石川康晴の哲学塾 Vol.4
×設楽洋(株式会社ビームス)

日本と香港に約100店舗を構え、常に新しい取り組みで、ファッションだけではない風俗文化を伝え次のシーンに影響を与え続ける「ビームス(BEAMS)」。今回は幾多の波乱の時代を乗り越えてきたビームス設楽社長にお話を伺った。

石川)設楽社長がビームス設立のとき一番最初に作ったお店は6・5坪だったそうですね。僕も最初のお店は4坪だったのですが、最初から自分のやりたいことが出来ましたか?

設楽)いやいや、あの当時は今と真逆で、物も情報も全然ない時代でした。どこで何を仕入れていいかも分からずほぼ並行輸入のはしりで自分が知ってる先輩や知り合いに聞きながら始めました。海外に行くお金も無くて、ディスカウントチケットを買って安ホテルに泊まって、自分の足で物を探して。現地でも人づてに聞いたり映画で見たものや米軍キャンプで見た光景とかを頼りに、何しろ手探りでしたね。

石川)セレクトやアメカジなんて言葉がなかった時代から、欧米に出掛けては自らのセンスで選んだ服やグッズを店に並べ、独特の世界観で流行を生み出してきた設楽社長。最初から今のビームスの形が見えていたんですか?

設楽)いちばん最初のお店には、実は「ビームス」の屋号の上にアメリカンライフショップというのが付いていたんです。それで、まずはUCLAの学生の部屋にあるようなものを置こうということで、窓に青い空に白い雲のカーテンを貼って、店の中心にパインのテーブルを置き、ろうそく立て、アメリカのねずみ取りやお香、そしてTシャツ、スケボー、スニーカーを置いて学生の部屋を再現しました。洋服屋って感じでは無かったです。でもねずみ取りなんてそう売れなくて、結局Tシャツやスニーカー、ジーンズ、チノパンが売れますよね。そうして売れたものをまた仕入れにいくということを繰り返して、だんだんと洋服が増えていき、洋服屋さんになったんです。現在はその場所が何百倍ものスペースになりましたが、今もその当時の考え方は変わらないですね。

石川)当時を振り返って、肉体的にも精神的にも、もう一度はできないなというような思い出深い事はありますか?

設楽)買い付けにいった時、何しろお金がなかったのでレンタカーを借りて何処にいくかもはっきり決めずひたすら運転して、途中のモーテルで料金交渉して、それでもやっぱり高いから車のなかで寝るとか、車壊されたり物盗まれたり。都市部の危険地域はマップにもある程度載ってるから分かるんだけど、それ以外ではどこがどう危険なのか全然分からなくて。危険な思いは沢山しました(笑)。

石川)すごく分かります(笑)。でも、創業当時は「非常識」を「常識」に変えるほどのパワーが無いと生き延びることが出来ないですよね。

設楽)本当にそうです。お店を始めたとき、内装費は全部でわずか50万でした。どうにもできない箇所を工務店にお願いして、他は全て自分達で作ったんです。なるべくあるお金は仕入れに回したいじゃないですか。

石川)ビームス創業から、苦労もしながら緩やかに成長し突然ブレイクスルーした時期もあり、本当に長い歴史ですよね。その中でも激しく墜落して苦しかった時期はいつですか?

設楽)1回目は、クルーズをはじめ、シップス、ビームス、ボートハウスなどのロゴトレーナーがバカ売れして、それが売上げの半分以上を占めていた時期です。面白いくらい売れた。でもこれをずっと続けてるとただのキャラクターショップになっちゃうぞ、ということで悩みました。やめると売上げは無くなる。けれどやめなければいけない。そう決意して、最初にそれをやめたんです。面白いことに、今はその当時それをやめた順に生き残ってるんですよね。この時は売り上げがガクンと落ちました。そして2回目は、シブカジ現象で紺ブレバカ売れの時。売れてるからじゃんじゃん仕入れてたら、急にピタっと売れなくなって。もの凄い量の紺ブレの在庫を持ちました。この時に、何でも引き際が大事で街に商品が溢れ出す手前で引かなきゃいけないんだなということを覚えましたね。

石川)設楽社長の中で、ラインを変える手法のようなものがあるんですか?

設楽)僕らの場合は、アナログな手法で定点観測をしてます。「フロントランナー」と呼んでる新しい物を取り入れるのが早い連中、またお客様の中でもとても早い人達がいるんです。その人達を見てたら次に何が来るか何となく見えるんです。でも、それより難しいのはやはり引き際です。街にその商品が溢れ売上げがぐんと上がる時に、それをそのままやってると早いお客様が去ってしまう現象が起きる。

石川)絶頂期に引くのは、ちょっと後ろ髪ひかれないですか?

設楽)めちゃくちゃ引かれますよ(笑)。一番儲かるのはそこからだし、頑張って頑張ってやっと花開いた時だもの。儲かるという事で言えば二番煎じする所が一番儲かるんでしょうね。最初にいってると儲かる頃には引かなきゃいけない。

石川)でもやっぱり、トレンドを作ってピークまで上げてまた次のトレンドを仕掛けるというクリエイティブな創造性が、ビームスの原点なんでしょうね。

設楽)そうですね、それは自分も社員もアイデンティティになってると思います。でも、ある程度の規模に成長するとそれだけじゃ駄目じゃないですか。自分自身も社員もそうだけど、今は、大きいことや売上げに対する憧れはあまりないんだけど、「すごく早い」とか「尖ったこと」、小さくても評価されるようなことへの憧れやコンプレックスがあります。経営者としてのジレンマはそこなんです。最初に地方進出するときも子供服始めるときなども、社内での反対はすごかった。たとえば最初に東京以外に出店する時は、「社長、ビームスは東京の店だから来てもらえばいいんです。そんなにお店を広げて薄くしたくない!」と言われたり(笑)。僕は、「じゃあ、ずーっと一店舗だけで尖った店をやってもいいけど、お前らずっと偉くならないけどいいか?お給料上がらないけどいいか?」って。そしたら、それじゃ困ると。店が増えなきゃ人も増えないし売り上げも上がらない。そのバランスをどう取るのか、経営者として非常に難しいところでもあります。

