石川康晴の哲学塾 Vol.14
×NIGO®

「A BATHING APE®」を創業、現在はフリーランスとして活動。後に裏原系と呼ばれるカルチャーをつくり、日本中の若者から爆発的な人気を得てきたNIGO®氏。90年代から日本の文化を創造してきた立役者だ。肩書きをもたないことを信条とするNIGO®氏の哲学とは。

石川)読者の方の中にもいらっしゃると思うのですが、僕も創業当時『A BATHING APE®』の熱狂的な人気ぶりを東京に買い付けに行くたびに目の当たりにしました。NIGO®さんが牽引してきた裏原系カルチャーの全盛期を過ごした同世代であり、同じ業界ということで以前から面識はありますが、懇意にお付き合いしているのは最近ですね。NIGO®さんがプロデュースする『1966カルテット』の衣装を、クロスカンパニーグループの『トムブラウン』から提供することになり、いろんなお話をする機会も増えました。日本で爆発的な成功をおさめていたNIGO®さんが海外に目を向け、世界に進出するきっかけとなったのは、何だったのでしょうか。

NIGO®)きっかけになったのは小さなことで、僕のブランドを気に入ってくれている友達がいて、ロンドンと香港に行ったのが始まりです。香港では、オフィスビルの中で会員制のお店をはじめたのが九十七年。ロンドンでは卸売りから始め、ロンドン向けのオリジナルラインを展開し、オンリーショップをオープンしたのが九十九年のことです。

石川)当時、世界的に有名なバンド、オアシスのメンバーがロンドンのベイプに通っているという話は衝撃的でした。それも大きなきっかけになり、世界に認知されるブランドへと成長を遂げられたと思うのですが、始めは、ショップからの発信があって、メンバーが来られたのですか?

NIGO®)いえ、こちらから何かアクションをしたとかではなく、純粋にお客さんとして来てくれたと思います。僕もかなり驚きましたね。そんなこともあって、始めはUKのミュージックシーンに受け入れられたのがきっかけといえると思います。自分自身昔から音楽が好きで、特にヒップホップが好きだったし、アメリカのカルチャーがロンドンに行って、そこから日本に入ってきたような音楽や文化に興味がありました。ファッションで言えば、アディダスの紐なしスニーカーを履いてるけど、ヴィヴィアンもあわせて着ている、みたいなミックスカルチャーがもともと好きでしたね。

石川)自身のブランドが世界中で支持され、時代の中でひとつ大きなウェーブをつくられたNIGO®さんですが、影響を受けた人物やカルチャーなどはありますか?

NIGO®)僕自身は、あまり人から直接的に影響を受けないよう意識してきました。ただ、僕の人生の中で大きいのは、シンガーであり音楽プロデューサーでもあるファレル・ウィリアムスの存在。もともと彼のファンで、ファッションも参考にしていました。大きめでルーズなサイズ感が流行っているヒップホップカルチャーの中でタイトなジーンズを穿いていたりしたのが格好良かったですね。最初は、彼が来日した際に僕の音楽スタジオを貸したのが出会いで、着ているものや乗っている車など、好きなものが似ているということで共通点も多くて意気投合し、一緒にブランドを起こすまでになりました。時同じくしてNYにベイプのショップをオープンしたのですが、その頃ベイプというブランドを十五年間やってきて、最終的にどうしようかと考えていたときでした。海外に進出した意図は、始めNYにお店を出してそこをゴールにしてブランドを終わらせようかと考えていのが一つ。二つ目は、当時、ある大きなアパレルブランドがNYの一等地に出店したのですが、失礼な言い方ですが、僕の感覚からすればそのお店にはちょっと面白みが足りなくて、その頃世の中に「クールジャパン」という言葉が出てきて世界で日本がブームになり始めているのに、これはマズいでしょ、という思いがありました。だから、自分としてはNY店をゴールのつもりで始めたのですが、結果的にはそれがスタートになってしまいましたね。まさかアメリカであんなに売れるとは思っていませんでした(笑)。

石川)ファッションのグローバル化が最近では当たり前になってきていますが、日本から世界に出て大きな成功をおさめたのは、ファッション業界でいえばNIGO®さんが第一人者だと僕は思っています。今でこそユニクロがパリやNYにお店を出していますが、昔は日本のアパレル企業やデザイナーは日本国内の商売で満足していた。そんな中、海外に打って出るパイオニアとなり、日本のカルチャーをつくってきた人物だと。僕が事業をスタートした九十四年頃、東京のベイプに立ち寄ると、アートを展示するかのようにTシャツがケースに入って陳列されていて、作品を見るように服を見るという感覚に衝撃を受けました。あのショップは岡山出身のインテリアデザイナー片山正通さんによるデザインですが、NIGO®さんは一緒に仕事をする人に対して、どんなことを重要視しますか?

