石川康晴の哲学塾 Vol.29
×橘 ケンチ(株式会社LDH ASIA取締役,ダンサー,俳優)

EXILE、THE SECOND from EXILEのパフォーマーとして、またLDH ASIAの取締役として、役者として。マルチな才能を発揮する橘ケンチの哲学とは。

石川〉 日本のトップエンタテインメントグループ「EXILE」の活動と平行して、「THE SECOND from EXILE」のパフォーマーであり、舞台、映画、テレビなどで役者としても活躍。また2017年には株式会社LDH ASIAの取締役に就任されました。本の紹介サイト「たちばな書店」を立ち上げたと思いきや、「酒サムライ」として日本酒のプロジェクト事業に参加されるなど、橘ケンチは実に多くの顔を持ったアーティストですね。

橘〉 でも、やはり僕のルーツはダンスにあります。18歳くらいからストリートダンサーとして地元横須賀のクラブで活動していましたが、その頃の憧れはMAKIDAIさん、MATSUさん、USAさんたち。ちなみにHIROさんはレジェンド過ぎて特に手の届かない存在でした。この憧れのメンバーたちにボーカルのATSUSHIさんたちが加入されて「EXILE」が誕生したわけですが、とにかくカッコよかった。ダンスを志す者にとっては、本当に羨望の的でしかありませんでした。

石川〉 はじめて「EXILE」に参加したときのことを覚えていますか?

橘〉 初主演舞台「HEART of GOLD 〜STREET FUTURE OPERA BEAT POPS〜」にサポートダンサーとして加えていただいたのが最初だと思います。実はこの舞台に参加させていただくまでは、失礼ながら「EXILE」については無知でした。舞台ではじめて「EXILE」に関わって、「なんてカッコイイんだろう」と感動してしまって。また、これだけのパフォーマンスを見せながらも謙虚で丁寧な態度は崩さなくて、「この人たちみたいになりたい」と思いを強くしました。

石川〉 そこから現在のポジションへの入口が開いていったんですね。

橘〉 実はそうではなくて(笑)。現在LDHが展開しているアパレルブランド「24karats」の前身となるブティックをオープンしようとしていたMATSUさんに「ケンチ、店員やってみない?」って声をかけられて。LDHと最初に契約したのはショップスタッフとしてだったんです。

石川〉 尊敬する先輩からの有難い声かけかもしれないですが、ダンサーを目指していたケンチさんとしては嫌ではなかったですか?

橘〉 正直言うとあまり覚えていないんですよ。毎日がむしゃらにやっていましたからね。その後はダンススクール「EXPG」にインストラクターとしても参加させていただくなど、少しずつLDHの活動に深く関わらせていただけるようになり、自分自身も道を模索していました。

石川〉 そしていよいよ「J Soul Brothers」が誕生するわけですね。

橘〉 「J Soul Brothers」の語源はHIROさんがボビー・ブラウンにかけられた「君たちは〝Japanese Soul Brothers〟だ!」という言葉から。「EXILE」が結成されてからもHIROさんにとってはその言葉が大きくて、別ユニットとして立ち上げたメンバーの一員として加入させていただきました。結成当時はバス1台で全国を巡る武者修行ツアーなど、色々な経験も積ませていただきました。それと同時期に、「EXILE」は大きな構想の実現に向かっていた。それは〝永遠の活動〟を目指し、新メンバーを加入させ続ける」という方針です。「J Soul Brothers」の人気が安定したとき、「2つのユニットを結合させよう」と。それは、僕らのアルバムデビュー4日後の出来事でした。

石川〉 7人から14人の大所帯に。当時は批判の声も聞かれましたよね。

橘〉 「J Soul Brothers」を応援してくださっていたファンからすると〝「EXILE」に乗っ取られてしまった〟と感じられた方もいたと思います。でも、そんなハレーションが起こっても、HIROさんは「絶対に成功する」と言い続けていました。実際、そうした体制を貫いたおかげで今へと続いている。「EXILE」は新陳代謝を常に続けるグループになったということを、世間に認知してもらうことができた転換点になったと思っています。

石川〉 ケンチさんは、通常なら心が折れても仕方ないと思える状況を幾度となく乗り越えているように思います。ダンスで認められたいのに《ショップスタッフに》と誘われたら、自分のパフォーマンスを発揮できる機会が失われてしまうとか、加入したユニットが大きく改変されるとなると不安にもなる。

橘〉 一番辛かったのは30代半ば、今から3〜4年前ですね。「EXILE」が始動し、しばらくは全員で頑張っていたものが、少しずつそれぞれの個性も出始めて、メンバーとしてズレも出てくる。「自分は何なんだろう?」と思うことが増えてきて、何がしたいのか分からなくなってしまった。乗り越えることでいうと、自分の現在地がどこかということよりも、軌道に乗り始めてからの内面的な葛藤の方が苦しかったですね。

石川〉 傍目には輝かしい世界に足を踏み出したように見えても、アイデンティティの行き先を模索していたということですね。

橘〉 40歳という節目も近づいてきて焦りもありました。「EXILE」をこのまま続けていてもいいのだろうか? 自分のやりたいこと、やるべきことは何なんだろうか? と思い悩む日が続いて。気がつくと、またダンスの練習を始めていました。

石川〉 初心に戻った、と!

