。プラットフォーマーとして数多くのプロジェクトを見てきた中でも、成功事例として多いのは、信頼性とストーリー性を兼ね備えたものだという。「途中でなげだしたりせずにしっかりと活動をやってきたという信頼感があること。それと、どういうふうに世の中を変化させるのかというストーリーや、どういう思いでその活動をやっているのかがちゃんと組み立てられているかどうかが大事です」と分析する。ガンを克服し、多様な仲間と新境地で、これまでにない価値を創造する。「クラウドファンディングの概念を超えた、新しい金融の仕組み、資金調達の仕組みを作りたいな」。チャーミングな笑顔の向こうに、壮大なビジョンをのぞかせていた。

○米良はるか
1987年生まれ。2010年慶応義塾大学経済学部卒業、12年同大学院メディアデザイン研究科修了。大学院時代にスタンフォード大学に短期留学し、帰国後の11年に日本初のクラウドファンディングサービス「READYFOR」を設立。2014年7月法人化し現職に就く。2011年世界経済フォーラムグローバルシェイパーズに選出されダボス会議に日本人史上最年少で参加。

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