石川)でも、社長はクリエイティブが分かる経営者だからそういう気持ちも配慮できますよね。

設楽)その時に彼らに言ったことがあって、それは「ビームスがあったことの歴史を残そうよ」と。時代を振り返った時に「ビームスがあったからちょっと変わったよね」という歴史です。そのためには1店舗で種蒔きするだけじゃなく世の中に影響を持てるだけのパワーをもって、色んな所から波を発信して世の中が変わる瞬間を見ていこうよ、と。

石川)経営する上で昔から現在まで貫いていることはありますか?

設楽)ビームスのコンセプトは「何でもありなんだけど何でもいいわけじゃない」というものです。不良なんだけどチンピラじゃなくしてくれとか、ぶっ飛んでてもいいけど頭悪そうに見せるな、とか。もちろん芯にはトラッドの心を持ってるけど、ガチガチのベーシックトラッドじゃつまんない。ある種の不良性やアンチ性を感じるのが「ファッション」だと思うから。商品そのもののコンセプトや品位を保ちながら、「ただの下品」にはならないように心掛けています。

石川)まだまだ全然早いと思いますが、社長の目指す人生の最終目標は?

設楽)大きな意味でいうと、「笑顔の溢れる人、街、国、世界」です。自分がそれをどこまでできるか。会社を作った時に一番最初に思ったことは「この会社で働く人が、この会社に関係する人が、幸せになれる会社にしよう」という思いでした。僕が神であれば世界中の人たちを幸せにできるけど、そうでないから、少なくとも自分の周りにいる人や自分に触れる人、家族や社員、取引先、お客様、自分の熱が伝わっていく範囲の人は絶対幸せにしようと思うんです。

石川)最後に、社長の仕事哲学とは?

設楽)仕事とは、幸せをつくる手段だと思います。人と人が繋がり、自分や会社が誰かに必要とされ、幸せの一端に貢献できること。これほど幸せなことはないです。マザーテレサの言った言葉で「人が絶望する時というのは、貧困でも不治の病でもない。自分が誰からも必要とされてないと感じるときに人は絶望を感じるんだ」というのがあります。つまり逆を言えば、誰かに必要とされていると感じる時に幸せを感じるんだと思うんですね。そこに在ることによって誰かに必要とされているということ。日本の経営者には、野心を持っている人は多いけど理念のある人は少ないと思います。シェアが何%だとか日本でトップになるとかそういった目標はあるけどじゃあそうなったときに自分達はどう社会に貢献してるのか、どういう世の中になってるのかということが、本当に大事なことだと思います。やはり商売ですから存続するためには利益を出さなければだめなんだけど、そこに在る意味、自分達がいたことによって、後で振り返ったときにちょっと時代が良くなったなと思える。そういう瞬間に、我々はいたいなと思います。

石川)昔からある侘寂から、ときにはお説教まで、人生もビジネスえも教えてくれる。設楽社長は、きっと社員みんなのお父さんのような存在なんでしょうね。その設楽イズムともいえる深いコミュニケーション能力、チームワーク力はどこから来るのですか?

設楽)スタッフ全員と細かく話すことはできないし、それでも何とか繋がる方法はないものかといつも自問自答しています。東京以外のスタッフには年に一度会えるかどうか。それでも何らかのかたちで僕の思いが伝わる方法はないかなと考えて、機会があるたびに、自分で作った年賀状や僕自身をマスコットにした「タラちゃん」が描いてある「タラちゃんシール」を配ったりしているんです。それだけなんだけども社員は嬉しいと言ってくれるんですよね。そういうツールを使って、僕は忘れてないよってことがちゃんと伝わるようにしてます。

石川)今日設楽社長とお話させていただいて感じたことがあるのですが、社長は、ユニークというキーワードが少なくなってる業界の中でまだ唯一それを高い次元で持ってる方だと思いました。だから常に変われるし、クリエイティブできる。経営者としての品格がありながらも正反対のユニークさを併せ持ってる。僕ももっとはじけなきゃな、と思いました。今日は本当にどうもありがとうございました。

設楽)こちらこそ、ありがとうございました。

設楽 洋/株式会社ビームス 代表取締役社長

1951年東京都生まれ。1975年株式会社電通に就職。SP局にてプロモーションディレクター、イベントプロデューサーとして活躍。1976年電通社員の傍らビームスオープンに参画。1982年株式会社ビームス設立。1983年電通を退職し株式会社ビームスおよび新光株式会社専務取締役就任。1988年株式会社ビームス、新光株式会社、株式会社ビームスクリエイティブ代表取締役社長に就任する。

石川 康晴/株式会社クロスカンパニー 代表取締役 社長

1970年岡山県生まれ。株式会社クロスカンパニー代表。大手紳士服メーカーで経験を積んだ後、23歳の時に起業し1995年に株式会社クロスカンパニーを設立。セレクトショップを出店する。1999年にアパレルSPA企業へと転換し、感度の高いデイリーカジュアルを発信する都市型セレクトショップearth music&ecologyを中心に展開している。現在は岡山大学経済学部に在学中。

編集者PLUG

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