橘〉 当時を振り返って今思うことは背伸びというよりも「調子に乗っていたのかもしれない」ということ。マネージャーをつけてもらって何から何まで面倒ごとは丸投げしてしまっていたんです。初心に戻っていったんそれを全部やめてみよう、と。スケジュール管理も全部自分でやるようになり、実社会と距離を置いていたのもきっぱりやめて。そうこうするうちに、セルフマネジメントができるようになっていたんです。同時に思い悩む中で、本に逃げ場を求めたり日本酒と出会ったり。自分の「好きなもの」に気付くことができました。

石川〉 「たちばな書店」や日本酒のプロデュースが始まったのはそういう起点だったんですね。

橘〉 気づけたのは、年齢的なものもあったのかもしれませんね。自分もだけど、周りが《大人》として認めてくださるようになった。色々なものに触れていくうちに、やりたいことがどんどんカタチになって、実体となっている。日本酒のプロデュースに関わらせていただけるようになって、全国の職人さんとお目にかかる機会が増えてからは「等身大の生き方」をより感じることができています。職人さんや地域の方たちと同じ目線で感じ、仕事しようと思うようになったら、なぜか芸能界の仕事も上手くいくようになりました。

石川〉 少し遠回りはしたけど、答えが見つかったという感じですね。もし同じように壁にぶつかる人がいたら、初心に戻って「等身大になれ」とアドバイスしますか?

橘〉 それでも、背伸びをしなきゃいけない時期もあると思うんですよ。

石川〉 僕も20代の頃は尖りすぎてて、今思うと恥ずかしいほどだったから。でも、その時期があってこそのいま。そのときの年齢とタイミングに照らし合わせながら、自問自答を繰り返して生きる道を探してきたのかも知れない。

橘〉 人生って、自分で考えて自分で答えを見つけなきゃいけないと思うんです。誰に頼ってもいいけど、決めるのは自分だし、自分の道が見つかるまで向き合う努力だけはやめちゃいけないと思います。

石川〉 この企画の本題、ケンチさんにとって仕事とは何でしょうか? 僕はいつも《趣味》と答えています。朝起きたらすぐにでも仕事に向き合いたいんですよ。そのくらい仕事が好きなんです。

橘〉 それいいですねえ。僕もそう言えたらいいんですが、振り返ってみても、僕にとってはいつも《自分の成長》と隣り合わせのものでした。

石川〉 厳しい仕事であればあるほど、《成長》できますよね。それにしても、LDHの皆さんはいつでも腰が低い。事務所に伺ったときに受付でケンチさんご自身が待ってくださっていたときは、最初は「似てる社員さんがおられるんだなあ」って思ってましたから驚きました(笑)。

橘〉 僕らにとってはごくごく普通のことです(笑)。LDHの社風と言うか、HIROさんは売れた後にかなり苦しい時期を体験しているので、僕らには同じ思いをしてほしくないと常々言ってくださって。子どもたちに見せる姿は「どんなに売れたとしても謙虚なのが格好いいこと」なんだ、「一番カッコイイのは毎朝きちんと通勤しているサラリーマンの方たちだ」と。

石川〉 ライブのときも観客に対して絶対に敬語を使っていますよね。

橘〉 色々な年齢や立場の方が見に来てくださっているので。そんな方たちに若造が「盛り上がっていくぞ!」なんて上から言ってどう思うかなって考えたら、自然と敬語になります。

石川〉 究極の《カスタマーファースト》の精神ですよね。僕は、LDHの皆さんは古き良き時代の魂を宿した《日本男児》の精神を持った集団だと思っているんです。多様化がもてはやされるダイバーシティの時代ですが、一周回って礼節を知る《日本男児》の価値こそがいま重要なんじゃないかと。これは、LDHが世界に事業を拡大しているいま、成長を後押しするファクターになってくるのではないでしょうか。

橘〉 アジアとヨーロッパ、アメリカとグローバル展開を開始し、会社は大きくなっていますが、HIROさんが全員に直接思いや考えを伝えられるわけではありません。HIROさんはいつも「一番信用できるのはメンバーで、メンバーは自分の分身」だと言われています。今はLDH ASIAの取締役も兼任させていただいていますが、経営者の一人というよりも、僕自身、会社を盛り上げるそうしたメンバーの一員であればいいと考えています。

石川〉 最終的なご自身の着地点はどこだと考えられていますか。

橘〉 日本酒を中心に、自分自身で日本の文化を体現できる存在になりたいですね。言葉でもパフォーマンスでも、世界にしっかりと発信できるように。

石川〉 日本の伝統を音楽やダンスを始めとした様々なカルチャーと融合して発信できるアーティスト、橘ケンチの活躍に期待しています。

橘 ケンチ

ダンサー、俳優。株式会社LDH ASIA取締役。神奈川県横浜市生まれ。ストリートパフォーマーとしてTETSUYAらと活動中にAKIRAと出会い、2007年に二代目 J Soul Brothersのメンバーとして始動。2009年にEXILEにパフォーマーとして加入。2011年以降は黒木啓司、TETSUYA、AKIRA、NESMITH、SHOKICHIら6名から成るEXILE THE SECONDとしても活動を開始した。舞台、映画、テレビドラマなどで役者としても活躍。英語のほか、北京語も堪能。2017年からは本好き・日本酒好きの一面を生かし、「たちばな書店」をはじめとする数々のプロデュース活動にも積極的に参加している。

石川 康晴

(株)ストライプインターナショナル 代表取締役社長。1970年岡山市出身。京都大学大学院卒。1995年クロスカンパニー設立。1999年に主力ブランド「earth music&ecology」を立ち上げ、現在、グループ売上高約1,300億円、従業員約6,700名、約1,500店舗まで拡大。2016年、社名を(株)ストライプインターナショナルへ変更し、ファッションという領域を超えライフスタイルをトータルに提案する企業を目指すなど更なる進化を続けている。一方で、石川文化振興財団理事長も務め、地元岡山での地域貢献活動へも積極的に取り組んでいる。

編集者PLUG

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