NIGO®)ショップの話でいうと、片山さんに出会うまで、僕はほとんどDIYでお店を作っていました。あの頃、九十六年に初めてオンリーショップを出すということになり、その道のプロに頼もうと思いインテリアデザイナーを探していました。そのときデザイナーの候補が三名いたのですが、他のお二人はあまりピンときませんでした。最後に会う約束をしていたのが片山さんで、当時の片山さんの事務所で待っているときに、目の前にCDが山積みにされていて、しかも自分と同じCDプレーヤーで聴かれていました。それで、「この人なら任せて大丈夫かも」と思いましたね。ご本人に会う前に即決!という感じでした。片山さんとは世代が近いというのもあるかもしれませんが、一緒に仕事をするなら、自分のセンスやノリを分かってくれる人がいいなと思っています。まずは、自分の言うことを受け取って、その上で理解して昇華してもらえることが重要ですね。

石川)岡山に限らず地方に住む若者の中には、地元から出たり東京や海外に行くことに対して臆病になりがちな人もいます。でも、頭の中にはデザイナーとかミュージシャンになるという夢がある。きっと、一歩踏み出す勇気がなかなか持てないのかなと思います。僕は、失敗が勉強になると思っているので、恐れずどこにでも出て行くという気概で海外にも進出しました。はなから成功すればラッキーだという心持ちなので、一歩踏み出すことが怖いと思わないんです。NIGO®さんも外に出て行くことに対して積極的な気概を持っている方だと思うのですが、そういった一歩踏み出すことに躊躇している若者に対してどのように思われますか?

NIGO®)現代はインターネットがあるし、それこそ常に世界と繋がっています。東京も地方も境目がないぐらい、チャンスも至るところにあると思います。しかも今の若い世代の方たちは、その環境の中で成長したから、今の時代感をつかんでる。逆に僕たちのようなアナログの最後の世代に比べたら、上手くいく気がするので、出ていかないともったいないですよね。ファッションでいうと、DCブランド、裏原系の流れが出てそれ以降大きなうねりがないから、僕はこれからが楽しみでもあります。

石川)確かに、裏原系カルチャー最盛期のときのように、メディア化した個人というのは出てきていないですね。何でだろうと考えると、やはり今はいろんな物事に対して情報も物質もすぐ手に入るし、浅い範囲なら、すぐ知ることができる。ルーツまで掘り下げる必然性がなくなったからかな、と思います。

NIGO®)僕らの頃は、ほとんど情報もないし、現地に行かないと手に入らないから、どんなに遠い場所でも自分で足を運んでいましたよね。僕の場合は、そのときに見たイメージや感動が頭に残っていて、自分のお店をつくるときに活かされたりしたのかな、と思います。

石川)僕もそうですね。経営者になった今でも、何か気になることがあったらとことん掘り下げて調べる。そうやって得た情報が自分の血肉となっていると感じます。NIGO®さんも気になることがあったら、そのルーツの部分まで掘り下げたりしませんか?もちろんリサーチだけじゃなく、そこに創造性が加わって、いろんなものを生み出してこられたんだと思いますが。僕は徹底的なリサーチ力とかセンスというものは、これからのクリエイターにも必須だと思いますね。

NIGO®)僕もすぐルーツまでいっちゃうタイプです。あと、いろんなものをつくってきた自分の立場からみても、リサーチにも感覚とかセンスは重要だと思います。例えばグーグルで「絵」という単語を検索したら無数の情報が出てきますが、何に引っかかるかは人それぞれで違う。最終的に出来上がるものに、そのときのリサーチセンスは大きく関係すると思います。

石川)そのお話も含めて考えると、やはりルーツまで掘り下げたりリサーチを徹底的にする人は、自然と考えるために必要な論理が積み重なってきて、それがインスピレーションにつながるんでしょうね。うわべや感覚ではなく、論理の積み重ねが良い判断、そして良い結果を生む。クリエイターにしても経営者にしてもそれは一緒だと思います。ところで、NIGO®さんは自分の手掛ける分野が周りの人や環境によって変わったり、進化した経験はありますか?

