COLUMN
井上万都里の「道」_vol.21
21 August 2020
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何を守って何を変えていくのか?踏襲と進化のバランスこそが肝要だ。

葬祭業界と地域社会の活性化に邁進し、儀礼文化の形骸化に警鐘を鳴らす井上万都里が連載する対談企画。それぞれの道を強い意志で歩み続けるゲストの言葉から、あなたの人生を切り拓く明日のヒントが見える。

数多の御祭神をお祀りする倉敷市街地の総鎮守・阿智神社

井上)こちらの阿智神社は、実は私にとって非常に思い出深い場所なんです。子どもの頃この近くに住んでいたので、よく境内で遊んだものです。僕だけでなく倉敷の市民にとって非常に身近であり、旧倉敷村の時代から倉敷の町の総鎮守として存在してきた歴史深い神社。自分が幼い頃から親しんできた場所が、地域と共に長い歴史を刻んできた存在であるということを改めて考えると、とても感慨深いものですね。本日は、まず貴社の由緒沿革についてお尋ねします。特徴的だと思うのが、御祭神の数がとても多いことなのですが、これにはどういった由来があるのでしょうか。

新井)神社はその昔、「村」よりももっと細かく分類された「字(あざ)」という単位の地区ごとに、守り神として存在していました。それが、明治時代末期の「神社合祀」という政策によって、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀するという、神社整理が行われたのです。言うなれば、神社の吸収合併ですね。それ以前は全国に約20万社あった神社のうち7万社が、この政策によってなくなったとされています。この辺りも例外ではなく、周辺の12社が阿智神社に合祀され、御祭神も移されたので、現在のようなかたちになりました。主祭神には交通や交易の安全を司る宗像三女神(むなかた さんじょしん)をはじめ三神を、相殿神として十九柱の神様もお祀りしており、これだけ御祭神の数が多いのは全国的にも珍しいと言えますね。

井上)倉敷の地はその昔、備中各地から米が集まる集散地であり、江戸時代になってからは商業の街として発展したそうです。古くは倉敷村の時代から現代の倉敷市に到るまで、この鶴形山の山頂から、街の発展を見守ってきた神社なのですね。

神社界にも到来する時代の変化にどう対応していくのか

井上)貴社は、市内でも有数の大社であり、参拝客、観光客ともに多数の方が訪れる場所ということで、SNSやネット上でも度々話題になっていますよね。最近では、貴社のお守りに関する投稿がツイッターで2万リツイートされたとか。

新井)今年の年初に頒布を開始した花纏(はなまき)守という新しいお守りのことですね。ツイッターで発信してくれた方がいらっしゃって、2万リツイート、5万いいねがついたコメントもあったそうです。岡山レースさんとのコラボで作ったもので、当初は半年分を想定した数を制作したのですが、予想を大幅に超える人気ぶりで、半月で品切れとなりました(笑)。

井上)それはすごいですね!阿智神社では、SNSを使った発信も積極的にされていますよね。

新井)情報発信は意識をして取り組んでいる部分でもあります。宮司である私の世代も関係していると思いますが、当社の職員は皆30代ということで、SNSが身近なんですよ。私はフェイスブック、職員でツイッターとインスタグラム、ホームページ担当と、それぞれ役割分担しながら広報活動を行なっています。例えばフェイスブックの投稿でいうと、神社の行事を告知するのはもちろん、月初にはその月の旧暦の和風月名について由来や意味を発信したり、立春の日などには二十四節気について解説したり、と折に触れて情報発信するよう心掛けています。こういった日頃の発信が、当神社や日本文化への興味を持っていただくきっかけになればいいなと思いますね。

井上)今までたくさんの神社を訪れてきましたが、貴社ほどネットやSNSを活用しているところは県内でも珍しいと思います。ですが、こういった時代に合ったツールを駆使する、ということも、これからの時代には必要ではないでしょうか。最近では、お守りなど授与品をキャッシュレスで購入できたり、お賽銭を電子マネーで決済できる神社も増えてきたそうですね。これには、「ふさわしくない」という声も挙がっていると聞きます。いろいろなご意見があって然るべきとは思いますが、はるか昔、寺社にお供えするのはお金ではなく米や野菜だった、これが貨幣経済の浸透によって賽銭へと変化したという歴史もあります。きっとこの変化のタイミングでは、違和感を覚えたり反発する向きもあっただろうと思います。しかし、それがいつしか当たり前になり、伝統となっていったのでしょう。神社は千年という時を超えて日本社会に存在してきました。その過程の中で、時流に応じた変化をしてきたのだと思います。やはり、伝統を受け継いでいくには、時代に合わせて進化させていくことも必要であり、その踏襲と進化のバランスこそ肝要だと私は思うのです。守るべき大切な文化や宗教観というのは、壊すべきではない。では、何を守って、何を変えていくのか?そのバランスが大切なのではないでしょうか。

新井)神社も、時代の流れに合わせて柔軟に変化していくべきだと、私も思います。東京都の神田神社では、境内に飲食店を誘致できる施設をつくったそうです。神田明神は創建から1300年を超える歴史深い神社ですが、宮司さんは「伝統は、時代にふさわしい変化を加えていってこそ守ることができる」というお考えだそうで、イベントや新しい取組みも積極的に仕掛けられています。やはり、ニーズというものに応えないと、神社も廃れていく一方になってしまう。時代に合わせて柔軟に変化していくこともまた、社会と共にあるという神社の本質なのだと思います。

神社の運営にも経営的視点は必要である

井上)京都のある神社は、QRコード付きのおみくじを作ったそうです。スマートフォンで読み込むと、おみくじの結果にアクセスでき、英語や韓国語などにも対応しているということで、外国人観光客が多い京都ならではのアイデアだなと思いました。神社は営利目的の組織ではありませんが、やはり経営的な視点、マネジメントという観点も大切ですよね。神社の経営に対してはどうお考えですか?

