石川康晴の哲学塾 Vol.24
×水嶋 ヒロ(株式会社3rd i connections)

俳優、作家、クリエイター、経営者etc。活躍のフィールドを広げ、進化を続ける水嶋ヒロに、自らのバックボーンと仕事に対する哲学を訊いた。

石川)二〇〇五年の芸能界デビュー以降、日本アカデミー賞新人賞を受賞されるなど、名実ともに一流俳優として活躍されてきた水嶋ヒロさん。最近では俳優としての活動以外にも、作家、クリエイター、プロデュース業など様々なジャンルで活動されています。各方面で多彩な才能を発揮されていますが、水嶋さんが世の中に知られるようになった俳優としてのきっかけは何だったのでしょうか?

水嶋)高校まではプロ選手を目指して、ひたすらサッカーに打ち込んでいました。しかし、高校時代の怪我が原因で、その夢を断念することに。サッカーに変わる夢を探していた大学生の時、もともと興味があったファッションについて、深く学びたいと思ったんです。せっかくなら一流の学校に行きたいと思い、有名デザイナーを多数輩出してきたロンドンの名門、セントマーチンズに留学しようと決心。その留学費用を稼ぎながら、ファッションに関わることもできるということで、モデルの仕事を始めたのがきっかけです。

石川)水嶋さんは小学生の頃、海外で生活されていたそうですね。歴史やカルチャーの違いなどから、いろいろと大変なことがあったのではと想像できます。また、個人としてのアイデンティティが形成される重要な幼少期を海外で過ごしたことによって、帰国してからの日本でも戸惑うことがあったのではないですか。

水嶋)父の仕事の関係で、幼稚園の年長から小学校卒業までをスイスで過ごしました。石川さんのおっしゃる通り、自分は一体どこの国の人間なのかと、一種のアイデンティティクライシスのような状態に陥ったこともあります。悲しいことに、海外生活の中では、日本人というだけで差別やイジメを受けたことも。それに耐えることができたのは、日本に帰れば大丈夫、それまでの辛抱だという思いがあったからです。でも、いざ帰国してみると、この国のカルチャーに馴染むこともまた大変でした。その頃の僕は既に海外に習ったストレートな物言いや、リベラルな思想が身に付いており、日本の協調性を重要視する教育になかなか順応できなかった。例えば、みんなが同じ上履きを履いていることや、体育座りのように、一様に同じ座り方をするのが正しいという感覚がないので、自分だけ違うことをして先生に怒られたり。同級生から見れば、自分は異質だったのだろうと思います。僕に悪気がなくとも、カルチャーの違いから誤解が生じること、自分を理解してもらえないことは、やはり辛かったですね。

石川)幼少期の多感な時期をアウェイと言える厳しい環境で過ごしながらも耐え抜いた精神力は凄いですね。また、サッカーという夢に向かい、それが叶わずとも、また次の目標に向けて努力し、その結果俳優として一流になられた。こうした努力を持続させるには、自分を奮い立たせる必要が幾度となくあったと思うのですが、水嶋さんのその原動力は何だったのでしょうか。

水嶋)確かに、今振り返っても二度と経験したくないと思うぐらい、辛い時期ではありました。そこで腐らなかったのは、やはりサッカーという夢があったからだと思います。自分に人より突き抜けたものがあれば、多少変わった人間でも認めてもらえるのではないかという思いもあったかもしれません。そして、孤独だった僕が唯一信頼できた家族の存在。こういったものが心の拠り所となり、人生の一番辛かった時期を乗り越え、俳優という新たなフィールドへ向かえたんだと思います。

石川)芸能界で活躍してきた水嶋さんが、俳優以外の活動をスタートされたのは二〇一〇年頃。メディアでも盛んに取り上げられていましたが、歌手の絢香さんと結婚されたことが転機となったのでしょうか。この頃から、小説家やプロデュース業といった、クリエイター的な分野にも活動の場を広げていったという印象があります。

水嶋)持病を患っていた妻を支え、彼女が完全復帰できる状態を整えたかったというのが、僕の本心です。そのために所属事務所を退社し、僕は裏方に回って俳優以外のお仕事が増えたわけですが、キャリアとしても好調な時期だっただけに、この決断に賛同してくれる人は少なかった。なぜ、そんなに自分を犠牲にするのかと言われたこともありました。でも、僕自身は自己犠牲をしているつもりなど微塵もなく、妻のバックアップをすることが自分にとって最大の目的だったというだけなんです。

石川)自身の立場を守ることより、絢香さんを支えることの方が大切だった。この選択ができるのが、水嶋さんの凄いところだと思います。男女平等が推進されているとはいえ、日本はまだまだ男性社会の傾向が強い。その水嶋さんの考え方は、何によって培われたのでしょうか。

水嶋)もちろん妻への愛情がある、ということが大前提なんですが、幼少期を過ごしたスイスでレディファーストの精神を自然と学んだということが影響しているかもしれません。「女性が幸せなら男性も幸せであり、女性が笑顔なら社会が良くなる」と学校の先生にも教わりました。日本では男性を立てるという考え方が一般的なのかもしれませんが、海外では女性を立てることが当たり前。僕も、女性こそもっと前に出て輝くべき存在だと思っています。結果的に、レデイファーストの精神と実践が、巡り巡って男性の夢の実現にも通じている。今の自分にとっての夢は、とにかく温かい家庭を築くことなんですが、女性を大切にすることが良い家庭をつくることにも繋がると思っています。