NIGO®)昔は自分のコミュニティの中だけで生きていたのですが、同じ世代の経営者と会うようになって変わりましたね。それが、以前は全く興味のない分野だったスーツを作ることにも繋がったり。ユナイテッドアローズとコラボで、本格的なクロージングをテーマとし、スーツスタイルの中にも遊びやアレンジをきかす、というコンセプトのもとMr.BATHING APE®を立ち上げたのは、昔の自分からすると意外なことですね。もともと、「型やぶり」や「外し」の美学って好きなんですが、それをやるためにはその分野のことをちゃんと知らないとできない。何年か勉強をして、うわべではなく実際のものに触れ、服を裏返して作りを学んだりもしました。

石川)世界的に有名なアーティストや多種多様なメーカーとコラボしたり、ファッションだけでなく音楽活動やライター、イベントプロデュースまで本当に幅広く多岐にわたって活躍されているNIGO®さんですが、自分の好きなこと以外でも仕事をされることはあるんですか?

NIGO®)基本的には、好きなことしかやらないですね。例えばすごくギャランティーが良くても、作ったものは自分の作品として残るし、自分が好きで本気で取りかかれないと相手にも失礼だと思うので。活動としては確かに幅広いのかもしれませんが、それに関しては、僕は若いときから自分の肩書きを決めたくなかったんです。今もそうですが、いろんなことをやりたかった。東京に出てきて、DJのアシスタントをして、スタイリストをしながらノーウェアを始めたのですが、それも、自分がショップというものを好きだったからという理由だけです。策士だと言われることもありますが、本人からすれば全然そんなことないんですよ。もちろん、悩んだことはあります。二〇〇一年にペプシとコラボしたときは、このままアンダーグラウンドでいくか、メジャー路線をとるかで迷いました。それは今まで、どちらかといえば手に入りにくいものを作っていた自分たちと真逆の、どこにでも売っているものを作ることになりますから。そのときは、裏原ブームが終わったとき自分がそこに立っていられるかどうかを考えて、メジャー路線を選択しました。もう一つの決め手は難易度の高さ。メジャーになるということはやはり難しいことだと思うので、そこに挑戦したというのも大きな要因でした。

石川)NIGO®さんは、本当に様々な仕事を経験し、いろんな分野に身をおいてきて、かなり濃い人生を送ってきた人ですよね。まさに、普通の人が一生かけても経験できないような人生を駆け抜けてきたと言っても過言ではないと思うのですが、今振り返って、改めて思うことはありますか?また、人生で幸せを感じるのはどんな時ですか?

NIGO®)僕が九十五年頃アメリカのTIME誌の取材を受けたとき、ギャルソンもヨウジヤマモトも知らないし興味ない、なんて生意気なことを言ったんですけど、今になって振り返ると、若気の至りだったなと思っています。自分がブランドをやってきて、一つの区切りをつけた今、初めて分かる偉大さがあると痛感していますね。すごい人をすごい、良いものは良い、と認められる姿勢は、常に持っているべきだと思いますね。立場的なことであれば、今は経営者としてのプレッシャーがなくなり身軽になって、初心に近い心持ちです。例えるならドラクエを一回クリアして、その経験値をもとにもう一回挑戦する、みたいな気分ですね。それから、強烈な個性のある先輩の人と接すると、これから六十代をどう迎えるか、ということも考えたりしますね。幸せと改めて思うというよりは、毎日が本当に楽しいから、これから何をやろうかとワクワクしているのが、今の気持ちですね。

石川)毎日楽しいって言いきれることが、いいですよね。これからも活躍を楽しみにしています。

NIGO®/クリエティブ・ディレクター

『A BATHING APE®』の創設者として知られる。ブランド20周年を期に『A BATHING APE®』を売却し、現在はフリーランスとして活動し、『HUMAN MADE』のブランドディレクションのほか、NIGO®名義で『EFFECTOR by NIGO®』『IMPOSSIBLE by NIGO®』のデザイン等を行う。カレーショップ『CURRY UP®』やDJとして参加している『TERIYAKI BOYZ®』のプロデュースも手掛け、現在幅広い分野で活躍中。常にその動向には注目が集まる存在である。

石川 康晴/株式会社クロスカンパニー 代表取締役社長

1970年岡山市生まれ。95年クロスカンパニーを設立。99年に「earth music&ecology」を立ち上げ、現在では他ブランド含め、国内店舗数約560店舗まで拡大、2011年9月には中国に進出。一方、女性支援制度を中心とした社内制度の充実、環境活動や地域貢献へも積極的に取り組み、東日本大震災で被災者100人の雇用を行ったことでも話題となった。内閣府男女共同参画局推進連携会議議員。国立岡山大学卒。

編集者PLUG

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