時代とニーズを鑑みて変化を受け入れ、進化を模索し、実践し続けていく。

新井)例えば神社の修繕工事についてですが、これには膨大な費用がかかります。神社だけでは到底捻出できないので、氏子さんに寄進を募るのですが、そのとき氏子さんの理解を得られるよう、そして喜んでもらえる結果となるよう、事業としてしっかりと組み立てなくてはならない、そういった責任も我々にはあると思います。また、応援していただくためには、普段から氏子さんや地域の方との関係が大切になってくると思うのです。お参りに来ていただいたときや、行事の際などに交流を深めることはもちろん、日頃の情報発信などを通し、この神社の存在を身近に感じていただけるよう、努めています。

井上)昔であれば、神社なら氏子が、お寺なら檀家が、援助するのが当たり前とされていましたが、現代ではそんな感覚は薄れてきていますよね。年配の方にはまだそういった意識も残っているかもしれませんが、若い世代では温度差も全然違う。その世代間の歯車を合わせながら、どう動かしてどう盛り上げていくか、というのも課題なのかもしれませんね。

これから伝えていくべき神社の価値とは

井上)檀家氏子制度のように、昔は人々の身近に神社があり、その存在意義、そして宗教観や儀礼文化が地域社会の中で自然と次世代へ伝わっていました。ですが現代においては、意識的に手立てを講じて発信しなくては伝わっていかないと思うのです。だからこそ、神社の存在価値を知っていただき、理解してもらうことが重要だと思います。新井宮司は、若い世代にどのようにして神社の価値を伝えていこうとお考えですか?

新井)お祭りや七五三では、若い方が多くいらっしゃいます。例えば七五三の参拝で来られた方のご祈祷が終わって、七五三の意味をお伝えすると、「そうだったんですか!」と興味を持って聞いてくださるのです。なんとなく風習に従って「3歳になったから行こう」ではなく、「子供が無事に育っていることに感謝し、これからの成長をお祈りする」という本来の意味を知った上でお参りすると、また違った趣があると思うのです。先に述べた御祭神にしても、神社ごとに違いますし、由来もそれぞれです。もちろん、知らないままでも支障はありませんが、知ることによって参拝の行為自体にも深みが出ると思います。これからも私は、神社のことだけでなく、文化や宗教観も含め、発信して伝えていくことで、神社の存在価値を次代に繋いでいきたいと思っています。

井上)神社のお祭りにも、五穀豊穣や氏子の繁栄を祈願するなど本来の意義がありますよね。単にイベントとして楽しむだけでなく、こういった意味を理解して向き合うことで、参加する人の意識も違ってくると思います。新井)当神社には、総勢約200人の御神輿の御行列が出る、秋季例大祭という秋祭りがあります。最近は、御神輿の担ぎ手がいない、と全国の神社界で言われていますが、御神輿を担ぐというのは、本来は特別なことなのです。ある地域では、担ぎ手は3日間にわたり身を浄めてからでないと担ぐことができない、という伝統がある神社も。阿智神社でも昔は、特定の地区の方しか担ぐことができず、その担ぎ手は他地区の人々から憧憬の念をもって見られていたそうです。そういった歴史的な背景を知っていただくことで、特別感や新たな価値を感じていただければと思います。

阿智神社の今後について

井上)貴社は、時流に抗わず、良いものは取り入れていこうという柔軟な考えをお持ちだと思うのですが、今後どのような取組みをお考えですか。新井)具体的な時期は未定ですが、境内の中の建物をリフォームして、カフェのような喫茶スペースを作りたいと考えています。参拝の合間にお茶を飲んで休憩していただき、地域の方同士で交流してもらえる、そんな場所がつくれたら、本当に嬉しいですね。昔から神社仏閣というのは、地域コミュニティを醸成する場でもありました。今までの神社にはない新しい要素も取り入れながら、今の時代に合わせた神社がどういったものなのか、どんなものが喜んでいただけるのか、ということを模索しながら、今後も進化し続けていきたいと思います。井上)幼い頃から親しんだ存在である阿智神社が、これからどのように変化、そして進化していくのか、私も楽しみです。本日はありがとうございました。

○新井 俊亮/阿智神社 宮司
栃木県宇都宮市出身。國學院大學神道学専攻科にて神職資格を取得し、平成20年に阿智神社へ奉職。同26年に第7代目宮司に就任。若い世代にも神社に親しみを持ってもらえるよう日々模索している。

○井上 万都里/株式会社いのうえ 専務取締役
儀礼文化研究所の創設など文化伝承にも貢献する葬儀社、株式会社いのうえ専務取締役。オカヤマアワード副会長、葬儀社による全国大会ネクストワールド・サミットの実行副委員長も務める。

○阿智神社
倉敷美観地区の一角にある鶴形山の山頂に鎮座する古社。古来この一帯は海であったため、海の交通交易の守護神である宗像三女神を奉斎したと伝えられている。能舞台、絵馬殿等や、県の天然記念物である「阿知の藤」が境内にあり、古くから市民の憩いの場として親しまれている。

○株式会社いのうえ
大正2年に井上葬具店から始まった株式会社いのうえは2013年に創業100年を迎えた。都市化を見据えた新たな葬儀スタイルの提案など伝統と革新を見極めながら成長する全国屈指の葬儀社。
倉敷市二日市511-1 Tel.086-429-1000
http://inoue-gr.jp/

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