INTERVIEW
LOCAL PRIDE 山本 寛斎(ファッションデザイナー/イベントプロデューサー)
27 July 2020
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日本人で初めてロンドンの舞台に立ち、 デビッド・ボウイの衣装を手掛けたことでも知られる ファッションデザイナー・山本寛斎さん。 齢74歳にして、ますます鮮やかな色彩をまとい続ける 彼の熱源は、なんと縄文時代に遡る。

色をまとえ、音を奏でろ、ハッピーに生きろ、現代人!

横浜に生まれ、岐阜や高知、大阪など日本各地を転々とした幼少期を経て、ファッションデザイナー・コシノジュンコ氏に師事。その後独立して日本人として初めてロンドンでファッションショーを開催すると、その後はパリ・ニューヨーク・東京コレクションにも登場。世界の主要都市に「ブティック寛斎」を出店して世界的デザイナーとしての地位を築くと、93年以降は「カンサイ スーパーショー」や「日本元気プロジェクト」といった超スペクタクルなイベントプロデュースを行う。国際行事や博覧会の演出から、企業や施設、プロダクトのブランディング・プロモーション、地域創生事業など、国も地域も業界も超えて活躍の舞台を広げ続けてきた。そんな山本寛斎さんに「地方の魅力を語ってほしい」とお願いすると、開口一番に飛び出したのは、なぜか縄文時代の話だった。

縄文時代から 俯瞰する日本

「縄文時代がいつ頃はじまったか、ご存知ですか。今からざっと1万5千年前。そして、1万年以上続きました。キリスト誕生が約2千年前ですので、縄文時代はその5倍以上の長さなのです。定住生活にようやく移り変わったころですから、住居といっても今とは比べようもないほど粗野で、プライバシーもないわけで、そうすると羞恥心といった概念も今とは異なってきますよね。ただ、当時の人々は今よりきっと目も耳もよくて、生きる上で必要な能力はおそらく私たち現代人よりもずっと高かったと思います。原始的といってしまえばそれまでだけど、彼らはある意味極めて本能的で自由な生活をしていたわけです。翻って現代に生きる私たちはどうか。彼らに比べると、ものすごく制約された狭い世界に生きている気がしませんか」。

田舎町に見る 豊かさの実態

狩りや漁に出かけずとも、お腹がすいて店に入ればいつでも出来立ての美味しいものが食べられる。スマホ一台で欲しいものはいとも簡単に手に入れられるし、飛行機や船に乗れば大海原をやすやすと越えて、世界のどこへでも行くことができる。今や、宇宙飛行士でなくとも月へ行けてしまう時代だ。そんな現代の生活は、一見とても豊かで自由に思える。けれど確かに、縄文のころと比べれば、そんな豊かさや自由などとてつもなくちっぽけなものなのかもしれない。忖度や同調圧力といった得体のしれない価値観の中で実体のない数字や時間に追われて身をすり減らし、知らず知らずのうちにいつ誰が決めたかも分からない常識に従わされ、真偽の確かめようもない不確かな情報に振り回され、ただ淡々とその場をやり過ごす。実は我々現代人は、便利さや快適さと引き換えに、豊かさとは程遠い暮らしと、ただただ不毛な戦いを強いられているのかもしれない。 「ビジネスを成功させている人間が偉い、東京が強くて地方が弱い、というような風潮も、結局どこかで勝手に作り上げられた幻想じゃないでしょうか。例えば熊本県に、山鹿市という町があります。総人口は約5万人。23区の184分の1ほどしかいません。でもだからといって何かが足りないのかというと、そんなことはない。大人はそれぞれ自分の仕事をして、若い人たちも普通に恋愛をして、結婚もして、ちゃんと家族を養っている。衣食住も経済も、規模は小さいけれど、小さいなりに十分成り立っている。もちろん商業施設や娯楽施設はごく限られていて、異文化と触れ合う機会も少ないから、大した刺激はないかもしれません。でも、東京の人たちがしょっちゅう劇場に行き、日々多様な文化に触れて、刺激的な生活を送っているかというと決してそうじゃない。そう考えると、目に見える華美さと実態としての豊かさとは、さほど関係ないと思うんですよね」。

着るだけでハッピー

ファッションブランド・山本寛斎といえば、原色を多用したカラフルな色使いと、強く生き生きした装飾をイメージする人も多いだろう。ざらついた化学繊維や高光沢のシルク素材、見た目では実用性や着心地など一切無視したかのようなドラマティックなシルエットは、服というよりもはやアート。その独創的なデザインはイギリス人ロック歌手、故デビッド・ボウイの衣装としてもたびたび脚光を浴びたが、彼が奇抜で華やかなクリエーションを追いかけてきたのは、決してその絢爛さを誇示するためではない。 「昔デビッド・ボウイから『寛斎の服を着ると気分が上がる』って言われたことがあってすごくうれしかったんだけど、ステージ衣装でなくてもね、華やかな服を着ると誰だって気分が上がるものなんですよ。私なんかも、ついさっきスターバックスのお姉さんから『素敵なお洋服ですね』なんて言われてものすごく機嫌がいいわけだけど、ファッションにもイベントにも、そうやって人の気持ちをポジティブに変える力がある。人も町も自然と元気になっていく。天気に景気に陽気に覇気にと、日本語には『気』の付く言葉がたくさんあるでしょう。『気』っていうのは、人間にとってそれだけ大きな影響力を持っているんです。私が今でもこんな派手な格好をしたり、あちこちでイベントばかりやっているのもね、その『気』の力を吹き込みたいからなんです」。  縄文のジャングルからそのまま抜け出してきたかのような緑色のセットアップを身にまとう齢74歳の世界的デザイナーは、今日も見知らぬ誰かに「ハロー」と呼びかけながら、世界のどこかで元気を振りまいている。

○山本寛斎(ファッションデザイナー/イベントプロデューサー)
1944年生まれ。71年、ロンドンにおいて日本人として初めてファッション・ショーを開催したのを皮切りに、74年から92年までパリ・ニューヨーク・東京コレクションに参加し、世界的デザイナーとしての地位を確立。93年以降はライブイベントプロデューサーとしても手腕を振るい、2008年G8洞爺湖サミットの会場・社交行事の総合プロデュースや「京成スカイライナー」新型車両の内装・外装のデザイン(2010年度グッドデザイン賞、2011年度ブルーリボン賞受賞)など、ファッションの域を超えた幅広いジャンルで活躍中。

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