石川)私も全く同感です。弊社は女性社員の割合が九割超。社内にも、レディファーストの精神が自然と根付いています。「男性はテーブルの足で、女性はその上に置かれた花瓶の中の花だ」、女性を尊重できるよう、男性社員に常々こう言い聞かせています。水嶋さんがおっしゃる通り、女性が輝くことは男性が輝くことに繋がる。弊社では、結婚出産などによって女性のライフスタイルが変化することがあっても、多様な人生設計を自分で選べるようにサポートできる体制を整えています。女性人事委員会という制度では、女性幹部が集まり、一年に一度女性の昇格候補者を推薦。キャリアアップを目指す人がチャンスを掴みやすい仕組みもつくっています。また、女性が活躍できる社会に向けて、内閣府などにも提言を行ったりと積極的に発信を続けています。水嶋さんの発想は経営者にとっても非常に重要な示唆を含んでいる。実際の社会風潮に一石を投じるこうした発想こそが、経営者やクリエイターにおいては大切なことなんだと思います。人と違うことを考え、実践する。水嶋さんと私との共通点を見つけたような気がします。現在、水嶋さんは新たな活動に踏み出そうとされているそうですが、今後のビジョンを教えていただけますか。

水嶋)七年前、妻の音楽活動のマネジメントなど、主にエンターテイメントを扱う会社「A stAtion」を設立した際、僕と妻はある約束を交わしました。それは、妻のデビュー十周年を必ず華々しいものにできるよう、僕は裏方でディレクションや経営に専念するということ。そして、それが実現したら、次に僕がやりたいことをできるカタチを改めてつくっていくということです。幸いにも、十周年の今年、妻は集大成となるベストアルバムのリリースや自身最大規模のツアーを組むことができました。僕自身も今後新たなフィールドに立つ環境が整ったというのが、現在の状況です。僕にとってこの七年間は、自分以外の人の輝きをいかに最大化できるか、考え抜く日々でした。この経験を活かし、今年設立した3rd i connectionsという会社でファッションやプロジェクトのディレクションなど分野を問わず新たな挑戦をしていきたいと思っています。

石川)水嶋さんは転職サイトを運営する上場企業「じげん」のCLOにも就任されています。これは、チーフライフスタイルオフィサーという比較的新しいポジションであり、じげんの理念である「自分らしい生き方」を選択出来る社会に向けて、外部からの視点で更なる充実を推進するためのアドバイザー的立場。水嶋さんの、幅広い領域で発揮されるセンスとクリエイティビティが起用理由だとお聞きしています。私は、最近の優秀な企業が、CEOの隣にクリエイティブなアドバイザーを置くのがトレンドになってきていると感じています。例えばユニクロは、佐藤可士和氏がブランディングを手掛けてから、認知度やクリエイティビティが飛躍的に向上しました。じげんが水嶋さんを起用されたのは、ご自身の洗練されたライフスタイルも魅力的だったのではと思います。ファッションはもちろん、人間の生活の基本となる、衣食住全てへの意識の高さにはいつも驚かされます。特に食へのこだわりは、私も影響を受けました。何を食べて生きていくのかによって、人生も大きく変わることを水嶋さんが教えてくれましたね。

水嶋)僕にとって、食とは命そのものです。妻の病気が悪化したとき、医者にも完治は難しいと言われ、とにかく治療法を模索する日々でした。いろんな情報を調べる中で最終的に納得したのが、食べたもので自分の体はできている、ということ。まずは食生活から見直そうと思ったのがきっかけで、食への興味が深まりました。積極的に摂っているのは、大地のエネルギーをたっぷり吸収したオーガニック食材。俳優業で忙しかった頃は、食事の内容を気にかけたことなんてありませんでしたが、今は一回一回の食事を大切にするようになった。これは、自分にも妻にとっても、凄く良い変化でした。

石川)最後に、様々なチャレンジを続ける水嶋さんにとって仕事とは何でしょうか。

水嶋)僕にとって仕事とは誰かを幸せにすることです。僕はいまでも人見知りで、話すのも得意ではありません。こんな性格の僕が、俳優としてやってこられたのは、自分が芸能活動をすることでファンの方や見てくださる方が、喜んでくれたから。それを糧に頑張ってこれたんだと思います。まずは、誰かたった一人でもいいから、自分の仕事によって幸せを感じてもらえれば、自分も嬉しくなる。すると、次はもっと良い仕事をしようと思う。この良い循環を、これからも作っていきたいと思っています。

石川)経営者の仲間、そして、友人の一人として水嶋さんの新たな活動を応援しています。

水嶋 ヒロ

1984年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。幼少期をスイスで過ごす。高校時代は、サッカー全国選手権大会で3位。2005年から俳優として数々の話題作に出演し、第33回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主演俳優として広く認知されるなか、株式会社A stAtionを設立。経営、コンテンツのプランニングやディレクション及びプロデュース業をこなし、クリエイターとしても活動。映画『黒執事』では、主演と兼任で共同プロデューサーを務める。今年4月より、芸能以外での活動本格化のため自らが代表を務める株式会社3rd i connectionsを設立。その第1段として株式会社じげんのCLOに就任。俳優としては、海外ドラマへの出演など、国内外で活躍の場を広げている。

石川 康晴

(株)ストライプインターナショナル 代表取締役社長。1970年岡山市生まれ。国立岡山大学経済学部卒。京都大学大学院在学中。1995年クロスカンパニー設立。1999年に主力ブランド「earth music&ecology」を立ち上げ、現在、グループ売上高約1,100億円、従業員約4,600名、約1,300店舗まで拡大。今年、社名を(株)ストライプインターナショナルと改名し、ファッションという領域を超えライフスタイルをトータルに提案する企業を目指すなど更なる進化を続けている。一方で、石川文化振興財団理事長、内閣府男女共同参画推進連携会議議員を務め、地域貢献活動へも積極的に取り組んでいる。

編集者PLUG

シェアする